全国障害者問題研究会
 第40回全国大会(奈良)基調報告
 

                                 常任全国委員会
 
                 



はじめに

 20世紀の終盤、国連が示した「障害者を閉めだす社会は貧しい社会である」という尺度でみれば、日本はまさに「貧しい社会」になりつつあります。
 障害者自立支援法施行を前にした3月、費用負担を心配して娘の福祉サービス利用を中止した母親がその結果の介護の疲れから娘の命を奪うというあってはならない事件が起きました。授産施設では工賃を上回る費用負担ゆえに退所した人や退所を検討している人が後を絶ちません。生きること、働くことをあきらめざるをえない事態は、明らかに基本的な人権の侵害です。
 介護保険制度の改悪につづき高齢者の負担増や病院からの追い出しをねらう「医療制度改革」法の成立、生活保護受給「抑制」の推進など、暮らしや健康を守ることは個人の責任であるといって憚らない政府・与党による政策が、社会保障分野のみならず、国民生活のあらゆる分野で進められています。米軍再編・グアム基地移転のためには総額3兆円にも上る費用負担をするというのに、社会保障のための財源を口実に消費税率を10%にするという議論も始まっています。憲法9条の改変を最大の眼目とした憲法「改正」の前提としての国民投票法案、愛国心を押しつけ、ときの政府の思惑通りに教育をすすめようとするねらいをもつ教育基本法「改正」案など、「戦争のできる国づくり」の動きが直接目に見える形で進行し始めたことも今年の大きな特徴です。
 いま、国際障害者年の重要な指摘である「障害発生の最大の原因は戦争である」という一節を思い起し、さらには、この1年、かつてない幅広い人々と手をつなぎ、創意工夫をしてとりくんだ自立支援法に対する運動に確信をもち、平和を守ることと発達保障のとりくみを統一して、研究運動をすすめていきましょう。


1 暮らしと福祉をめぐる情勢
   〜障害者自立支援法を中心に


 昨年の第39回全国大会から今日までの障害者と家族をとりまく社会の動向をふりかえるとき、やはり障害者自立支援法を中心におかざるをえません。法の成立(2005年10月31日)以後から一部施行された今日まで、法案審議過程では解決されなかった懸念や問題点が現実のものとなって各地で噴出しており、それらはいずれも障害者と家族の権利保障に相反するものです。本年10月の全面的施行に向け、さらには法の見直しに向け、改善課題を明らかにしていくことが何よりも重要です。
 自立支援法は、障害者福祉法制上、戦後最大の「改正」といわれるだけあって、その影響は多岐にわたり、多方面からの分析・検討が求められますが、以下、そのための視点を提起します。

@応益負担の問題点
 いうまでもなく、利用者負担に持ち込まれた応益負担は自立支援法の根幹であり、一番の問題点です。利用にかかわる費用に食費等の実費が加わり、障害基礎年金が主な収入であっても負担が確実に増すという問題、応益負担に対する批判の前に講じた軽減策はあまりにも複雑であり、しかもその対象となる人が絞り込まれてしまう、ほとんどが3年間の激変緩和措置であり、大多数の人の問題は解決しないという、費用負担そのもののもつ問題点をまず指摘しなければなりません。
 加えて、応益負担主義の考え方の背景をみておく必要があります。福祉サービスを利用する費用の一部を「定率」で支払わなければならないというこの考え方は、障害をもって生きる人たちの権利の視点で見たとき大きな問題があります。移動や日常生活の動作への支援、就労に向けた活動など、いずれも社会参加に向けた、あるいは人間として生きる上で必要な支援を「買う」ことになり、しかもそれらをたくさん利用する障害の重い人ほど負担が多くなる。つまり、応益負担主義は、障害を自分の責任とする考え方に貫かれているのです。この点は、「同年齢の市民と同等の権利を有する」とした障害者権利宣言に書かれた諸権利を実質的な権利とするための社会の役割を定めようとする障害者権利条約の議論の到達点にも逆行します。
 残念ながら、日本の社会保障・社会福祉のあらゆる場面で自己責任論が横行し、自己負担は当たり前、支払える人にだけ良質のサービスが提供されるというしくみが導入されつつあります。保育の分野でも、親の就労にかかわらず就学前の子どもに保育・教育を提供するとして創設された「認定こども園」に応益負担が導入されます。今後の社会福祉のあり方や費用負担問題の解決に向けた幅広い共同を形成していくなかで、自立支援法を改善していく必要があります。

