全国障害者問題研究会
  第41回全国大会(埼玉)基調報告
 
 
                                  常任全国委員会
 
                 

 1 私たちの願いとあゆみ
  −人権を守り発達保障をめざして40年


 今年、全障研は結成40周年をむかえます。
 結成当時、多くの障害児は教育の対象外として就学猶予・免除が強要され、学校教育から締め出されていました。学校に通うことができた障害児も、内面的なねがいや育ちが軽んじられ、社会に順応する教育がめざされました。必要な施設さえ不足し、働けるのに働く場もなく、仕事があっても劣悪な条件の下で過酷な仕事を強いられていました。
 「高度経済成長」政策が遂行され、労働災害や公害、薬害等も多発し、国民の生活と健康の破壊は深刻化していました。背景には日米安保体制のもとで国民を犠牲にした政治・経済体制があったのです。
 障害者は「本来なら当然保障されるべき医療・教育・労働・社会保障・政治参加などの基本的権利までもが剥奪され」「対策はどんどんあとまわしにされ、生きることが精一杯、あるいはそれすらおぼつかなくなるという極限状態に、ますます取り残されて」(結成大会基調報告)いました。
 こうした状況を改善するため、安保条約反対、公害・薬害の根絶、生存権保障を求めた朝日訴訟など国民的な運動が起こりました。世界各地でベトナム戦争反対の運動や女性・人種差別を許さない取り組みも高まっていました。障害者・関係者も、基本的人権の獲得と拡充、人間らしい生活の保障を求める運動をすすめていきました。
 全障研はこのような国内外の平和と人権保障を求める運動を背景に、「障害者の権利を守り、発達を保障する」ことをめざして結成されました。「どんなに障害が重くても発達の道すじは共通である」「発達はタテ方向だけでなく、ヨコへの無限な広がりがある」「能力と人格の発達を統一的に捉えること」などを訴えながら、教育・福祉・労働の在り方を根本からとらえ直していきました。就学権保障、養護学校義務制、後期中等教育の保障、障害の早期発見と療育、放課後・休日の生活保障、共同作業所づくりなど、それぞれのライフステージにおける人権と発達の保障を障害者運動とともに前進させてきたのです。
 しかし、1990年代のバブル経済崩壊後の社会政策は、市場原理と「自己責任」を強調しながら、それまで蓄積させてきた公的な教育や福祉をことごとく後退させました。低い水準ながらも公的な位置づけを持つ措置制度のもとにあった障害者福祉は、この間の社会福祉基礎構造改革により契約と自己負担の原則を採用し、支援費制度を経て「障害者自立支援法」を成立させ、「応益負担」を強いるものとなりました。教育分野でも競争と統制・管理が強化され、憲法の理想の実現を希った教育基本法が改悪されました。このままでは、憲法とりわけ第9条を改悪し「戦争をする国づくり」とすすむことは明らかです。こうした中、多くの人々とつながりながら運動する「障害者・患者9条の会」などのとりくみも広がっています。
 40年にわたる全障研運動の特徴は、障害が重かったり、制度の谷間にある人たちのねがいや要求を基本に据えて、実践の成果を理論化し、政策立案能力を形成しながら、制度の改善や新しい施策をつくりだしてきたことにあります。これは裏返せば、私たちが運動の根本にすえてきた日本国憲法、その諸条項の内実を作り深めることでした。不就学をなくす運動が憲法26条「教育を受ける権利」を深める上で大きな役割を果たしたことは、その典型です。
 昨年12月、障害者権利条約が国連で採択されました。これは人権保障の人類史的到達点を示すものであり、障害者問題に関する世界共通のものさしがつくられたといえます。「条約」は、人権と尊厳が無差別平等に守られ、「排除(エックスクルージョン)」ではない「インクルージョン」の推進がうたわれています。それは、差異と多様性や固有のニーズとアイデンティティが尊重され、人格の発達や潜在的可能性が最大限に引き出されるような社会をめざすものです。このことは社会参加と平等を実現し、障害者を権利の主体としてとらえる発達保障の理念と重なりあうものです。
結成40周年を迎え、これまでの歴史を振り返り、その成果と到達点を学び、残された課題、今日的な新たな課題をとらえ直し、新しい世代にバトンをつなぎながら、次の一歩を踏み出していくことが、本大会の最も大きな意義です。


