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全国障害者問題研究会
第43回全国大会(茨城)基調報告


                         
 常任全国委員会



 はじめに

 「年越し派遣村」に代表されるような、日本の社会保障の貧困が露呈される事態があらゆる分野で生じています。私たちはいま、日々、目の前に起きていること、ニュースで伝えられることの根っこに何があるのかをしっかりと見定める必要があるのではないでしょうか。障害のある人びとにかかわる分野では、障害者自立支援法が成立して3年目にあたる昨2008年10月31日、「障害があってもふつうに暮らしたい」「障害を個人の責任とする法制度は違憲」と、全国から29人が裁判に訴えました。今年09年4月には二次訴訟33人が加わりました。今大会の基調報告にあたって、情勢を見定める座標軸をこの訴訟から考えたいと思います。
 まず第1は、障害のある人の権利についての軸です。まだはじまったばかりの訴訟ですが、各地で開かれている口頭弁論における原告の陳述からは、障害のある人が人間らしく生きるために必要な支援は権利として保障されるべきことが、事実をもって伝わってきます。
 原告の一人、五十嵐良さん(埼玉)は、「作業所で行われている活動は、サービスでも益でもありません。生きて働くことそのものなのです」と訴えています。こうした原告の訴えは、いずれもわが国の障害福祉の基本と真っ向から対立します。訴訟を通じて、福祉サービス利用の費用負担の不当性や、生きるために必要な最低限の支援さえ時間で制限されていたりメニューはあっても地域に事業所がないという現実は権利侵害であり、ただされるべきは日本の障害福祉政策なのだということが具体的に浮き彫りにされています。こうした法廷での議論を広く知らせることによって、障害者が障害のない人と同じように普通の市民としての生活を送ることができる社会を、社会全体の目標にしていく展望が開けていくでしょう。
 またこの訴訟には、わが子の就学保障や作業所づくりなど、障害者の権利保障運動の牽引車としてがんばってきた保護者が多数参加しています。学校教育のとびらを開き、石を積むようにしてさまざまな制度をきずいてきた人びとです。訴えはわが子に必要なケアを求めてきたという形をとっていますが、底に流れている、権利とは何か、権利を保障するとはどういうことか、ついて、おおいに学びあいたいと思います。
 第2には、共感と共同・連帯という軸です。いま、生活保護制度の老齢加算廃止・母子加算廃止の取り消し、「派遣切り」・非正規雇用の正規雇用化、公立保育所の民営化に反対する訴訟など、健康に暮らし、働き、子育てをするというあたりまえのことを実現するためのたたかいが、あらゆる分野で繰り広げられています。自立支援法訴訟は、こうした全国に広がる生存権をかけたさまざまなたたかいとのつながりを強めています。
 全国津々浦々で生存権をかけたたたかいがつぎつぎと起こっていることは偶然ではありません。2002年以来、政権与党によって毎年、社会保障予算自然増分2200億円の削減が実行されてきたことにより、福祉制度の現状維持さえままならない事態が引き起こされて、困難をかかえた人びとの暮らしはいっそう痛烈な打撃を受けています。「構造改革」、規制緩和の名のもと、非正規雇用や派遣労働が広がり、昨年秋以降の経済不況によって障害者の首切り、作業所への下請け切りも広がっています。社会保障・社会福祉の分野の公的責任の後退によって福祉制度から遠ざけられてしまった人びとの、あらゆる方面からのやむにやまれぬ人間としての叫びが、司法に訴えるたたかいになっているといってよいでしょう。
 広島の原告である秋保和徳さん・喜美子夫さんは、この訴訟を「人間社会の基本を問いなおす大切な訴訟」だと言っています。応益負担をはじめとする自立支援法の諸問題の根源も、日本の社会保障・社会福祉の構造改革路線にあるのです
 第3には、国際水準の軸です。社会発展の過程において蓄積されてきた人権保障という鏡に、わが国の障害者と家族の生活を映し出したとき、現状の問題点はいっそう明らかになることでしょう。
 障害者権利条約は、すべての人に保障される人権は障害のある人にも保障されるべきであり、例外はないこと、障害を理由にした差別を是正し、平等を実現する制度・施策をつくる責任が国にあるといった原則のもとに、あらゆる社会生活上の権利に言及しています。権利条約の批准に関して、条約に抵触する国内法の見直しが焦点になっていますが、自立支援法がその一つであることはいうまでもありません。
 このような「軸」を共通にもって、以下、情勢をみていくことにします。


