全国障害者問題研究会
常任全国委員会
全国障害者問題研究会(全障研)は、1967年の夏、東京で結成されました。
今年は全障研結成30周年です。この記念すべき年の全国大会を機に、これまでの研究運動を振り返り、その成果と教訓を学び直し、新しい世紀における障害者の人権と発達保障のいっそうの推進のために、とりくむべき研究運動の基本的課題を提起したいと思います。
第二次大戦後、新しい憲法が制定・施行されました。しかし、それ以降も長い間、障害者は医療、教育、労働、社会福祉・社会保障、政治参加などの諸権利をいちじるしく侵害されてきました。全障研が結成された1960年代のわが国では、日米安保体制のもとで高度成長政策が強引に遂行され、労働災害、交通事故、さらに公害、薬害などによる被害、後遺障害が多発し、国民の生活と健康の破壊が非常に深刻化していました。障害者をめぐる状況は、国民を犠牲にした政治・経済・軍事政策のもとでは改善されるべくもなく、障害者施策は貧困なまま放置され、権利回復は阻害されていました。障害者は「生きることが精一杯、あるいはそれすらおぼつかなくなるという極限状況に、ますます取り残されてきて」(結成大会基調報告)いました。
このようなきびしい状況のなかで、障害者と家族、医療・教育・福祉などの現場に働く人々とその労働組合、さらに広範な国民は、その要求を掘り起こし、ねりあわせ、人間としての基本的権利の獲得と拡充、人間らしい生活の保障を求める運動を発展させるとともに、要求実現の道筋と方法の科学的解明を強く求めていました。
また障害児・者にかかわる各地の実践の現場では、「障害者施設であらたに障害者がつくり出されてしまう」といわれるような劣悪で過重な労働条件のもとでも、それに屈せず集団的に乗り越えて、みずからの実践を吟味する動きが広がっていました。権利をかちとるたたかいのなかで、障害とは、生命とは、発達とはと問い直し、発達を正しく保障する実践理論の構築に向けたとりくみが進展していたのです。
全障研は、このような障害者・家族のねがい・要求に学び、実践と運動に依拠し、さらにこれを発展させる自主的・民主的な研究会として結成されました。結成から現在まで、私たちが一貫して掲げてきた「障害者の権利を守り、発達を保障する」という全障研の目的規定は、こうした歴史と現実、そして運動をふまえて決定されたものです。 全障研は、このような目的を掲げると同時に、この目的に賛同するすべての個人が、対等平等な資格で会員となる研究会であると自己規定しました。それは、それまでは研究の対象とされても研究の主体であるとされることはほとんどなかった障害者自身を含み、父母をはじめとする家族、障害関連分野の実践者、学生、大学等の研究者など、すべての人が、障害や職業の有無、種類をこえ、いわゆる権威主義などはいっさい排して、対等平等に参加する組織だということを意味しました。
また、全障研は同じ1967年に結成された要求運動体「障害者の生活と権利を守る全国連絡協議会」(障全協)と、「車の両輪」をなし、協力共同の関係を発展させながら、互いの目的の達成に向けて活動していくこととしました。私たちは、障全協の要求運動に学び、また会の内部では各人の要求を自由に出し合い、それらをよりあわせ、要求を権利としての要求へと高めていくという観点から、研究課題を設定してとりくんできました。
結成して30年、全障研は「実践から理論へ、理論から実践へ」を合い言葉に、実践と理論の環流関係をあくまでも重視して会の活動を推進してきました。実践の事実に目を向け、そこから研究の課題を明らかにしてとりくんでいく。ある段階でまとめられた研究の成果は、ふたたび実践の事実にそくして検証される。実践と理論が環流関係をもつべきだということは古くから指摘されてきたのですが、この関係をじっさいにつくりあげることは容易ではありません。私たちは、そのことを自覚しつつ、障害者の権利保障、発達保障のためにこそ、環流関係の成立と発展をだいじにするという視点に立って努力を重ねてきました。会員それぞれが、日々の実践にもとづいて研究しまとめたレポートを持ち寄って集団討議する年1回の全国大会、各種の研究集会は、そのための重要な機会となってきました。
それでは、私たちの研究運動はどのような成果をあげてきたのでしょうか。それらは、日本の障害者にとってどのような意味をもち、世界の障害者運動のなかでどう位置づくのでしょうか。<人間としての尊厳と人権の思想> 全障研は、結成の当初から、障害によって生じる種々の活動の制約とその結果を、健常者の場合と単純に比較し、障害者を劣弱性の枚挙によって特徴づけたり、障害者はその存在自体が社会にとって迷惑だ、重荷だとするような考え方をきびしく批判してきました。それは、すべての障害者が、その人間としての尊厳を尊重されるべきであり、社会の一員として堂々と生きていけるように社会を変革していく必要があるのだということを、きわめて明快に問題提起したということでもありました。
また、私たちは、障害者が基本的人権の主体であることを前提に、日本の障害者は日本国憲法に規定された国民としての基本的権利のすべてを、差別なく平等に保障されるべきであることを明確にして研究運動を進めてきました。 たとえば諸権利を代替関係に置いてはならないというのはその一つです。わが国では、障害児が福祉施設を利用しようとすれば、就学猶予、就学免除を願い出て、教育を受ける権利の行使を先送りにするか放棄しなければならないということがありました。このように、ある権利を行使するには別の権利が侵害されるのをがまんしなければならないという事実、すなわち諸権利が代替関係に置かれているのはまったく理不尽な差別であり、文字どおりすべての権利が保障されるべきです。
