はじめに
戦後最大で最長の不況のもと、国民の生活に対する不安はいっそう広がっています。統計をとっていらい最高の4.8%を記録した完全失業率(1999年3月)、大卒、高卒の就職率も最低となりました。企業倒産、リストラなどによって家庭の状況が急変し、学業半ばで退学せざるをえないという高校生や大学生の問題が取り上げられるような実情です。障害者と家族の暮らしへの影響も深刻です。共同作業所全国連絡会が3月に行った調査によると、加盟作業所の85%で仕事量の減少や企業就職者のUターンなどの「不況による影響」があったことが明らかにされています。これに加えて、地方財政危機を理由にした障害者医療費助成や手当の「見直し」、小規模作業所の補助金の削減など、運動によって積み上げてきた自治体単独事業の切り崩しによって、障害者と家族は二重、三重の困難に直面しています。
また、来年4月実施予定の介護保険についても、「保険あって介護なし」という当初からの不安が現実のものになるのではないかと各方面から指摘されており、実施主体の自治体である全国の市町村の約3分の1の地方議会が、施設の基盤整備や人材の確保、低所得者に対する保険料・利用料の減免などのための国の財政支援を求める意見書をあげているほどです。
しかし小渕内閣はこうした国民の実態と願いにはまったく目を向けず、橋本内閣の「財政構造改革」を踏襲し、国民生活にかかわる予算を切り捨てる政治をおしすすめてきました。今年2月には、厚生省が年金改正大綱において年金給付開始年齢の引き下げ等を打ち出し、首相の諮問機関である「経済戦略会議」は、消費税の増税や公的年金の給付切り下げと民営化などを含む「戦略」を報告、21世紀に向けて、医療や社会保障に対する国の責任をまったく投げ捨て、ますます大企業に奉仕する政治をめざすことを明言しています。
そればかりか、小渕内閣はこれまでにない危険な企てを強行しています。この5月、ガイドライン法を国会での十分な審議もなく成立させたのをはじめ、その後も、盗聴法案、「日の丸・君が代」法案など、国民の思想の自由や人権を脅かす法案を、一部「野党」を巻き込んだ数の暴力と国会延長という議会制民主主義を踏みにじる手段で押し通そうとしています。
こうした戦前の翼賛政治の再来を思わせる動向に対し、私たちは、憲法擁護の課題の重大性をしっかりと認識し、幅広い国民と連帯した運動をすすめていかなければなりません。
1 障害者福祉制度改革の動向
昨年の基調報告は国民が戦後50年にわたる運動によって守り育ててきた福祉の理念と制度が「社会福祉基礎構造改革」によって根本から崩されようとしていることに注意を喚起しました。この1年、その具体的な姿がより鮮明になってきています。1999年1月に答申された障害者関係三審議会合同企画分科会答申「今後の障害者保健福祉施策の在り方について」は前年末の中央社会福祉審議会社会福祉基礎構造改革分科会の意見をふまえ、障害者福祉分野の「基礎構造改革」の全体像を打ち出しました。これらは関係者の十分な意見を聞くことなく、社会福祉事業法、障害種別の各種福祉法、児童福祉法の改正として具体化されようとしています。
1970年代後半から「福祉見直し」に代表されるスローガンで社会福祉の公的責任の後退が続いてきましたが、20年後の今日の「社会福祉基礎構造改革」はこの路線とは次元を異にした大きな問題点をはらんでいます。すなわち、社会福祉・社会保障において原則とされてきた事項をつぎつぎと捨て去り、理念そのものを変質させようというねらいが明確になっているのです。具体的な問題点としては、社会福祉における公的責任の骨格ともなる措置制度を廃止し利用契約制度を導入しようとしていること、さらには社会福祉サービスの供給主体に営利を目的とした民間企業の参入を認めようとしていることをまず指摘する必要があります。これについて政府は、利用者個人が多様な福祉サービスの中から自由に選択できることを利点としてあげています。これこそが「個人の尊厳」を尊重し、自立を支える制度だというのです。はたしてそうでしょうか。そもそも社会福祉の制度は個人の自助努力にまかせていたのでは生活権が保障されない人々に対し社会的に保護することを目的に出発したものであって、採算を基本とする市場原理や競争原理がなじまないからこそ公的責任の原則が貫かれてきたのです。社会福祉を利用者個人とサービス提供者との直接契約にまかせ、その提供者として民間企業を認めることは、生存権の保障をうたった憲法第25条の第2項(生存権における国の義務)の形骸化に他なりません。