1 自立支援法・障害者基本法の改正と障害者権利条約

 現在、わが国の障害福祉をはじめとする国内施策の今後にとって重要なカギを握る、障害者自立支援法、障害者基本法、障害者権利条約の三つの法規のあり方が、相互に関連しあいながら、行政、関係団体で広く議論されています。まさに2009年は10年後、20年後を左右する年だといえましょう。
 2008年は、障害者自立支援法の「見直し」の議論がなされた1年でした。関係者の反対を押し切って成立した自立支援法はたくさんの問題点をもっていたため、自己負担軽減策をはじめとして、2度にわたって特別措置などが実施されました。そして2009年度には施行から3年を経て法の附則にもとづいた法律そのものについての「見直し」がなされる予定でした。しかし、社会保障審議会障害者部会がまとめた報告(2008年12月)は、特に応益負担、日額報酬単価、障害程度区分など自立支援法を悪法たらしめた本質的な問題の改善についての提案はみられませんでした。以後、与党のプロジェクトチームでの議論を経て、今年度は報酬単価を中心とした「見直し」が実施され、さらに障害者自立支援法改正案が3月末に上程されました。
 改正案は「応益負担」にたいする圧倒的な批判の前に、関係条文に「家計の負担能力」等を考慮する旨を加えましたが、内容はこれまでの「特別対策」等の一時的な措置を固定化したにすぎず、費用の自己負担という本質的な問題は残ったままです。そのうえ法附則で検討事項となっている障害者の範囲や所得保障については、ほとんど改善がありません。
 また4月からの報酬単価改善では、基準より職員を多く配置したり専門職を配置した場合の加算というように、事業者の努力に対して報酬を出す成果主義がいっそう色濃く貫かれています。障害のある人の生活と発達を保障する日々の実践の基盤となる安定した施設運営のためには、今般の新型インフルエンザ流行による休所で矛盾が指摘された日額報酬制にこそメスを入れるべきでしょう。介護保険制度との統合のためには、応益負担と日額報酬制という骨格はなんとしても残さなければならないという、与党と厚生労働省のねらいが図らずも露呈した改正案だといえます。
 二つ目は、障害者基本法の見直しに関する動きです。今年は同法の定期的な見直しの年にあたります。基本法は、国や自治体が実施する障害者施策の基本的理念、「障害者」や「差別」の定義を規定していますので、本来、この時期、障害者権利条約に照らして矛盾しないよう抜本的に改正されなければなりません。内閣府による障害者団体ヒアリングではそうした意見が相次ぎました。特に焦点となっているのが差別禁止の規定です。権利条約の原則である差別禁止に正面から取り組むためには、実効性のある差別禁止法制を新しくつくることが求められています。しかし政府は、現行基本法の差別禁止規定を手直しする範囲でまとめようとしています。障害者の定義についても同様に、現行枠組みを変更しない方向です。
 三つ目は、権利条約の課題です。権利条約については3月に一度、政府の重大な動きがあり、今国会で批准するために閣議にかけられる段階に至りました。しかし、日本障害フォーラム(JDF)は「国内法の改正のもとでの批准を」と声をあげました。政府との意見交換も回を重ねていますが、現在もまだ継続中であり、厚労省や文科省などすでに意見交換会を複数回開催した省庁の関係でも、国内法の整備が条約の前提の水準にあるという合意に至っていません。現状是認の安易な批准ではなく、法改正や新しい法律の制定など条約の理念を実質化する国内の整備を前提に批准を求めていくことが課題になっています。
 以上のような情勢をしっかりとつかみ、障害のある人びとと家族のねがい、日々の実践の充実と結びつけてとらえ返していく姿勢がいっそう重要な時期にあるといえましょう。