A自立支援法と発達保障実践
 自立支援法は、事業者と利用者の間に矛盾を持ち込みます。これは発達保障の実践にとって見逃すことのできない問題をはらんでいます。
 まず「日額・出来高報酬制」のもつ問題点があげられます。法施行直前の3月、「新体系と報酬単価」が公表されました。厚生労働省はこれまでの支援費の水準は維持しているので問題ないと説明しましたが、施設関係者は、年間2000〜3000万円の減収を余儀なくされると予想しています。利用者への直接的な支援の提供の結果に対してのみ報酬が支払われる日額・出来高払いのしくみでは、病気や家族との旅行などで作業所を休んだり、グループホームから土日帰省した場合などは、その日の分の報酬は施設へ支払われません。「本人が利用していないのだから当然」という厚労省。しかし、利用者がいないときも、施設はよりよい支援のための活動を断続的に行っています。暮らしや仕事のための環境整備、職種の開拓など、間接的な仕事もあります。こうしたことには報酬を見込んでいないことは問題です。また「休むと施設に迷惑をかける」という気持ちから、無理をする利用者も出てくるでしょう。施設の減収が職員の勤務条件や支援の質の悪化を招く可能性もあります。
 同時に、問題になるのが報酬単価と利用料の関係です。利用料は報酬単価の1割に利用日数を乗じて算定されますから、利用者が元気で毎日通所すれば、子どもが毎日登園できるようになれば、事業者の収入は増えるけれども利用料が増えます。
 このほかにも、期限内に「地域生活への移行」「一般就労への移行」などが実現すれば報酬が上がり、実現しなければ報酬が下がるという、「追い込み型」の実践につながる危険性をもった競争原理、成果主義に貫かれた点についても批判していく必要があります。
 このように、自立支援法には障害のある人々の自立と発達を保障する実践全体に対して責任をもつものではないことがわかります。こうしたしくみのもとで実践をすすめるにあたって、私たちは「権利を守り発達を保障する」視点をしっかりと堅持し、発展させなければなりません。

B子どもをめぐる問題
 自立支援法の問題点は、子どもの福祉分野にも同じ影響を及ぼし、保護者は負担増を強いられ、療育実践もさまざまな困難をかかえることになります。全障研は、そのことをあらゆる機会に指摘してきましたが、施行を前に明らかになった「児童デイサービスの見直し」も見逃すことができません。「見直し」の内容は、支援費制度のもとで広がった児童デイサービスを、就学前の乳幼児を対象としたものと、学齢児を対象として「放課後対策・レスパイト」として実施するものに分け、前者のみを自立支援法の介護給付とし、後者は地域生活支援事業への移行を前提として、10月以降、報酬単価を大幅に切り下げるというものです。
 支援費制度開始以来、児童デイサービスは増加傾向にありますが、なかでも豊かな放課後生活を保障したいという保護者のねがいを背景に、最近は放課後保障を目的とした開設が目立っていました。「見直し」によって、今後新規の事業開設は認められないばかりか、経過措置期限の3年を待たずして、報酬単価の切り下げによって閉所を余儀なくされる放課後事業が相次ぐと予想されます。たとえば山梨県の関係者のアンケートでは19事業所のほとんどが「見直し」で中止せざるをえないと回答しています。また自立支援法によって、子どもを対象としたホームヘルプやショートステイの事業が変更を迫られるため、こうした福祉サービスを外出や送迎などに活用して子どもの生活を広げてきた経験をもつ保護者からは、不安が表明されています。
 子どもと家族の生活への影響について実態を把握し、児童憲章、児童福祉法の精神にもとづく改善を要求していく必要があります。


2 教育をめぐる情勢と諸課題

 ここでは、教育基本法「改正」問題と特別支援教育をめぐる諸問題を中心に検討します。

@教育基本法「改正」問題について
 先の国会において、教育基本法「改正」案が上程され、重要法案の一つとして審議されました。教育関係者のみならず広範な人々の反対によって、法「改正」は強行されなかったものの、政府・与党は次期国会での成立をねらって継続審議としました。
 教育基本法「改正」案の本質は、国が教育に無制限に介入する道をつくり、新たに設けた「教育の目標」の条項に「国を愛する態度」を書き込んだことです。これは、日本国憲法の改悪、とりわけ現行第9条に自衛軍の保持を明記し、海外の軍事行動を実質的に可能にしようとする動きと連動するものです。学校現場では、「評価」と賃金格差の導入による競争的な職場づくりと「物言えぬ」教職員づくりが進行し、学校行事においても、日の丸・君が代の強制や「奉仕」活動の導入などがなされるなかでの「改正」です。内心に踏み込む教育は、国民を戦争へと導いた戦前への逆行です。
 また、「改正」案第4条2項には、障害者教育について新しい規定を設け、その充実を図るかのような装いを凝らしていますが、「改正」案がめざす「戦争のできる国づくり」と障害者の権利保障は両立しません。1960年代後半から70年代にとりくまれた就学権保障の運動のあゆみは、個人の尊厳を尊重することを基本においた憲法・教育基本法の理念のもとでこそ、障害の重い人も含め、すべての国民が「その能力に応ずる教育」をひとしく受ける道が切り開かれることを証明しています。