以下、現在進行している法改正の動向をやや詳細に検討してみましょう。
◎措置制度から利用契約方式への転換
先にふれたように、この方式では利用者がサービスを自由に選べること、さらにはサービス提供者と「対等な契約」が結ばれることが強調されています。しかしどの答申をみても、この過程での利用者の権利性は明記されていません。すでに指摘されているように、選ぶに足る社会資源が地域に整っていない現状では、「断られたらどうなるのか」という不安が出されるのは当然のことです。同じく直接契約制度を基本とする介護保険の場合、すでに述べたように、多くの市町村が施設面でもヘルパーなど人的な面でも整備が不十分であると訴えています。ゴールドプランにおいて格段の基盤整備が、求められている高齢者福祉の分野でさえこのような実態ですから、障害者プランの数値目標の見直しもなされず、市町村障害者計画の立案も遅れている(33%)障害者福祉の分野において、このまま推移するならば、圧倒的なサービスの不足は誰もが予想することです。選ぶに必要な多様なサービスが地域資源として整備されない中では、利用者が弱い立場に立たされサービス提供者との対等な関係が確保できません。
利用料については、当初予定されていた介護保険同様の応益負担(受けたサービスにかかる費用の定率負担)ではなく、本人等の所得に応じた応能負担制が提案されています。しかしこれまでの徴収金の制度と異なり、利用料は事業者の運営費に充当される仕組みです。したがって当然そこに営利性の観点が入ってくるために、サービスの細分化、質と料金のバランスなどがつねに考えられることになります。支払困難が予想される低所得者層の利用が制限されたり、利用者にとって負担増になることは否めません。また、現在、関係者の運動によって授産施設の徴収金は実質的にはゼロになっていますが、今回の動向では例外規定には位置づいておらず、「働く施設」である授産施設で「利用料を支払う」という事態にさえなりかねません。
◎民間事業者の参入
答申等の段階では、民間事業者参入の具体像は明らかにされていません。準備段階に入っている介護保険の基準をみると、先にふれた営利性とかかわって、最低基準が確保できるかどうかが大きな問題となってきます。介護保険では建物の規制緩和だけでなく、専任職員の配置定数が大幅に削減され非常勤職員の割合が高くなってもよい仕組みになっています。さらにこの基準を今度は老人福祉法にもとづく社会福祉施設の最低基準に持ち込み、結果として、最低基準が改悪されました。この改悪が利用者へのしわ寄せとなって返ってくることは明白です。
◎障害者プランの行方
1月の三審議会の最終答申は、本来、障害者プラン推進のための軌道修正もふくめて、障害児者の福祉分野に独自に課せられた長期的な改革の方向が示されることが期待されていました。しかし実際にはそれまでの同審議会「中間報告」等と比較しても後退を指摘される内容となっています。障害者プランの作成とその後の改革は本来、障害者と家族の要求を実現するためのものであるべきですし、部分的であれ、要求を実現するための根拠となる内容を含んでいました。しかし、今回の答申は、そうしたプランの実態とははなれ、財源を伴う改革にはまったく見向きもせず、社会福祉基礎構造改革の具体化のみ優先させたものとなったのです。
とりわけ施設制度体系の改革については、これまで、施設を住まいの場、活動ないしは働く場、訓練の場という機能で整理し、それを地域で具体化するために、職住分離、住まいの場の原則個室化、通所施設・入所施設の相互利用、障害種別の相互乗り入れ、施設の小規模化などが論議されてきました。しかし今回の最終答申ではそれらについてほとんどといっていいほど言及していません。障害者通所施設の小規模化、身体障害者福祉ホームの設立要件の緩和、知的障害者グループホームと福祉ホームの就労要件の撤廃など、個別問題の改善にふれているだけで、施設機能全体にかかわる改革の提案になっていないのです。また関係者の要求のたいへん強かった重度重複障害者の通所施設や知的障害者の療護的な施設の制度の創設は見送られています。
また随所でふれたように、厚生省は障害者福祉の今後の仕組みについて、介護保険を手本にしようとしていることは明らかなことです。介護保険実施後、現行の障害者福祉による介護サービスの水準を落とさないことを求めた日本障害者協議会の申し入れに対し、厚生省は「公費によるサービス」を約束しましたが、この問題は自治体の独自施策ともかかわる部分であるだけに、障害者プラン・市町村障害者計画の策定・実施の要求運動と結んだ施策の点検などが求められるところです。