同時に、権利保障は形式的なもので終わってはならず、その実質化、実質的平等の実現が必要であるということも強調されました。それは、障害者は、障害ゆえに発生する特別な困難への公的・社会的対応が手厚く適切になされることによって、はじめて障害をもたない他の国民と実質的に平等に諸権利が保障されるのだということです。この考え方は、障害者は健常者に比べて、また障害の重い人は軽い人に比べて、貧しい処遇ですまされてしまうという劣等処遇原則の批判でもあり、全障研がその研究運動の成果をおおやけにしつつ、教育、福祉、医療その他の諸分野で積極的な改革提言をしていくさいの基本的観点でもありました。
<発達は権利>
全障研は、その結成までに教育、医療、福祉などの現場とそこでの実践をふまえて形成され深められてきた発達保障思想を継承し、これを研究運動の中心軸にすえてきました。 いわゆる重症心身障害児も、ただ生きているだけで何もできない存在ではありません。誰にも発達への要求があります。誰もが人間発達の道筋のどこかの段階で、外界にとりくみ、発達しつつある存在です。最先端の医学・医療の発展の成果を適用して生命を維持しつよめつつ、それまでに獲得してきた諸能力と発達の課題を見きわめた療育・保育・教育などの実践がていねいに積み上げられるなら、障害の軽重にかかわりなく、人間は限りなく発達していくことができます。そして、発達していくことは人間としての基本的な権利です。これらのことが実践と発達の事実に学びながら深められてきました。
また、教育はどんなに障害が重い子どもにも成立するということも、多くの人によって確かめられていきました。「教育に下限はなく、発達に上限はない」という言葉は、このような認識の集約です。それは、憲法・教育基本法に照らして障害児教育の歴史、制度、実態について考察するなどの理論作業をへて、深められてきた障害児の教育権理論とともに、すべての子どもに権利としての義務教育を保障する養護学校教育義務制実現の運動、またいろいろな現場での実践をはげます大きな力となりました。
<系統性・一貫性をもった権利保障システムの構築>
年齢もしくは発達のある段階で諸権利が総合的に保障されても、後の別の段階で権利がいちじるしく侵害されているという状況を放置するならば、障害者の障害の軽減、発達の保障、生活の質の向上は望めません。全障研は、障害をもつ人々のライフステージのすべての段階で、総合性とともに系統性・一貫性をもった権利保障システムを構築すべきであると強調してきました。乳幼児健診や早期療育、保育・教育など障害乳幼児に関する制度と施策の拡充からはじまって、成人期における労働、生活、所得、文化、スポーツなどの豊かな保障のための制度的整備まで、そして近年では高齢障害者の人権保障をも視野におさめて、まさに生涯にわたる人権と発達保障のシステムの構築に向けて問題を提起し続けてきました。
<実践と理論の普及>
全障研は、第3回全国総会で機関誌を発行することを決定し、「ひとりのねがいはみんなのねがい」という熱い思いを込めて、1970年、『みんなのねがい』を創刊しました。この雑誌は小さいながらも、障害の種別をこえ、同時に障害者問題全般に目配りをした、わが国唯一の総合的月刊誌です。それは「みんなで作るみんなの雑誌」であり、同時に、会員以外の熱心な協力者もふくめて「みんなで広げるみんなの雑誌」という性格をつよめ、今では日本の民主的な障害者運動全体にとっても大きな役割をはたす雑誌へと成長してきました。
また、全障研の理論研究を発展させ、その成果を公表していく理論誌として、1973年に『障害者問題研究』が創刊されました。これは、会内外の研究者、実践家の協力も得て、科学とヒューマニズムの精神で障害者問題を解明していく刺激的な雑誌として、学問研究の分野でも重要な位置を占めるところまで到達しています。
毎月発行されてきた「全障研しんぶん」、全国の各支部が発行する機関誌やニュースは、一方では会員の要求や意見表明の場となり、他方では個人や集団で行った実践、研究をみんなに知らせていく場となって、研究運動の発展に重要な役割を果たしてきました。
全国レベルでの発達保障講座、保育講座、「みんなのねがいセミナー」「30周年記念全国縦断セミナー」「学生発達保障セミナー」などの開催、全国の支部、サークル等が積極的に進めてきた講座や講演会活動、これらは会員が時には初心に返り、時には会外の人々も含めて最先端の科学研究の成果を摂取する場として、貴重な機会とされてきました。
<障害者運動の国際化のなかで>
さて、私たちがこの30年の間にとりくみ蓄積してきた成果は、1970年代から80年代にかけて歴史上のひとつの画期を作りだしたといえる世界の障害者運動との関連で、どういう位置を占めるのでしょうか。
「障害者に関する権利宣言」(1975年)、国際障害者年(1981年)、国連障害者の10年(1983年−92年)、アジア太平洋障害者の10年(1993年−2002年)など、国連という舞台で決議され、とりくまれてきた障害者の権利保障運動、また世界の各国、各地域で推進されてきた諸運動、これらをリードしてきた基本的理念、人権の思想は、その基本において私たちが追求してきたものと同じものです。すなわち、障害者の人間としての尊厳を尊重される生まれながらの権利を確認し、同年齢の市民と同等の権利を有することなどを確認した「障害者に関する権利宣言」しかり、「完全参加と平等」をテーマに障害者の基本的人権の保障、機会の均等化をめざして、国際障害者年とそれ以降、さらに21世紀初頭という新しい時代をも展望しつつ、とりくまれてきた世界の障害者運動もまたしかりです。全障研運動は、障害者運動の国際化のなかで、いっそうはっきりしてきた運動の基本方向、その本流に位置を占め、私たちの側から世界に発信することの少なかったとはいえ、客観的にみると、その流れを太くし早める役割をはたしてきたといえるのではないでしょうか。