2 障害者自立支援法実施後の生活の危機とたたかい
@生活の危機〜生存権の侵害
 格差の広がりと貧困の問題が、大きな社会的問題になっています。そこに本人や子どもの障害が加わると、生活はより不安定にならざるをえません。不安定雇用の若い勤労者家族の場合、子どもに障害があると妻は療育に追われ働き続けることができず、医療や療育の費用などの出費が増えるため、生活が苦しくなるといった悪循環が起きます。夫がリストラや早期退職となった家庭では、子どもの障害年金がその世帯の重要な生計費となり家計に組み込まれるため、本人が自立したいとねがっても実現できません。
 そのおおもとには、財界と政府による、競争原理、市場原理の導入を柱とした新自由主義の政策があります。格差と貧困の拡大、国民生活の破壊はますます進行し、失業給付の国庫負担全廃、生活保護の医療扶助の「1割」自己負担や母子加算・児童養育加算の廃止がもくろまれています。さらに「抜本的な社会保障改革」も提案しています。これは「必要に応じた」給付原則から「負担可能な範囲内」の給付原則への社会保障理念の転換です。

A障害者自立支援法による深刻な影響
 障害者自立支援法(以下、自立支援法)は、2006年10月から本格実施となりました。障害者・関係者は、矛盾の多い施策が矢継ぎ早に実施される中でその対応に追われ続け、生活面、精神面で多くの不安を抱えつつ暮らしています。
 こうした中で、悲惨な事件が続発しています。昨年12月には滋賀で、負担が急増し「娘たちの将来が不安」の遺書を残して父親が養護学校に通う娘2人と無理心中しました。
 全国で利用者の退所や利用の手控えや利用料の滞納なども起こっています。10月に、厚労省は「障害者自立支援法の実施状況について」の資料を公表しましたが不備の多いものでした。各地の調査では、岡山で114人が施設を退所し、滋賀で36人が利用料を滞納するなど生活に与える影響は深刻です。
 また、職員の労働条件も悪化しました。単価の削減により賃金のカット、四週六休への逆行など、将来への不安から正規職員の退職が相次いでいます。職員の補充にはパートをあてざるをえず、実践の質の低下が心配されます。市町村の担当者も、事務量の増大、市町村計画の策定、市町村事業の準備などの対応に追われ続けました。自治体労働者と手をつなぎながら、障害者・家族の生活を守る運動を続ける必要があります。

B国を動かした連帯の力
 これに対し、私たちは障害者運動史上最大の1万5000人を結集した10月31日「出直してよ!障害者自立支援法」大フォーラムをはじめ全国各地で共同行動に取り組み、2週間で40万筆、総計62万筆をこえる緊急署名を集め、世論を動かすことができました。その結果、多くの自治体で軽減措置を実現させ、国から低所得対策など3年間で1200億円を引き出すことができました。しかし、これらはあくまで暫定措置であり「応益負担」「日割単価」などは解決していません。今後の財政問題を含む介護保険との統合論は消えたわけではありません。
 また、大きな制度改革のなかで、これまで私たちが大切にしてきた実践観や障害観までが、変質させられる恐れがあります。一般就労を絶対化する施策やグループホームや居宅のサービスなどが提案されないまま地域生活への移行が強要されるなど、たくさんの問題と課題があります。