2 乳幼児の療育と保育制度をめぐって

 自立支援法の見直しと同時に議論された「障害児支援の見直し」では、児童憲章やときには子どもの権利条約が理念にあげられ、施策の根拠を児童福祉法にすべきことや、家族支援、ライフステージに応じた支援策など、これまで各地で地道に取り組み要求してきたことが今後の支援施策の柱として取り上げられています。児童デイサービスを児童福祉法にもどすことや放課後活動の制度化が実現する見通しです。しかし、ここでもおおもとの自立支援法同様、応益負担、契約制度、日額単価報酬制の改善には言及されませんでした。加えて子どもの分野では、自立支援法施行のさいに「宿題」とされていた障害児施設の再編と、保育所制度の改悪という大きな課題が目前に迫っています。
 自立支援法の改正案にあわせて示された児童福祉法改正案の障害児施設再編には、@通園系と入所系を別立ての体系にする、A障害種別をなくすという大きな枠組みの下、B通所系は一本化し市町村の実施主体とするという大きな特徴があります。乳幼児期は身近な地域に通える施設がもっとも必要とされる時期ですが、制度や条件整備の不十分さから療育に毎日通いたい、すぐに通いたいと思っても通えない子どもたちがたくさんいるのが現実です。このほど通園施設・児童デイサービス関係団体がまとめた「発達支援のためのリソースマップ」でも地域偏在は明らかです。今回の改正は、通園施設の障害種別をなくし、児童デイサービスを通所体系に位置づけることによって、こうした問題を解決しようというねらいがあるようですが、療育機関のそもそもの不足、地域間格差にねらいを定めた量と質の整備を打ち出さない限り根本的な解決はありえません。同時に応益負担などの自立支援法のしくみをなくすことこそが求められているのです。
 入所施設については、重度の障害を含めて多様な障害と困難な家庭事情を背景としてもち、幅広い年齢の子どもにたいして24時間の生活を支援しているという現実を直視した改善が急務です。施設でのおやつや行事など細かなところでも、措置から契約に変更した子どもにたいして不利益が生じていることが報告されています。また今回の法改正に対して、18歳を超えて入所している者も多い重症心身障害児施設から不安の声が上がっています。入所施設を利用している子どもたちの不安や要求は聞く努力をしなければ聞こえてきません。声をあつめ施設のあり方を検討していく取り組みをすすめていく必要があります。
 子どもをめぐってもう一つの重要課題は、09年2月に出された社会保障審議会少子化対策特別部会第1次報告書のいう、いわゆる「新保育制度」です。市町村の保育責任をなくす、保育の必要量の判定、保育所との直接契約、それらのもとづく給付など、自立支援法を引き写したような制度が提案されています。
 30年以上にわたる保育所での障害児保育実践の蓄積によって、保育所は障害乳幼児にとって代替できない役割を担うに至っています。しかし、大量の待機児をかかえ保育条件も悪化しているなか、「新保育制度」はそもそも障害のある子どもの保育所入所を困難にする可能性があります。
 障害児を育てる保護者は、深い悩みをかかえながらも、子どもたちが生きやすい社会になるように子育てに取り組んでいます。いま求められていることは、育てにくい子どもの子育て支援、障害の早期発見と対応、子どもにかかわる機関、団体の連携、地方自治体の子どもに対して果たすべき公的責任を放棄させない団結と運動をひろめ、障害のある子どももない子どもも、すべての子どもの健やかな発達と幸せのために力を合わせることです。