以上みてきたように、現在進行しつつある障害者福祉分野での改革は、このままでは現行の福祉の水準さえ維持できなくなるかもしれないという危険性をもったものです。しかも障害者福祉のみならず、高齢者福祉や保育など福祉全般に共通してかけられた攻撃であるだけに、広範な人々と連帯した運動をいっそう大きく発展させる必要があります。すでに都道府県の段階で関係団体が連携した活動がかつてなく広がっています。全障研でも、愛知支部や京都支部などで、要求運動団体との学習・交流の集会が開かれ、愛知では障全協、共作連の支部と共同した署名運動が展開されました。さらに高齢者、保育、児童福祉の各団体、生活協同組合などがいっしょになって要求実現のための集会を開いたり、この間の問題について市民にアピールするといった取り組みも行われています。
大会開催地の仙台市では、父母の強い要求にもとづく放課後保障の運動が実を結び、今年度から障害児学童保育所への補助が新規事業として開始されました。東京都でも肢体障害者を中心とする継続的な運動によってノンステップバスの台数が年々増えています。きびしい自治体財政のもとでも、教育や福祉に重点をおいた予算編成になるよう、ねばり強く運動していくことがとても大切になっています。地域や自治体でのこうした運動が、今後の福祉の改革の展望を導き出す大きな力となることでしょう。
2 障害児教育をめぐる情勢
「学級崩壊」についてテレビや新聞で取り上げるほどになってきました。この言葉が適切なものであるかどうかは論議の余地がありますが、マスコミや関係雑誌等で取り上げられる「学級崩壊」の実態には、わが国の教育がかかえるさまざまな困難が映し出されています。たとえば30人以下学級の実現、どの子もわかる教育内容の精選と系統化、幼児期の保育・教育の内容の検討など、子どもと父母の教育要求に耳を傾け、教育条件等の改善、必要な予算の確保などをすすめることによって、子どもが学ぶ環境そのものが大きく変わることが展望できます。そうした方向での教育改革こそが求められているのです。
しかし国は現状の抜本的改善につながるような責任ある方針を示していません。文部省は日本の学校教育をどのような方向にもっていこうとしているのでしょうか。このことを考える際、いちだんと強まっている財界からの教育への要求を見過ごすわけにはいきません。社会福祉の動向と同様に、教育の公的責任をできるだけ回避し支出の肥大化を抑制する「学校のスリム化」や規制緩和、さらには「エリート」育成のための課題に応える教育内容の編成など、「大競争時代」「国際化」などをスローガンに、21世紀に向けたあらたな能力主義政策のレールが敷かれようとしています。教育課程審議会答申と新学習指導要領(小・中学校は昨年12月、高校、障害児教育諸学校は本年3月告示)、学校運営における校長権限の強化や「地域に開かれた学校」の名のもとに学校評議員などを答申した中教審答申、大学の自治を否定する新大学管理法案など、矢継ぎ早に出される「改革」に関して、その個々の評価に終始することなく、財界と政府の教育政策の戦略の文脈の中でとらえ、障害児教育も例外でないとの認識をもって情勢をみていく必要があるといえましょう。
◎養護学校義務制20年の課題
私たちはかつて、養護学校教育の義務制を実現させ、それによってさらに多くの成果を勝ちとってきました。今年はその義務制の施行から20年になります。すべての障害児に義務教育が保障されたことによって、後期中等教育への教育要求、あるいは就学を前にした早期の療育・保育の要求がいちだんと高まり、それぞれに実践が蓄積され場もひろがってきました。各地での高等部進学の運動とともに、高等部での訪問教育が試行的に実施されたことによって、98年3月、養護学校中学部卒業生の高等部への進学率は初めて90%を超えました。また障害児学校の学習指導要領の改訂により3歳未満児の教育相談について記述されることになりました。
しかし、義務制が20年を経たからこそ、あらめて義務教育、学校教育としての障害児教育の現状と到達点を正確に分析する時期にきていることもまたたしかなことです。昨年の基調報告でも指摘されていますが、病状や医療的な処置のために学習の空白が多くなり、実質的な学習権が保障されていない病弱児の問題や訪問教育の訪問回数・時間、病弱養護学校の高等部の未整備など、障害児教育の制度の内側に、障害の程度や種類による不均等な実態が存在しています。また通級による指導も、実施後5年が経過し、充実こそが望まれているにもかかわらず、一人の教師が異なる障害の子どもを何人も担当するというたいへんきびしい条件を強いられています。
