子どもに学んで語りあう
 

  茂木 俊彦 (桜美林大学大学教授・全国障害者問題研究会顧問)
 
  定価1575円(本体1500円+税)  ISBN978-4-88134-056-1 C3037  2012.7.1
  
茂木俊彦表紙

<目 次>

  はじめに 3

Ⅰ 障害のある子どもの理解のために 11
    (1)子どもを分かるための直観力と想像力 12
    (2)ICF(国際生活機能分類)の示唆するもの 17
    (3)狭くとらえた障害と広くとらえた障害
        ―生活との関係で考える― 23
    (4)発達の視点で子どもを見る 28
    (5)子どもの自己評価について考える 33

Ⅱ 教育目標と発達段階に応じた実践 39
    (1)アセスメントと教育目標 39
    (2)発達段階に応じた教育とは 51

Ⅲ 分かるよろこびに応える教育を 61
    (1)学びたいという欲求に応える 62
    (2)重症の子どもへの取り組み 66
    (3)遊びと労働と発達の関係 71

Ⅳ 子どもたちの現在とインクルーシブ教育 87
       ――自主・民主の教育を――
    (1)排除ではなく包摂を! 88
    (2)老年期の人も発達の可能態 89
    (3)子どもは発達の可能態 91
    (4)ほんらいの教育のあり方が見えてきた 94
    (5)保護者に学び、手をたずさえて 96
    (6)子どもたちに未来を託す
       ―インクルージョンの具現化に向けて― 101

  あとがき 107
 
  イラスト 松本春野
  はじめに   もぎ

 障害のある子ども・青年の発達保障をめざす実践にとって、たいせつなことは何か。
 この問いに答えようとする全障研出版部の本を、私はこれまでに2冊、刊行する機会を与えられました。一つめは『教育実践に共感と科学を』(1984年)、二つめは『発達保障を学ぶ』(2004年)です。両方とも全障研の機関誌『みんなのねがい』(月刊)に書いた連載(一年間12回)をもとにした本でした。本書も、これら二冊と同じ経過をたどり、2011年4月号から12年3月号の連載に、大幅な加筆修正を行って作成したものです(書名は連載時のタイトルをほんの少し変えました)。
 「子どもに学ぶ」も、「語り合う」も、障害のある人びとと共に歩む取り組みについての、私の現状認識と問題意識を簡明に表すために選んだ言葉です。
 私は折にふれて、教師など実践者が、子ども・青年と正面から向き合うことがだいじだと強調してきました。これは当然のことなので、おそらく誰も反対しないのではないかと思います。しかし、向き合うとはどのようなことなのか。
 私は、障害のある子どもや青年のことを分かろうとするには、実践者に共感的態度、直観力、想像力が求められると思い、本書でもそのことに言及しています。しかし、それはかれらの人間としての尊厳と権利を尊重する思想、子ども・青年に学ぶという思想を、根本にすえたものであることが必須だと思います。この思想が取り組みに先立って身についていなければならないという意味ではありません。取り組みの積み重ねの中で、そのたいせつさが分かってくるということでもよいと思います。いや、そのほうがこの思想の核心をしっかり身につける本来の道筋なのかもしれないとも、私は考えます。あれこれの指導や治療の技術を適用して、子ども・青年を動かし、操作するのではなく、終始、「子ども・青年に学び、学び続ける」ことで貫かれた実践を、どう創造していくのか。このことがいま、問われているのだと私は思うのです。
 いま述べたような実践者の学ぶ営みは、「語り合う」ことを意識的に追求することによって、いっそう厚みを増したものになるでしょう。乳幼児の保育・教育、療育、学校、学童保育、作業所等々の場において、障害のある人々と共に活動する実践者たちが、「話し出したら止まらない」と言うほどに、取り組みについて語り合う姿がかつてはいたるところに見られ、「意識的に追求する」などとあえて強調する必要はありませんでした。しかし、現在はそれが求められているのです。
 どこでも多忙化が進行しています。処理すべき事務量が増え、特に学校等における教職員に対する管理統制は度を超えたものとなり、それらが実践の創造の担い手である教職員の集団形成を困難にしています。しかし、わが国のすぐれた教育実践はいつでも、教職員集団がその自主性・主体性をぞんぶんに発揮することによって創りだされてきました。上意下達の教育は子ども・青年のための取り組みとはなりえません。それらが「教育実践」の名にふさわしいものになったためしはないのです。私たちがよい実践をしようと願うなら、困難を乗り越えて集い、語り合い、英知を集めて創造に向かわなければなりません。
 本書は、私のこのような思いを言葉にし、読者と語り合う目的で書きました。三冊めの本書が、前二著と比べていくらかでも進歩を含んでいるのかどうか。評価は読者の方々にゆだねなければなりません。


●「絵本作家、松本春野のブログです」
 http://www.harunomatsumoto.com/blog/2012/07/post-122.html
@HarunoMatsumoto: 茂木先生の新刊にて、ちょっとしたところにも私のイラストを使ってくださっててデザイナーさんの心遣いがうれしい! ここにはこの絵!っていうのバッチリ!感謝!

「みんなのねがい」誌 2012年9月号
 本当の科学はあたたかいヒューマニズムをもち続けている
 鳥取大学 三木裕和

 人に勧めたくなる本というのは、まず、読んでいて意味がよく分かり、するすると理解できること。これまで知らなかった事実をたっぷりと教えてくれ、新たな発見に満ちていること。そして、いま読んで知ったばかりのことなのに、まるでずっと以前から自分で考えていたことのように思えてくること。つまり、一方的に教え込まれた気がしない。誰の助けも借りずに、自分が賢くなったような気がすること。
 茂木俊彦さんの新著は、人に勧めたくなる本の条件をすべてそろえている。
 全障研出版部から過去に刊行された茂木さんの本、『教育実践に共感と科学を』『発達保障を学ぶ』は、障害児教育の困難に向き合う実直な実践家を励まし続けてきた。
 「問題行動」と見える子どもの姿の中にこそ発達への切なる願いがある。授業づくりが子どもの発達要求と結びつくとき、教育実践創造の喜びがある。どんなに厳しい職場にあっても、手痛い失敗に泣きだしたい気持であっても、ここには、子どもを愛する不思議の水がこんこんと湧き出していた。両手ですくって飲み干すように、眠い目をこすりながら、本に赤線を入れて読み進めた教師は多くいるはずだ。
 「障害のある子どもや青年のことを分かろうとするには、実践者に共感的態度、直感力、想像力が求められ…それはかれらの人間としての尊厳と権利を尊重する思想、子ども・青年に学ぶという思想を、根本にすえたものであることが必須だ」(まえがき)とする教育哲学が本書にも貫かれている。
 茂木さんの本は、学問的に水準の高いことが平易に書かれているから分かりやすいというわけではない。その基礎に、民主主義と平和を志す潔い人権思想があるから、私たちの心に届くのだ。科学の装いをまといながら、子どもの心のことなど一切顧みようとしない「科学」に、私たちはどれだけ悩まされてきただろう。
 本当の科学が、その底に暖かいヒューマニズムをもち続けていることを、茂木さんは穏やかな口調で教えてくれる。
 国際的な障害概念の進歩、インクルーシブ教育を巡る動向を踏まえながら、教育実践の一場面、一風景をていねいに読み解いていく。私たちが、この仕事に携わる一員であることに希望と誇りを抱くことができる本だ。仲間とともに読書会を開くことをお勧めする。
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