C「子どもの最善の利益」が保障されない子どもの問題
 自立支援法本格実施とこれにともなう児童福祉法の改悪によって、子どもの分野でもその矛盾が噴出し、応益負担、利用契約制度などの導入が、乳幼児期や学齢期にある子どもと保護者、そして施設に、さまざまな困難をもたらすことが明らかになりました。今年に入って、政府は障害児を育てる家庭の負担を視野に入れ、食費や利用料についての減額策を提示しました。また「障害乳幼児の療育に応益負担を持ち込ませない会」を中心とする保護者の要求運動によって、名古屋市、神戸市、福山市、福岡市、宮崎市など独自に利用負担軽減を実施する自治体もでてきました。しかし、応益負担等がもたらす問題の根本的解決にはいたっていません。
 負担軽減策がとられていない奈良県の通園施設では、昨年10月以降、通園回数を減らしたり、給食をとらない子どもが目立ち、療育集団が形成できないほどだといいます。今年4月からの国の軽減策は所得制限上の改善がありましたが、適用にあたって資産の調査などもあり、問題を残しています。また、子どもの場合、補装具の1割負担や自家用車による送迎などの費用も家庭への大きな負担となっていますから、本来、施設(福祉サービス)利用と合わせた軽減策を検討する必要があります。
 また自治体独自の軽減策があるところとないところの格差という、新たな矛盾も生じています。
 施設の運営については、大人の施設と同様、2008年度までの策が講じられたとはいえ、日額払いをはじめとする根本的な問題点は改善されていません。
 学校教育や学齢期の子どもたちへの影響も出ています。入所施設にいる子どもは施設の生活費の他、修学旅行や校外学習の費用が措置費から実費になったために、保護者にとってはたいへんな負担増となりました。
 放課後の生活への影響も深刻です。児童デイサービスが幼児への療育を中心に実施することになったため、学齢障害児への支援を行っていた事業所の多くが経過措置事業所(3年間、報酬単価3割減額)として扱われ、地域生活支援事業の日中一時支援事業への移行を求められています。その中で、閉鎖に追い込まれる事業所も出ています。中高生を中心に余暇利用に必要だったガイドヘルパーも自治体の裁量でサービスの支給量や報酬単価を決める「移動支援」に変更されました。これらの変更によって、障害児にもサービス量の抑制や自己負担増をもたらし、放課後生活の貧困化が生まれています。
 私たちは、自立支援法が障害児の権利をいちじるしく侵害するものであることを事実をもって明らかにし、保護者をはじめとする関係者とともに政府に対して子どもの権利条約を守るよう働きかけてきました。今後、障害程度区分の適用や児童福祉法の再改正などの動向を的確につかみ、研究や運動を提起するとともに、権利侵害の実態を国連に届けるとりくみをいっそう大きくしていく必要があります。


3 改悪教育基本法と特別支援教育の施行がもたらすもの
@改悪教育基本法の成立と施行元年
 「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意」し定めた日本国憲法の「精神に則り、教育の目的を明示」した教育基本法が、昨年12月15日に改悪されました。1947年教育基本法の根幹である「権力の介入からの人間の自立と尊厳」という規定が壊された日です。
 改悪教育基本法の基本的性格は、@日本国憲法の理念との切断、A「義務としての教育」、社会規範意識、「愛国心」の押し付け、B教育行政による支配と条件整備義務のあいまい化です。その具体化のために「改正」された教育関連三法(「学校教育法」「地方教育行政法」「教員免許法」)では、@義務教育の目標に愛国心を盛り込み、A副校長、主幹など管理職を増やすとともに、教員免許を10年ごとの更新制とし、国が関与する講習を必須として教員への統制を強化し、B国の教育委員会に対する指示・是正要求権を新設しようとしています。
 多くの反対がある中、今年4月24日に全国学力・学習状況調査が障害児学校を含む小学6年生、中学3年生に実施されました。かつて行われた学力テストでは、学校や市町村単位で点数を競う風潮が強まり、テスト当日に成績の悪い子を休ませたりする弊害が生まれました。「学力テスト」によって今後、競争が激化し、障害のある子どもや特別なニーズを持つ子どもたちが、再び通常の教育から排除されることが危惧されます。