学校施設、通学などの教育条件の改善も急務の課題です。東京からは「7m×7mの教室をアコーディオンカーテンで仕切って2学級として使っていてピアノも弾けない」「教室の半分の広さの準備室をさらに仕切っているので机といすをおいたら通れない」といった教室不足、教室にシャワーの設備がないといった障害の重度化に対応できない教育環境の問題が報告されています(『みんなのねがい』6月号、座談会)。京都市では父母と教職員がいっしょになって「乗車時間を1時間以下に」などの要求を掲げスクールバスの改善の運動を展開しています。このほか、国の施設整備費が大幅に削減されたため、予定されていた校舎改築が繰り延べになった、給食が民間委託になったなど、各地で教育予算の切りつめによる教育条件の切り下げが報告されています。
◎学習指導要領について
障害児教育諸学校の新学習指導要領は小・中・高校と同様の問題点をもっています。また、それは障害児についても「生きる力をはぐくむ」という目標を掲げており、子どもの自主性、主体性が従来よりも尊重されるかのような表現が用いられていますが、実際の中身は旧態依然とした「特殊教育」の適応主義的、訓練主義的な子ども観、教育観を色濃く残したものとなっています。私たちは、新学習指導要領について、次にあげる3点をはじめ、いろいろな側面から批判的に検討しつつ、同時にこれまで大切にしてきた理念を確認し、また豊富な実践の蓄積に学んで、さらに実践を高めていく必要があります。
新指導要領で第1に目につくのは、「養護・訓練」という領域が「自立活動」に変わったことです。変更にあたって文部省はその理由を「自立を目指した主体的な活動を一層推進する」ためだと述べています。しかし、障害児教育において「自立」をめざした教育活動はひとつの領域に限定されるものではなく、むしろ全体の教育目標として掲げられるべき性質のことがらです。したがって、教科や道徳と並ぶ領域に「自立」という言葉を使うこと自体が不適切だという指摘が各方面からなされています。その内容についても疑問が出されています。ひとつに障害のとらえ方への疑問があります。学習指導要領は自立活動の目標として「自立を目指し、障害に基づく種々の困難を主体的に改善・克服するため」と述べています。この「主体的」という表現を用いることで日常活動や社会参加の上での制限や困難、すなわちハンディキャップのレベルの障害をなくすという課題が曖昧にされ、あたかも個人の努力のみに責任が課せられているかのようにとらえられてしまうおそれがあります。「自分でする」ことをことさら上位におく一面的な「自立」概念のもとで自立活動が取り組まれるならば、いっそう適応主義的な訓練が強化されることになりかねません。現在世界保健機関(WHO)が行っている国際障害分類の改訂作業では、これまでにもまして障害を社会(環境)との関係でとらえることが検討されています。こうした動向にも注意を向けながら、障害に焦点をあてた教育活動を展開することを目的としてもうけられたこの領域に必要とされる内容を検討していくことが必要だといえましょう。
第2に、「自立活動」と重複障害児の教育に関して「個別の指導計画」が義務づけられたことです。それ以外でも全般的に「個別の指導」が強調されている箇所が目立ちます。もちろん、教育実践において子どもの個別的なニーズにていねい応えることは必須のことであり、それは保護者の願いでもあります。また、多くの学校と教師がすでに行ってきたことですが、子どもたち一人ひとりの状態を科学的に把握し、短期・長期の指導計画をたてることは必要なことです。しかし、子どもの個別的なニーズに応える教育実践は、個別指導を偏重する「教育」とは別のものです。それは、集団的な活動に取り組んでいる場面で個別の配慮をすることも、個別的な指導の形態をとることも、ともに大切にし、これらを子どもたちの実態にそくして適切に結合していくことによって発展します。また、こうした実践を十分に発展させるためには、教員の配置など教育条件が充実されなければなりません。しかし教育行政当局は教育条件を改善するどころか悪化させています。しかも、この間各地で明らかになってきたのは、教育委員会等が「個別の指導計画」の作成と実施を、子どものためにではなく、学習指導要領の押しつけと教職員の管理統制の手段として利用しようとしているということです。私たちは、ほんとうの意味での学習の「個別化と共同化」のあり方について検討を深めつつ、子どもたちが、その活動を通じてみずからの属する集団を高め、その中で個性をかがやかせ、諸能力をしっかり身につけていける実践をさらに創造的に発展させていかなければなりません。