A特別支援教育と学校教育法等の「改正」
 「特殊教育から特別支援教育への転換」を目的として学校教育法をはじめとする関係法令が「改正」されました。今回の改正には、盲・聾・養護学校を障害の種別を超えた「特別支援学校」に転換するとともに地域の小中学校等に在籍する子どもたちの相談・支援の役割をもたせること(センター的機能)、小中学校等における特別支援教育推進の体制を整備すること、特別支援教育を担う教職員の教員免許状の改定が含まれます。
 「特別支援教育」に関する議論のなかで、私たちは障害児学校の過密化解消をはじめとする教育条件整備の課題がおろそかにされるのではないかという大きな不安を抱きました。したがって、障害児学校等の整備は終わったかのように「特別支援教育体制整備」のみを強調する文部科学省や地方教育行政に対し、学校建設などを要求してきたのです。たとえば奈良県では、県内知的障害養護学校4校のPTA連絡協議会を中心に、保護者と教職員が連携して養護学校新設を求める請願運動を展開し、その結果県が2008年度までに2校新設という方針を打ち出すという前進をみています。
 同時に、「特別支援教育体制整備」に対して私たちは、LD、ADHDの子どもをはじめとする通常の学級で苦しんでいる子どもへの教育的対応の道が開かれるのではないかという期待も抱きました。この点に関して、実際の教育条件整備についていうならば、LD等の子どもたちが通級指導の対象に加えられはしたものの、必要性に足るだけの通級指導教室の設置や担当教員の配置は事実上棚上げになったままです。また、小中学校等において障害のある子どもを全校で支援する体制をつくること、専門性をもつ特別支援学校が地域に開かれることや地域の資源を活用した総合的な特別支援連携協議会の設置も期待されました。しかし、懸念された「特別支援教室」への転換は見送られはしたものの、通常学級に在籍するLD等の子どもたちへの支援や通級指導教室と同様の機能を障害児学級にもたせようとする「特別支援学級の弾力的運用」は必至といわれています。全校支援体制の要と位置づけられる特別支援教育コーディネーターや校内委員会についても、新たな人的な配置がないため、多くの学校で形はあっても活動がない状況です。
 盲・聾・養護学校の特別支援学校への転換については、目に見える形で財政的削減を目的とした「リストラ」策が懸念されます。この点で、同じく奈良県で進行している盲学校と聾学校の「管理運営の一体化」や病弱養護学校と知的障害養護学校の「統合」にその問題点をみることができます。前者については事務職員ばかりか、教育の質にかかわる給食調理員や寄宿舎職員の減員が行われています。後者についても、病弱校の校舎は知的障害の子どもに対応するための強化ガラスになっておらず破損が続いた、病弱校には給食設備やスクールバスの発着所がないなど、最低限の整備さえ怠ったまま「統合」を先行させています。障害児学校が地域の支援をするという「センター的機能」も、今回法律に盛り込まれるまえから、各地で試行錯誤が続いています。しかしここでも、学校を地域支援を実践するための新たな人的な配置がないため、本来、学校に在籍している子どもたちの教育にあたるための教員がその仕事につかざるをえません。
 特別支援教育への転換で、いまでさえ貧弱な教育条件がさらに悪くなるのではないかという心配は障害児教育関係者がそろって抱きましたが、以上述べたように心配通り、いや心配以上という状況です。教育条件の切り下げは、子どもと保護者のねがいではありません。教職員配置の「棚上げ」の状況を改善し、人的配置を求めて、保護者とともに要求を練り上げていく必要があります。
 同時に私たちは、政府がすすめる「特別支援教育政策」の下にあっても、子どもと保護者のねがいに応える教育を発展させるための実践・研究をこれまで以上に深く追究していく必要があります。たとえば「特別支援教育」がいうLD等の子どもたちに対する教育の充実を端緒として、さらに一歩を踏み出し、通常の学級で困り苦しんでいるすべての子どもにも手厚い教育を保障することです。さらに、通級指導の対象だけでなく、それぞれの子どもの実態に即した教育のとりくみや場を用意させることも課題となります。その際、限られた教育資源の中で考えるのではなく、保護者、学校、教育行政等の関係者が必要な体制について合意をつくりながらすすめていく必要があります。関係者の合意形成を特別支援教育の枠内に止めるのでなく、通常の学級の教育のあり方を含め、子どもを主人公に、協力・共同の学校づくりの視点からすすめていくことが大切です。
 こうした観点は、障害者権利条約の制定過程でも焦点となっているインクルーシブな教育・学校の議論、すなわち障害児を含めたすべての子どもの発達の可能性を開花させることを共通の目標とした学校教育のあり方にもつながっていくことでしょう。