3 教育の本質の追究と特別支援教育の課題

<「特別支援教育推進」の現実>
 「特別支援教育推進」の旗は振られているのですが、障害児学校・学級の現実に目を向けると、教育や学校の本質を問わざるを得ないような問題が各地に広がっています。障害種別の学校の安易な統合、在籍者の急増にもかかわらず教育条件整備がおいつかないために学校教育の最低条件である「教室がない」という事態、開校時の想定をはるかに超え300人以上の大規模校になっても適切な改善がなされていない、「税金の払える障害者に」と言ってはばからない方針のもと「就職可能」な子どもの教育に優先的に予算を配分する等々。東京では肢体不自由校に対して教科指導の生徒への講師加配は認めるが重度の生徒のためには認めないといった差別的な予算の重点配分までも行われています。こうした施策をスムーズに推進していくための上意下達の学校運営、人事考課制度の強化による教員管理によって、教職員の話し合いと合意にもとづく職場づくりが否定されてきています。
 また、障害児教育の現場では、近年、法律に配置が定められた教職員だけでなく、看護師、介助員、特別支援教育支援員、ボランティアなど異なる職種の働き手が加わってきました。一面では、正規の教員配置をおざなりにしたままで、あるいは十分な教育的な議論を欠いたままで、安易に人手を確保するだけ方向の施策に流れていく傾向が否定できません。たとえば、東京都の肢体不自由校の一部ではじまった契約の介護職の導入は、教員は車いすの移乗や排泄介助などをせずに「本来の授業に専念できるように」という理由づけがされ、しかし同時に自立活動担当教員が大幅に削減されています。私たちは、直接身体に触れた介助や医療的ケアを含めて、子どもの生活をまるごとつかみ働きかけることが教育実践をすすめる上で大切だと確認し、そこに教育の専門性を見出してきました。くわえて子どもの小さな声を聞きとりそれに応えるために十分な教員が配置されるべきだと訴えてきたのです。教育と介助を単純に切り分け、教育の専門性を細分化させるような東京都の今回の動向はこうした蓄積を十分に吟味した上でのものかどうか疑問です。

<二つの動向〜学習指導要領改訂と就学指導をめぐって>
 教育基本法および学校教育関連三法の改悪を具体化する形で、特別支援学校の学習指導要領も改訂されました。改訂の中心課題である愛国心や規範意識などの徳目の押しつけは特別支援学校にも及びます。特別支援学校の教育課程を構成する内容については、自立活動に新しく「人間関係の形成」が項目化され、知的障害教育の高等部に「福祉科」などが新設されました。また、ゆたかな文化を通した学習が軽視され、職業教育偏重に代表される実用的知識・技能の習得が重視される古典的特殊教育の論理も、いっそう強調されています。
 今回の改訂のもっとも大きな問題点は、個別の指導計画や個別の教育支援計画の作成が全般にわたって義務づけられたことです。子どもの人格形成に向けたていねいな指導をすすめるのではなく、短期的数値目標とその成果の評価のもとでの指導のマニュアル化に拍車がかかることが懸念されます。つまり、「どんな子どもに育てるのか」といった教職員による議論にもとづいて学校の教育課程を決め、それとの関係で日々の実践を組み立てていく教育ではなく、「できる」課題を寄せあつめた教育に流れていかないように十分注意が必要です。
 学習指導要領改訂とほぼ同時に、特別支援教育の推進に関する調査研究協力者会議の中間まとめが出されました(09年2月)。その主たる検討課題は、障害者権利条約の批准を視野においた就学指導・支援のあり方に向けられています。関係者の中には、条約の趣旨を恣意的に解釈し、単に就学先を「分けない」こと、あるいは通常学級が原則で特別支援学校・学級は例外と位置づける動きがある一方で、中間まとめは、特別支援教育の理念はインクルーシブ教育と同じだとして、保護者の意見の聴取に言及しつつも、択一的就学システムを改革しない意図が示されています。
 また、中間まとめで構想されている就学支援システムにおいては、入学後の教育内容を含めて就学にかかわる「個別の教育支援計画」を市町村教育委員会が作成するという方向をとっています。しかし、教育委員会が責任をもつことがはたして現実的なのか、学校が責任をもつべき教育内容と「支援計画」との間に齟齬を来さないか、十分な検討が必要です。
 こうした文科省の動向もふまえつつ、インクルーシブ教育は何をめざし、どのような条件整備や教育内容・方法が求められているのか、ていねいな検討が求められます。同時に、わが国においては、通常の教育がインクルーシブ教育の理念に逆行し、成績向上や効率化にそぐわない子どもを排除する傾向を強めていることを批判し、30人学級の実現など、子どもの学習権を保障する教育改革の課題も重視すべきでしょう。