A特別支援教育法制元年に何が行われようとしているか
 4月から「改正」学校教育法が施行され特別支援教育が本格的に始まりました。
 小中学校では、特別支援教育をすすめるために、校内委員会を設置し、中心になって役割を果たす特別支援教育コーディネーターを指名することになっています。文科省や市町村教育委員会は、そろって100%に近い割合でその体制が整ったと報告しています。しかし、校内委員会といっても実際にはほとんど機能していなかったり、コーディネーターになった障害児学級担任が、特別な支援を必要とする通常学級在籍児の増加に追われているという実態も生じています。
 盲学校、聾学校、養護学校が統合された特別支援学校では、センター機能と呼ばれる、小中学校等に在籍する障害のある児童生徒等の教育に対する必要な助言・援助が努力義務とされ、各地で取り組みが始まっています。こうした相談活動や地域ネットワーク作りを行う担当者は校内の自助努力で捻出するため、支援を活発にする程、学校に在籍する子どもにかかわる教員が少なくなり、実践が困難となります。「障害の種別と程度に応じて特別な場で行う特殊教育」から「一人一人のニーズを把握して必要な支援を行う特別支援教育」への転換が謳われましたが、今回の「改正」では教職員定数をその特別支援学校で学級数の最も多い障害種に基づき算出する方式としたため、知的障害の多い特別支援学校に肢体不自由児や医療的ケアを必要とする子どもが在籍しても、障害への必要な支援を行う自立活動教諭を配置することはできません。その他にも多くの矛盾を抱えたままのスタートです。
 各地で障害児学校の再編が進んでいます。その特徴は、@特別支援学校化、A聾学校や肢体不自由校の統廃合が、障害種別の枠を取り払うことで加速化していること、B企業就労を目的にした高等養護学校の開設や高等部のコース制など、一般就労に教育の目標を偏重させる動きが強まっていること、C能力主義的再編が新たな装いで展開され始めていることです。
 埼玉では普通高校の空き教室に、特別支援学校分校が新設されますが、スクールバスがないため、実質的に知的障害が「軽い」子どもが対象となります。障害児学校が通常学校と場所的に統合することは、実践的に吟味されるべきことですが、今日の統合は、障害の「軽い」子どものみを対象として能力主義的教育を強めているところに問題があります。
 子ども理解や授業づくりにかかわる問題も指摘する必要があります。個別の指導計画、個別の(教育)支援計画など、“個別”が強調されています。アセスメントを経て、子どもの実態をとらえ、個別の指導計画を作成する、そしてPDCAサイクル(Plan-Do-Check-Act:計画−実施−評価−改善)が提唱されています。しかし、子どもを理解するときに「客観的」との理由でチェック表が用いられるだけだったり、計画には数値目標が義務づけられたりします。安易なマニュアル化した“個別化”はかえって“画一化”へとつながる危険があります。教育実践における子ども把握の要は,子どもの内面理解にあります。私たちは、日々子どもへの働きかけをとおして、子ども理解を深化させています。その時々の実践は,それまでにつかんできた子どもの感情・意欲・志向性を含む内面理解を基にしており、その理解は子どもの姿から常に修正されていきます。不断の子ども把握の深化によって,次の課題をも含む子ども理解が可能となるのです。ここに教育実践における教師の子ども把握の真骨頂があります。
 特別支援教育の進行に合わせて、教員には成果主義的人事管理が導入されています。「教員を評価して給与や昇格などの処遇に差をつければやる気が高まる」というものです。しかし、「評価」が賃金格差につながる人事政策は,教員の意欲向上に結びつきません。むしろ、管理統制の強化につながります。目に見える短期的な成果の追求は,教育活動の正しい評価にはならず、数値目標の強調は,教育目標をゆがめます。これでは、学校が子どもたちの安心できる居場所ではなくなります。学校運営には,競争しあう関係ではなく,子どもの声を受けとめ,同僚教員同士が相互に実践を検討しあうことで教師としての力をつけていく“育ち合う関係”こそが求められています。これを基礎に、保護者、住民との共同を地域から創り出していきましょう。

B教育権保障をさらに発展させるために

 新たな教育権保障の運動が各地で粘り強く展開されています。義務教育猶予免除の学齢超過障害者の教育権回復の取り組みとして、訪問教育高等部への受け入れ(兵庫)が認められました。養護学校高等部に続く専攻科の設置運動も、2006年4月に鳥取大学附属養護学校に国・公立で始めて実現し、運動としても和歌山で新たに「紀南養護専攻科を考える会」が設立されるなど、教育機会の拡充の運動が広がっています。適正配置を求める特別支援学校の新設運動なども各地で進められています。
 障害者権利条約の教育条項では,「あらゆる段階におけるインクルーシブな教育及び、インクルーシブな生涯学習」(「一般教育制度から排除されない」)が提案されています。インクルーシブ教育は、通常学級に障害児をただいっしょにすることでも、障害児学校の役割を否定するものでもありません。「場」の問題としてのみ狭くとらえるべきではなく、教育全体を変革しながら、障害児を含めたすべての子どもの教育を豊かに保障していくものです。通常学級か特別支援学級か特別支援学校かという択一的な選択ではなく、障害児に必要な教育的ケアを総合的に保障する観点から検討していくことが必要です。