第3に、職業教育への偏重がいっそうすすんでいることです。知的障害養護学校にもさまざまな「専門教科」が設定されています。また中学部段階でも「職業・家庭」のなかで現場実習が奨励されています。私たちは、青年期の教育が狭い「職業自立概念」にもとづく一面的な職業訓練に偏ることをきびしく批判しつつ、権利としての職業教育を創造していかなければなりません。また子どもたちが豊かに力を蓄えながら学校から社会への移行(トランジッション)の課題を達成していくのを社会的・公的に支えていけるように、保護者、教師、労働の場の関係者などが知恵と力を合わせて青年期のトランジッションにかかわる制度的整備をすすめ、実践の内容と方法を深めていかなければなりません。
この夏、全障研出版部から出版される新刊『私たちの障害児教育と新学習指導要領批判』を活用した学習運動を広げていきましょう。
◎障害児教育の前進のために
きびしい情勢の中ですが、障害児の学校教育制度にかかわって、今後の方向を展望する運動が各地で展開されています。地域に適切な教育の場を求めて障害児学級の新設を要求する運動が広がった結果、昨年1年間で小学校13学級、中学校8学級が増加、しかも中学校は1人学級を新設(鹿児島)、町立の小学校に肢体不自由児のための障害児学級を新設(岐阜)、1人学級が認められ、3年間で小・中あわせて76学級が新設(京都市)などです。昨年の大阪大会では全盲の子どもを含めて通常学級で教育を受けている視覚障害児に対して盲学校としてどんな専門性が提供できるのかを検討し通級指導や巡回指導などによって実践した大阪市立盲学校のレポートが報告されました。そこで示されたように、通常学級で孤立している障害児とその保護者や担任に対する障害児学級や通級指導によるさまざまなサポートについて、その重要性が注目されるようになってきています。また医療的ケアについても、宮城県の訪問看護ステーション制度の活用をはじめ、通園施設との連携、教職員の研修や指導医の派遣などで校内の医療機能の充実させるといったさまざまな方法で、医療的ケア児の教育保障が前進していることが紹介されています。
◎通常学級に在籍する障害児
通常学級に在籍する障害児の問題はますます深刻になっています。わが国の通級指導は対象や内容が大きく制限され、また制度的には通常学級内でのケアサービスは依然として定められていません。自治体によってはチームティーチングの教師や介助員を配置しているところもありますが、人数もたいへん少なく、また障害児教育の専門性がかならずしも伴わないので、質量ともに十分な対応とはなっていません。最近はユネスコやOECDの報告において、諸外国の通常学級に在籍する障害児のための施策が紹介されています。障害児学級や通常指導の担当者とは別に、学校全体の特別なニーズへの対応を担う教員や各種セラピスト、カウンセラーの配属のあり方、通常学級そのものの学級規模や学習指導要領の改革など、適正就学を前提とした通常学級での障害児教育のあり方について討議していく必要があります。
このように私たちのめざす21世紀の障害児教育の姿も、各地の実践や運動の蓄積でかなり明らかになってきています。私たちが築いてきたこれまでの成果と未来への展望を見失うことなく、研究と実践をすすめていこうではありませんか。
3 当面する研究運動の課題
冒頭に述べたように政治・経済情勢はきわめて深刻ですが、全障研は、組織面でも研究・学習面でも全体として着実な前進をとげてきました。成果を確認しつつ、組織・運動面の課題、研究内容に関する当面の課題を提起します。
1)研究運動に若い世代の参加を
全障研の会員数(所属支部からの会費納入数)は、ここ数年間史上最高に達し、約5500名となっています。このような発展の背景には、障害児をかかえる保護者をはじめとする広範な国民の全障研運動への期待の高まりがあります。同時にそれは各支部・会員がニュース(便り)の発行、配布、会費の徴収・管理などの組織事務にていねいに取り組んできた成果です。
こうした成果をみると、全国各地には全障研が追求している目的や研究の方向、内容にすぐに賛同してくれるにちがいない人々、しかしまだ全障研の存在を知らない人々がたくさんいることが推察されます。このような人々に全障研を知らせ、どんどん会員になってもらうこと、特に障害者本人、家族などの層に全障研を広げていくことは私たちの重要な課題です。
