第159回国会 参議院国民生活・経済に関する調査会 第1号
平成16年03月10日
平成十六年三月十日(水曜日)
午後一時開会
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委員氏名
会 長 勝木 健司君
理 事 魚住 汎英君
理 事 山東 昭子君
理 事 山内 俊夫君
理 事 伊藤 基隆君
理 事 和田ひろ子君
理 事 渡辺 孝男君
理 事 西山登紀子君
加治屋義人君
小斉平敏文君
佐藤 昭郎君
田村耕太郎君
伊達 忠一君
月原 茂皓君
藤井 基之君
松村 龍二君
松山 政司君
朝日 俊弘君
谷 博之君
辻 泰弘君
藁科 滿治君
福本 潤一君
松 あきら君
畑野 君枝君
岩本 荘太君
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委員の異動
一月十九日
辞任 補欠選任
岩本 荘太君 島袋 宗康君
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出席者は左のとおり。
会 長 勝木 健司君
理 事
魚住 汎英君
山東 昭子君
伊藤 基隆君
和田ひろ子君
渡辺 孝男君
西山登紀子君
委 員
加治屋義人君
小斉平敏文君
田村耕太郎君
藤井 基之君
松村 龍二君
松山 政司君
谷 博之君
辻 泰弘君
福本 潤一君
松 あきら君
畑野 君枝君
島袋 宗康君
事務局側
第二特別調査室長
村松 帝君
参考人
社会福祉法人プ
ロップ・ステー
ション理事長 竹中 ナミ君
静岡県知事 石川 嘉延君
障害者の生活と
権利を守る千葉
県連絡協議会事
務局長 天海 正克君
(天海参考人陳
述補佐人 中村 尚子君)
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本日の会議に付した案件
○参考人の出席要求に関する件
○国民生活・経済に関する調査
(「真に豊かな社会の構築」のうち、ユニバー
サル社会の形成促進について)
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○会長(勝木健司君) ただいまから国民生活・経済に関する調査会を開会いたします。
まず、委員の異動について御報告いたします。
去る一月十九日、岩本荘太君が委員を辞任され、その補欠として島袋宗康君が選任されました。
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○会長(勝木健司君) この際、御報告いたします。
本調査会は、今期の調査項目を「真に豊かな社会の構築」とすることに去る平成十三年十一月に決定いたしました。一年目は、グローバル化が進む中での日本経済の活性化と社会経済情勢の変化に対応した雇用と社会保障制度の在り方を、二年目は、国民意識の変化に応じた新たなライフスタイルをサブテーマとして調査を進めてまいりました。
その調査の過程で出された御意見を踏まえて協議を行いました結果、本日の理事会におきまして、三年目の調査のサブテーマにつきましては、ユニバーサル社会の形成促進とすることで意見が一致をいたしました。
また、具体的な調査の内容につきましては、個人の自立と豊かなライフスタイルの実現、ユニバーサル社会形成のための課題と施策などを中心に調査を進めていくことといたします。
委員各位の御協力をお願いをいたします。
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○会長(勝木健司君) 参考人の出席要求に関する件についてお諮りをいたします。
国民生活・経済に関する調査のため、今期国会中必要に応じ参考人の出席を求め、その意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○会長(勝木健司君) 御異議ないと認めます。
なお、その日時及び人選等につきましては、これを会長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○会長(勝木健司君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
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○会長(勝木健司君) 国民生活・経済に関する調査を議題とし、「真に豊かな社会の構築」のうち、ユニバーサル社会の形成促進について参考人から意見を聴取いたします。