4 研究運動の課題

 障害者権利条約が制定されるまでに至った国際的到達点と、自立支援法に代表される日本国内での権利侵害のせめぎあいのなかで、全障研は結成40周年を迎えます。今、研究運動に求められるのは、障害者の生活がいかなる変化をこうむり、困難に直面しているかを、広範な事例で明らかにすることです。特別支援教育の本格実施や教育基本法の改悪のもとで、障害児教育がどのように推移していくのかも、注意深く見守る必要があります。
 具体性があり、わかりやすいことばや映像で表現された調査や報告は、人々の想像力を喚起し、その生活実態への共感的理解を高める力になります。マスコミなどの媒体にも訴えて、広く国民の心に届くようなとりくみを展開しましょう。わが国において、基本的人権が脅かされている人々は、障害者にとどまりません。そうした人々と課題を共有し、手をつなぐためにも、障害者の生活の困難をつまびらかにしていく取り組みが緊急の課題となります。
 その実態把握を力にして新しい時代を切り拓いていくために、私たちの研究運動には何が求められているのでしょう。

@ 権利保障の歴史、基本的人権の包括的規定としての日本国憲法を学び、権利の主体者としての自覚と認識を高めあう学習運動を展開しましょう
 人間の生存が粗末にされる歴史を繰り返さないという反省のうえに立ち、すべての人々の存在価値の承認を求める粘り強い運動によって、「人間の尊厳」は一歩一歩確立されてきました。しかし、わが国においては、民主主義を否定し、戦禍によって多くの生命を奪った歴史への反省を込めて制定された日本国憲法のもとでも、障害者をはじめとする国民の人権は、さまざまに制限されてきました。戦後60余年は、その矛盾を克服していくための権利保障のたたかいの歴史でした。だからこそ私たちはたゆまず、日本国憲法によりながら国民に保障されるべき基本的人権について学び、権利主体としてのたしかな自覚と認識を共有し合いたいと思います。また「自己決定」「自己実現」が「自己責任」にすりかえられ、「選択の自由」としての「自由権」のみが強調されている政策動向を批判し、生存権、教育権、労働権などの「社会権」が十分に保障されてこそ基本的人権は実質化していくことを、社会に訴えたいと思います。
 さらに、障害者権利条約が採択された今、日本における批准を求めるとりくみの一環として、その内容を学び、国内法の問題点を明らかにしていく研究が緊急の課題です。
 このような権利学習は、たしかな運動のエネルギーを作り出します。たとえば、自立支援法によってわが子の「療育を受ける権利」が著しく制限されることを知った保護者は、障害乳幼児の療育に応益負担を持ち込ませない会の呼びかけに応えて、各地で子どもの権利条約や児童福祉法の学習にとりくみました。そして、障害があろうとも等しく「子どもは子ども」としての権利を持っていることを認識するなかで、運動への確信を深めていったのです。折りしも今年は児童福祉法制定60周年にあたります。「子どもの権利」をわが国に確立していくために共同のとりくみを前進させたいものです。