このことを前提に、今大会では、若い世代に積極的に働きかけ、研究運動の新しい担い手を増やしていくという課題を特別に提起したいと思います。全障研は3年前、結成30周年事業として「学生発達保障セミナー」に取り組みました。第1回は全国委員や大学関係者などの協力で開催されましたが、翌年からは院生と学生の実行委員会を中心に取り組まれ、3回目となる今年は、主要な支部事務局の宣伝や組織も受けながら成功しました。このセミナーには高校、大学、大学院、専門学校等で学ぶ若者が多数参加して、全障研が積み上げてきた発達保障理論を真剣に学ぶ姿がみられました。セミナー会場には、障害者問題にかかわる多面的な学習要求とエネルギーが横溢しています。
私たちはこうした事実に学び、全国レベルでも支部・サークルレベルでも、意識的、計画的に若い世代の学習要求に応え、それと結合して彼らを全障研運動に迎え入れる取り組みを強化したいものだと思います。それは21世紀に向かう全障研運動の発展の重要な条件の1つです。
2)集団的な研究活動を発展させる
全障研は、全国レベルでは毎年、発達保障講座を開催してきました。また、全国を縦断して各地で開催してきた「みんなのねがい」セミナー、大阪、宮城、神奈川を会場に昨年からはじめられた「障害者問題研究」セミナーは、全障研刊行物の普及と発達保障の理論と実践の普及を結合した取り組みとして大きな成果をあげています。さらにブロックや各支部・サークルの取り組みとしても多彩な講座活動が展開されています。しかし、こうした普及活動とともに、これまでの全国大会基調報告で何回も強調されてきたように、創造的な調査・研究活動も重視して発展させなければなりません。
このような見地から、昨年から今年にかけて私たちはあらたな積極的な試みを展開してきました。「研究プロジェクト活動」の提起はその1つです。これは昨年度の全国総会の決定にもとづくもので、会の内部で、集団的な理論・研究・調査活動をさらに奨励・推進する目的をもち、すべての会員を対象に公募し、会財政からプロジェクトのための財政支出をするというものです(研究成果は発達保障研究集会や機関誌等で報告されます)。98年度の研究プロジェクトには、短期間にもかかわらず5つの申し込みがあり、3研究プロジェクトが現在取り組まれています。また、99年度の研究プロジェクトには2件が決定しました。
自主的、創造的、集団的研究運動をさらに発展させるためには、障害者問題にかかわる実践者や専門家と研究者との共同研究の場を形成することはもちろんのこと、諸科学の研究成果に学び、従来の枠を広げて諸分野の専門家や団体との共同をつくりだすことも大切です。そうした視点をもって、「研究プロジェクト活動」を積極的に位置づけ、より多くの会員の参加をはかっていきたいものです。
3)個別分野の政策・施策と、それらを貫く共通の政策を結びつけて理解する学習と研究活動の発展を
政府は矢継ぎ早に障害者にかかわる施策を打ち出しています。私たちは、それら一つひとつについて機敏に把握し、必要に応じて批判し、それに対置する提案を行っていく必要があります。たとえば、障害をもつ乳幼児の療育・保育の施策の展開状況について、特に子どもたちが発達の力量を高めていくために、地味ですがきわめて重要な保育のための日数・時数などが減らされていく傾向などについて、つぶさに検討することは重要な課題になっています。障害児教育諸学校の新学習指導要領が告示されましたが、これについて、この基調報告で指摘した点を手がかりとしつつ、「自立とは」「自立活動とは」といったテーマを立てるなどして、さらに具体的に深めていく学習・研究活動が求められます。また福祉分野での措置制度の解体にかかわる政策動向や、その結果もたらされるであろう障害者福祉の後退・破壊について、また年金や介護保険について、しっかり学び合う必要があります。これらの問題をはじめ、支部やサークルの学習、研究活動は、それに参加する人々の要求にもかかわって、福祉、医療、労働、教育、まちづくりなど、いろいろな角度からいろいろなテーマが取り上げられることと思います。しかし、どの角度からどのテーマを扱うにせよ、それを掘り下げていくと、他の分野、他の側面の問題とも共通する根っこの部分が見えてくるはずです。すなわち、すでにこの報告でもふれてきたように、現在の政府は財界の要請をうけてさまざまな政策を展開していますが、その根っこには、小さな政府論があり、規制緩和、地方分権の推進などをうたいながら国の責任をほぼ全面にわたって放棄する政策があります。それは、本来は公的に保障すべきさまざまなサービスを、市場に出回る商品として扱い、競争原理を導入する政策であり、国民の負担増を歯止めなく進行させ、現在と将来の生活の困難をますます深刻にするものです。このような政策のもとでは、障害者・家族をはじめとするいわゆる「社会的弱者」、競争に投げ込まれれば敗者になってしまうことがきわめて明白な人々が、もっとも悲惨な状況に置かれるようになることは、すでに多くの人の指摘しているところです。