<広範な人びととともに>
 特別支援教育推進のもとでつぎつぎに打ち出されるメニューは、「教育的ニーズ」などのことばもつかい、現状の問題が解決されるかにみえる部分もあります。しかし私たちは、つねに学校とは、教育とは、と問い返し、子どもにとって何をすべきなのかという視点で、一つひとつ検討していくことを怠ってはならないでしょう。そのさい、通常教育、障害児教育双方にもたらされている困難の根っこは同じであるという認識をもって眼前の課題に取り組むことが、以前にもまして重要になってきました。特別支援教育制度が本格的に始動して3年目を迎えたいま、発達障害の理解と支援、通常の学級・学校の体制のあり方、特別支援教育コーディネーターの取り組みなど、通常学校と障害児学校の教員が、子ども理解や実践について、事実にもとづいて話し合うことができるようになったことを共同の力に押し上げ、学校教育の前進に向かう一歩にしていく必要があります。
 私たちが積み重ねてきた権利としての教育を発展させていくことは、障害者権利条約が示す「社会への完全かつ効果的な参加とインクルージョン」の実現の道につながっていることを確認しつつ、実践・研究をすすめていきましょう。


4 研究運動の課題

 障害のある人とその家族の人間的な諸権利を守り、その発達を保障する課題、そうした課題の実現に自らの生き甲斐を重ねようと努力している多くの人たちのまっとうなねがいを実現していく課題は、今日の社会情勢の下で、たいへん厳しい状況に置かれています。先達が、多くのねがいを結集し、制度の民主的な諸規定を活用して切りひらいてきた権利保障の到達点も、近年の矢継ぎ早な「改革」の下で、きわめて乱暴に突き崩されようとしているようにみえます。また、毎日の生活の課題や多忙化する職場の課題に追いまくられ、そうした動向にたいする怒りや矛盾を語り合う時間すらつくりづらくさせられています。そこに、「自己責任」などの考え方が持ち込まれることで、矛盾が個人の問題にすり替えられたり、その解決も競争的な方法に導かれがちです。こうした状況に向き合い、おかしいことは「おかしい!」と言いあって集団的・社会的な解決の展望を切りひらいていく上で、研究運動の課題とすべき点を提起します。

(1)日々の実感と事実からはじめる研究運動
 「何かおかしい」と思っても、そのことをていねいに確認する機会もないまま、日々が過ぎていっているということはないでしょうか。だからこそ、私たちは、研究運動の出発点を、目の前で生じている事実をていねいにとらえ、そのことのもつ意味を語り合い、確かめあうことにおきたいと思います。
 日々の中で感じる怒りや疑問、あるいは感動の意味を十全にとらえることは、一人できることではありません。具体的な事実と、そこで生じたわたしたち自身の感情・感動をことばにして語り合い、それらのもつ意味を確かめあったり、確かめるための仮説をつくりだしたり、という活動が必要です。
 自らの経験をことばにして表現し、他者に聞いてもらうことは、それ自体が喜びであるとともに、自分の経験の意味をとらえなおしたり、自らの感情の源泉を見つめ直す契機になります。仕事や生活に追われ、ゆとりのない毎日の中だからこそ、自らの経験を語り、その意味を確かめあうことを、集団で意識的に追求しましょう。