B全体の情勢を見失うことなく、広く手をつなぎ
 こうした教育をめぐる情勢は、「小さな政府」追求と「格差容認」拡大をはかる小泉政権の新自由主義的政策の方向と大きく関連するものです。「財政健全化」という一見、魅力的なスローガンの下、公務員削減が政策目標化され、人件費削減が地方自治体に広がりつつあります。こうした措置は、義務教育費国庫負担の総額裁量制の下で、すでに存在する市町村・都道府県間の格差をより拡大することになりかねません。日本のどこで生活していようと、ひとしく教育を受けることは国民の権利であり、それを保障するのは国の責任です。その責任基準を緩和と弾力化によって崩していけば、この教育条件の格差が生じ、「格差社会」の拡大が確実に進行することになるでしょう。
 「特殊学級を廃止して特別支援教室へ転換する」という案が出されたとき、多くの保護者・教職員は「障害児学級をなくさないで」と反対の声をあげ、全国的な運動を繰り広げました。文部科学省もこの切実な声を無視することはできず、学校教育法「改正」案では、「特殊学級」の「特別支援教室」化の提案を先送りせざるをえませんでした。
 先にふれた奈良県の保護者の要求運動に示されているように、厳しい情勢だからこそ、子どもを中心においた教育がなされるよう、保護者や教職員など関係者の連帯で運動を進め、必要なところに必要な人的・物的条件整備を求め、「特別支援教育」を財政に裏打ちされたものにつくりかえる必要があります。


3 研究運動の課題

 障害者自立支援法の施行、特別支援教育の本格化、そして教育基本法改悪、憲法改悪への動きなど、今年はかつて経験したことのない激動の年です。だからこそ、実践と理論の統一を旨とする研究運動の正念場であるといっても過言ではないでしょう。

@困難な実態をつぶさに明らかにしよう
 私たちの第一の研究運動の課題は、障害者と家族が直面している困難の実態を、地域から調べ上げることです。障害者自立支援法によって生じた自己負担を負えず、施設から退所を余儀なくされた人のこと、居宅支援を利用制限しなければならない人のこと、施設運営費の確保がままならず職員の生活保障があやうくなっている労働条件のことなどをつぶさに調査し、明らかにしましょう。
 また、特別支援教育の名のもとで、教育条件が後退するような実態があるならば、機敏な対応が求められます。
 生活の破壊ともいえる政府による攻撃は、私たち一人ひとりにかけられているものです。しかし、私たちには手をつなぐ力があります。情報を共有し、要求運動を交流することによってみえてくるものがあります。施設や学校で、地域で、従来の枠を越えてつながり、実態を明らかにしていきましょう。
 広範に存在する権利侵害と差別の実態を具体的に明らかにし、さらに要求運動の課題を導き出し、政策を練って、要求で一致する運動の輪を広げていきましょう。それはまず地域のなかで自治体施策を改善し要求することにあります。そのとき、全障研、障全協、きょうされんの組織がある地域では、その連携を大切にする一方、これまで連携してこなかった組織にも、広く要求で一致する共同のとりくみを呼びかけましょう。地域での要求運動の強まりは、必ず国の施策や政治を変革する力に結びつきます。また、自立支援法は自治体に障害福祉計画の立案を義務づけています。国の障害者基本計画がどこまで達成されているのかといった検証も課題としながら、地域の要求を障害福祉計画に盛り込むことが大切です。