このように、個別の問題とその根っこにあるものを結びつけていく方向で学習・研究活動を深めることは、個別問題の正確な理解をすすめるために必要です。しかし、それにとどまらず、国や自治体の諸分野にわたる政策展開を明確に把握し、これを批判し、さらに進んで、私たちが地域にそくした総合的な権利保障のための政策立案をすすめる力量を形成していくためにも重要です。
4)引き続き理論問題の学習・研究の充実を
昨年の大会基調報告は、@特別なニーズ教育などに関連した、障害児教育制度の民主的改革を、教育実践、教育内容・方法の深化と結びつけて展望する課題、A障害児者の自己決定について検討する課題、B障害概念に関する課題などを提起しました。これらはもともと1年限りで結論が得られるような性質のものではありません。障害児教育制度の民主的改革の展望の問題は、通常の教育も含むきわめて深刻な教育の実態に対応し、また校長権限の強化、職員会議の諮問機関化といった動き、新しい学習指導要領が告示されたという状況のもとで、さらに深めていくことが求められています。障害児者の自己決定の問題は、政府等がこれを市場原理、競争原理との関連で位置づけ、自分で選択し決定したものについては自分で責任をもつという自覚をもたせるべきだといったように、自己責任論と結びつけて扱う政策の動きの中で、ますます重要な理論課題となっているといえます。また障害児者の自己決定問題は、専門家・専門機関についての考え方の問題ともつながっており、一部には自己決定の強調イコール専門家・専門機関の否定といった図式的な主張も見られる状況です。さらに、障害概念についてもWHOの新しい障害概念が早ければ本年には提起される見通しで、国内外での研究的討論が活発化すると予想されます。私たちは、これについても「障害者の権利を守り発達を保障する」視点から積極的に検討していかなければなりません。
この間の社会福祉基礎構造改革の動向とのかかわりでいうと、@高齢者や保育等と区別して固有に必要とされる障害者福祉の特質、A権利としての障害児者福祉施策制度体系の理論的整理、B乳幼児期から障害もっていた人と高齢にともなって障害をもった人との要求の共通性とおのおのの特殊性、施策上の課題、といったことを掘り下げていくことが求められています。
このように昨年から今年にかけての状況変化もふまえつつ、昨年の課題を今大会でも引き続き確認して取り組みを強めたいと思います。
おわりに
全障研が発行する「みんなのねがい」、「障害者問題研究」、各種の単行本は、出版界全体がますますきびしい状況に置かれているにもかかわらず、多数の読者にむかえられ、わが国の障害者問題の正しい解決にむけて重要な役割をはたしています。 他方、国際障害者年と障害者の10年を推進した国際障害年日本推進協議会(IYDPJC)とそれを受け継いだ日本障害者協議会(JD)の構成団体として、全障研は、政策提言づくりや情報通信面で積極的な役割をはたしています。資格取得等にかかわる多数の「欠格条項」の見直しを全日本ろうあ連盟と共同して全国署名や集会、キャンペーンに取り組み、後見人制度など障害者の権利擁護にかかわる法レベルでの検討が進みはじめたのは成果の一例です。また最近では、積極的
な出版活動やインターネットやパソコン通信の情報提供活動もあって、マスコミなどからも、むずかしい障害者問題なら“全障研へ”と取材されるようになり、障害者問題の情報センター的役割も果たしてきています。障害者・家族・国民の熱い期待にさらにしっかり応えていけるよう、みんなで力を合わせてがんばっていきまし
ょう。
最後に、本大会に参加されたみなさんの中で、機関誌の月刊「みんなのねがい」、季刊「障害者問題研究」をまだ購読されていない方々にはぜひ購読をお願いすると同時に、この機会に全障研に未入会の方々には、ぜひ入会して私たちとともに21世紀を切り開く研究運動に参加いただけるよう、こころから呼びかけます。