@権利侵害の事実を明らかに
 近年の「改革」の少なくない部分は、国民のねばり強い運動によって築き上げられてきた権利保障の基盤を乱暴につきくずそうとする性格をもつものです。しかし、この間の障害者運動、国民の権利保障運動の到達点を反映して、そのような権利侵害の意図を露わに示すことはできず、たとえば「個の尊重」といった一見進歩的なポーズ、「選択の自由」といった従来の制度の不備や弱点を改めるかのような構えをとります。だからこそ権利侵害の事実をリアルにとらえることが不可欠です。
 加えて、権利侵害は昨今の「改革」によってのみもたらされるわけではない、つまり「改革」の是非を論じることとは別の問題であるとの認識を明確にする必要があります。たとえば、この間、特別支援学校の在籍者数が大きく増加していますが、1台のスクールバスに乗車する子どもの数が増え、子どもを拘束に近い状況に置かざるを得ないということはないでしょうか。在籍児童生徒数の増加に見合った学校の新増設や施設設備の増強、人員の配置がなされないことによって、特別支援教育の理念にさえ反する権利侵害の事実が多面的に生み出されているのです。

A実践の中で生み出される発達の事実を大切に
 「改革」動向のもう一つの特徴は、教育や福祉の営みの定型化・マニュアル化をすすめようとする強い志向性です。こうした動向は、本質的には教育や福祉に対する公的責任を切り詰めて、可能な最大の範囲で「民間」「市場」に切り売りし、企業などの食い物にするとともに公的財政支出を極小化することをねらうものですが、そのための方途として、一見「科学的」な、実践の目標の数値化と検証、取り組み方のマニュアル化などがすすめられています。実践における目的意識の明確化や方法の検証、そこで得られた成果の教訓化などは必要なことですが、それが効率性だけを意図して行われたり、本来代替不可能なものを、交換可能なものに置き換える意図で持ち込まれるならば、人と人との関係は、よそよそしい「カネ」と「サービス」の関係に置き換えられ、実践の生命は破壊されてしまいます。
 こうした動向に対峙して、かけがえのない人と人との関係を基盤とした実践を守り、発展させていくためには、実践の中でこそ生み出された生活の輝きや、それを基盤にした人間的発達の事実をていねいに確かめあい、その値打ちをリアルに語ることばを紡いでいくことが不可欠です。ここでは、とりわけ教育や福祉の現場における実践のあり方にかかわる問題にしぼり、理論の生成・発展の急がれる課題をいくつか提起したいと思います。
 第一に、「集団と発達」をめぐる課題です。「発達は集団の中で」と言われることを、子どもやなかまの実態に即しながら、よりリアルに検討できるような実践研究が求められています。第二に、「関係」をめぐる課題です。「かけがえのない関係」の下で実現される発達の質とはどのようなものであるのかが明らかにされる必要があります。第三に、障害特性に関する議論および「特性に応じた指導・対応」をめぐる課題です。障害と発達の関係やその発達的変化、そこに人間的に働きかける諸実践の意味と原則などをていねいに吟味していく実践研究が求められています。こうした問題の解明に取り組むにあたって、要となることは、「人間的発達の事実」の析出と、そのいきいきとした意味づけの取り組みです。「人間的発達の事実」が、なぜ人びとの感動を呼ぶのか、そこに含まれる運動や実践の「意味」を一般化する質をもつ理論活動が求められています。