A発達保障にとりくむ専門性
 第二の研究課題は、教育や福祉の労働が大切にしなければならない専門性の内実を明らかにしていくことです。障害者自立支援法によって設置が義務づけられた「サービス管理責任者」は、サービスの提供を管理し責任をもつのであって、実践の内容や質に責任をもっていたかつての施設長とは明らか任務を異にするものです。それは、施設の実践が、利用料の対価となるサービスに文字通り変質していくことを意味しており、その結果、「早く」「効率的に」「目標達成」することが問われるようになりつつあります。そして、障害児教育においても同様の傾向が進行しています。
 改めて発達保障の実践と運動が大切にしてきたものを、確かめあっていく職場や地域でのとりくみが求められます。具体的には、真の「自立」「自己決定」「発達」「労働」とは何かを語れるように、私たちの実践の中から概念を掘り下げていく課題があります。「子どもの手のぬくもりで、からだと心の状態がわかる」といわれるように、子どもや仲間と日々の生活や交流を積み重ねるなかで、生命と健康を守り、人格の総体としての発達を保障するために大切なことは見えるようになるのです。そこでは文字通り人生に寄り添う実践が求められるのであり、発達保障は、長い時間のなかで人格という価値を生産する実践を展開してきました。それは、金銭で表現され経済的価値に代替できるサービスではなく、時間と手間をかけて、子どもや仲間との共同作業で、いろいろな困難をのりこえながら蓄積してきた教育や福祉の労働の専門性です。その実践の内実と価値を職場や地域で見つめなおし、わかりやすいことばで、系統的に明らかにしていく活動が求められているのです。

B権利としての発達保障
 第三の研究課題は、さまざまな困難を語ることで終わらず、その困難を憲法や国際条約で定められた基本的人権への侵害として、明らかにしていくとりくみです。障害者自立支援法の応益負担の乳幼児期への導入に反対する運動は、大きな盛り上がりを見せましたが、そのなかで中心的な役割をはたしたのは、保護者のとりくみでした。子どもの親は、「法によってこそ、わが子は守られる」と法のもつ意味をいち早く実感し、憲法、子どもの権利条約、児童福祉法の「総則」に定められた「子どもの権利」をよりどころに、署名を集め、自治体への請願活動に立ち上がったのです。権利保障を前進させるための要求主体の発達が、厳しい情勢のなかで現実的な可能性として芽生えつつあるということです。「個人の尊厳」と「法の下の平等」を守る正義は、多くの人をとらえる人権の原理です。それを人々の胸に落ちることばで表現し、伝えていくという役割が私たちの研究運動にはあります。全国大会をはじめとするあらゆる機会に、実践や運動をレポートなどにまとめ、人に伝え、深化をはかる努力を重ねていきたいものです。
 また、この点では、障害者権利条約の国連での討論が最終盤に向かいつつあるいま、障害者の人権とこれを保障するとりくみの歴史について、学ぶことも重要です。権利条約の制定の議論をひと言でいうと、障害のある人の真の平等を実現するためには社会は何をしなければならないのか、国際的な合意を形成する過程です。そこでは、特別なニーズに対する特別なケアや「合理的配慮」という考え方も提案されており、その内容はまさに、人権と発達の保障の国際的到達点といえるものです。条約の内容を日本の中でどのように実現させていくのか、いまほど私たちの研究運動の真価が問われているときはありません。

C全障研運動をさらに大きく
 「効率化」の原理に実践が支配されている現場であっても、働く人々は子どもや仲間の笑顔にこそ喜びと生きがいを感じているのであり、そこに願いと現実の矛盾が広がっているはずです。これまで交流のなかった人たち一人ひとりとつながりながら、風穴を開け、トンネルを掘るようにして、発達保障の考え方を届けたいものです。だから、さまざまな職場や地域などのさまざまな場所で、サークルや「みんなのねがい」の読者会などを積極的に組織しましょう。そのとき大切なことは、サークルなどの中核になって運営する全障研の会員を広げることです。「団塊の世代」が退職を迎える時期に入ったことも念頭におき、積極的に幅広い世代とともに活動を広げたいと願っています。
 「ピンチこそチャンス」といわれます。厳しい情勢だからこそ、そこでの権利侵害や差別の事実に対して、それを克服しようとする要求も強まっているのであり、その深部の要求を掘り起こしていくことに、私たちの研究運動も貢献したいと願います。
 どうか、全障研第40回全国大会に参加されたみなさんが、全障研に入会していただき、「みんなのねがい」の読者を広げ、地域での学習活動の組織者として、この歴史を人間の幸福のために前進させる活動にご参加いただけるように願って、基調報告を終わります。


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