A「自立支援法」や特別支援教育によってもたらされる実践の変化をリアルにとらえ、あらためて発達保障にとっての「集団」や「共同」のたいせつさを確認していく研究を重視しましょう。
 「契約」によって提供されるものは、金銭と等価交換されるサービスです。商品として扱われるゆえに、サービスの提供に要した時間などの測定可能な「量」として表現されるものに限定されることになります。また、障害程度区分に代表されるように、身体機能などを中心にした測定可能な指標が重視され、その人が地域や家庭においてどんな生活の困難をもっているのかという、社会的関係における障害の理解はなおざりにされています。
 そのような状況のもとで、福祉、教育における実践が個別化され、人と人とのかかわりや集団における指導が、しだいに軽視されるようになっています。私たちはこれまで、障害や生活の実態などの多様性を大切にして、共同し、発達しあう実践を蓄積してきました。さらに、障害の重い人たちの存在や活動の価値を認め合うことができるような集団発達の事実を、発達保障の実践は蓄積してきたのです。しかし、たとえば作業所に通所する仲間が障害の程度によって、新しい事業体系の就労移行支援、就労継続支援、生活介護などにふりわけられつつあり、個人が分断され集団が解体されかねない状況になっています。職場や地域で実践を語り合うことで、私たちが大切にしてきたことを確かめ合い、発達の事実を広く明らかにしていきたいものです。
 そもそも福祉や教育は、人と人との相互理解、人から人へのはたらきかけなど、金額には置き換えられない「質」を大切な内容としています。その質を高めていくことが発達保障の実践の要であり、障害者、家族、職員、教員、地域の人々などが対等の立場で共同することによって、より良い実践が模索され、工夫され、発展していくのです。契約によって金銭が仲立ちする等価交換の関係は、この共同の過程を見失うことにつながり、障害者、保護者、事業者、職員のあいだに、分断をもたらす危険性があります。その問題点をはっきりと指摘していく研究運動とともに、何が障害者にとって「幸福」であり「健康で文化的な生活」なのかを語り合い、発達保障の理念を創造的に共有し合っていくとりくみが求められています。

B全障研40周年にあたり、発達保障の理念と歴史を多くの人々と共有する研究運動を進めましょう
 私たちは、人間の尊厳と幸福追求権を尊重し、発達を権利として保障していく実践と研究運動を進めてきました。その発達保障の理念を実現するために、障害者をはじめ、発達と障害をどう認識し、どうはたらきかけるのかという広い意味での教育実践の研究運動、そして実践を進めていく基盤としての権利要求を支える研究運動を、総合的に進めてきました。その視野の広さと共同こそ、発達保障の大切な要件といえるでしょう。発達保障の歴史を学び、あらためて確信を持ちたいと思います。結成40周年を記念して出版された『障害者の人権と発達』は、その絶好のテキストとなるでしょう。
 私たちは、実践と研究運動において、自己変革の主体としての発達の可能体として認識すること、障害という特殊性を持ちながらも、普遍的な人間存在としての人格を持つこと、集団のなかで仲間とともに発達することで、能力の縦への発達ばかりではなく人格の横への発達という豊かさを獲得していくことなどを確かめ合ってきました。
 今日の社会に目を転じると、このような理解は、障害者にとどまるものではなく、すべての人の発達保障にとって必要な視点として、いよいよ認識されるようになっています。たとえば、「自己実現」が集団や共同という基盤を欠き、競争的な社会のなかで個人の課題として閉鎖的に追求されていること、そのために自分のことを肯定的に認識し、受け容れることがむずかしくなっていること、その結果として一人ひとりを大切にしながら手をつなぎあう共同がいっそう困難になっていることは、看過できない現実ではないでしょうか。
 このような人格発達の困難の背後には、「競争原理」を旨とする社会のあり方、新自由主義的政策が大きな要因として横たわっています。その政策を改めていくためにも、障害者の発達保障にとどまらない、広く国民、諸分野と連携する運動が、求められているのです。
 多くの人々と手をつなぐために、私たちは次のことを大切にしたいと思います。一人ひとりの要求を大切にして耳を傾けること、具体的でイメージしやすいことばで語り合うこと、新しく参加する人に対して一からの説明をいとわないこと、そして意見の違いを大切にして一致できることを粘り強く追求すること。
 そんな全障研の基本姿勢を大切にした月刊誌「みんなのねがい」、研究誌「障害者問題研究」は、国民のみなさんに大切なメッセージを届ける大切な役割を担っています。大いに広めましょう。

 安倍首相は、国民投票法を成立させ、本気で日本をアメリカの戦争に参加する国にしようとしています。最大の標的は憲法第9条であることは明らかです。障害者は平和でなければ生きられません。私たちは、改めて平和と人権を守り、すべての人たちの発達を保障するための研究運動をすすめていきましょう。



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