B地域間格差の拡大と地域の特性
 事実をもとに情勢を批判的に吟味し、発達保障の実践を鍛えあっていく活動をすすめていく上で、もう一つ留意すべき点は、この間の「地方自治なき分権」の加速化の下で、地域間の違いがこれまで以上に大きくなってきていることです。こうした状況は、放置するならば「私たちの地域のことは私たちの地域の人にしかわからない」という感覚を通して、全国的な研究運動への動機を奪ったり、真摯な討論の成立を難しくしたりしかねません。
 日本のどこに生まれても、ひとしく生きる権利が保障されるためには、日本国憲法などの示す人間的諸権利を国の責任で保障する課題と、それぞれの特性を生かして地方自治のもとに地域を発展させる課題を統一させて取り組みをすすめる必要があります。このことを実現するのは、第一に、地域ごと、自治体ごとの研究運動の活性化であり、第二にそれらの成果を旺盛に交流することで、地域ごとの課題とともに、地域を越えた課題をも明らかにしていく活動です。大会開催地の茨城では、これまで全障研茨城支部が中心になって歴史や教育、労働など基礎的な調査を重ねてきました。とりわけ6年間にわたり県内の障害者状況の開示を行政に求め、実態を分析、公表するという地道な研究活動の結果、行政の責任で障害者雇用に実態を公表するという変化が生まれています。こした経験におおいに学び、各地域の経験の交流と、地域を越えた課題の解明に取り組みましょう。

(2)連帯にもとづく幅広い共同を基礎に、実践・運動に歴史的な展望を
 今日、障害児者・家族の生活と発達、そこに人間的な輝きをつくり出そうとする実践者の労働と生活は、厳しい情勢に対峙させられています。日本国憲法やそのもとでの法制度の民主的な側面を生かすことによって、一つ一つ積み上げてきた障害者の権利保障運動の到達点が、あっという間に突き崩されていくような印象を受けることもあります。
 しかし、あらためて歴史に目をやると、障害児者・家族の権利保障の取り組みは、確実にその歩をすすめ、制度的な基盤をきずき、同時に幅広い国民に共感の輪を広げてきています。すべての人たちの人間的諸権利をゆたかに実現することを願って取り組まれてきた、わが国内外の努力の歴史に真摯に学ぶことが欠かせません。
 特別支援学校、特別支援学級などにわが子の学校教育のゆたかな実現を期待する保護者も増えています。特別支援学校・学級の在籍者の激増によって、これらの現場は、大勢の若い先生たちを迎え入れています。はじめにふれたように、葛藤を乗り越え自分の生き方をかけて、障害のある人とその家族が、障害者自立支援法の訴訟に立ちあがりました。今年3月12日、「こころとからだの学習」裁判において、性教育実践に対する都議らの介入が教育実践の発展を阻む「不当な支配」であり、都教委は本来の義務を怠ったとする東京地裁判決を勝ちとった、原告、都立七生養護学校の元教員・保護者らのたたかいは、障害児教育のみならず、多くの人びとを励ましています。

 茨城の地で開く初めての全国大会、「全障研」ということばをはじめて聞いた、全障研大会にはじめて参加した、という方も多く来られているでしょう。2日間の大会日程、どうかたっぷりと、自らの悩みとねがい、実践とそこで生み出された発達の事実を語り、発達保障の取り組みの歴史的な歩みと、そこに込められてきたねがいを学んでください。

 輝かそう 私たちの人権
 いのち・発達・平和・つながりを大切に!
 一人ひとりのねがいを実現するために

 大会テーマに掲げたこのねがいを、それぞれの地で、それぞれの地域の直面する課題に即して実現していくためには、大会の2日間だけで学ぶということでは十分ではありません。そこで考えたこと、学んだことを、自分の地域、自分の職場に持ち帰って、直面する問題を多くのなかまと語り合っていただきたいと思います。そうした取り組みを主体的にすすめるために、一人でも多くの方に、全障研の会員になっていただくことを訴えます。月刊誌『みんなのねがい』で一人ひとりのねがいをつなぎ、研究誌『障害者問題研究』で深く学びあいましょう。
 それぞれの地域で、「障害者の権利を守り、発達を保障する」ことを掲げた、自主的で民主的な研究運動を、その地域の課題に即して発展させてこそ、大会テーマに込められたねがいを実現していくことができます。
 あなたも全障研へ。ともに語り、ともに学び、ともにがんばりましょう。