本日は、お手元に配付の参考人名簿のとおり、社会福祉法人プロップ・ステーション理事長竹中ナミ君、静岡県知事石川嘉延君及び障害者の生活と権利を守る千葉県連絡協議会事務局長天海正克君に御出席をいただき、御意見を承ることといたします。
この際、一言ごあいさつを申し上げます。
参考人の皆様におかれましては、御多用のところ本調査会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。
本日は、本調査会が現在調査を進めております「真に豊かな社会の構築」のうち、ユニバーサル社会の形成促進につきまして忌憚のない御意見をお聞かせいただき、調査の参考にさせていただきたいと存じます。どうぞよろしくお願いをいたします。
次に、議事の進め方でございますが、まず竹中参考人、石川参考人、天海参考人の順にお一人二十分程度で御意見をお述べいただきました後、二時間半程度、午後四時三十分までの間、各委員の皆さん方からの質疑にお答えいただく方法で議事を進めてまいりたいと存じます。
この質疑につきましては、あらかじめ質疑者を定めず、自由に質疑を行いたいと存じます。
また、時間が限られておりますので、質疑、答弁とも簡潔に行っていただくようお願いをいたします。
なお、参考人からの意見陳述、各委員からの質疑及びこれに対する答弁とも着席のままで結構でございます。
それでは、竹中参考人からお願いいたします。
○参考人(竹中ナミ君) 竹中です。初めまして、皆さん、今日はどうぞよろしくお願いいたします。
今日、このような場でユニバーサル社会というテーマで発言をさせていただくことを大変うれしく思っております。
ユニバーサル社会とバリアフリー、ユニバーサルデザインとバリアフリーとどこが違うんですかということをよく聞かれるんですが、私が考えているバリアフリーというのは、こういう人たちにとってこの部分が困るので、町とか社会をこのように変えていきましょうということなんですが、ユニバーサルは、もう一歩進んで、障壁がなくなることによってその人がどういうふうに社会で活躍できるのかと、あるいは社会で活躍してもらおうというところまでを踏み込んで社会整備を行うというのがユニバーサルだというふうに感じています。
私がやっているプロップ・ステーションという活動は、正にユニバーサル社会を作るために、今、障害を持って働くことや学ぶことや生活することに現在困難度の高い人たち自身が立ち上がって、自分たちにとっても便利な社会はすべての人にとってもきっともっとより良い社会になるだろうということで行動をしているグループといいますか法人です。
実は私がこのような活動をするきっかけになったのは、私自身が、今年三十一歳になるんですけれども、大変重症心身障害という重い脳障害の娘を授かりまして、彼女の療育、介護をする中から、これからの大変な少子高齢社会において自分の娘のような状況の人たちが比率的に高まってくると、なおかつ、若い方々は減っていくというような時代の中で、どういうふうにしてみんなが力を出し合って支え合っていけば自分の娘のような存在も私がいなくなった後の時代にも守っていただけるのだろうかという、非常に母親としてのといいますか、障害児の母ちゃんとしての根源的な思いがあったことが実はきっかけです。
ただ、だからといって周りの人に何かしてくれというだけではなくて、自分自身がじゃそれにどういうふうに行動を起こしていけるのかといったときに、娘を通じて出会ったたくさんの障害を持つ人たちが、日本では障害者、障害があるないといってなぜか線を引かれてできないところをとりわけ数えられている人たちが、実はいろんな思いや力や潜在的なものを持っていらっしゃるということを知りました。すると、私はやはり、それを知った私としては、そういう人たちの一人一人の力を世の中に一つも漏らすことなく全部生かしていくようなそんな活動ができないかなということがこのプロップ・ステーションのきっかけでもありました。
よくユニバーサルデザインと言うんですが、実はこのデザインという言葉は、日本ではほとんどものとか物とかですね、そういったことを表すように思われているんですが、本来の意味は、思想とか考え方とか哲学あるいは法律までも含むような幅広い意味合いをこのデザインという言葉が持っています。
そうすると、私が考えているようなすべての人が力を発揮できてなおかつ支え合って構築するようなユニバーサル社会を作るためには、多分そのバリアフリーといういわゆる物理的な障壁を除去するだけではなくて、人の意識も変わってほしいし、あるいは法律や制度もいよいよ変わらないといけないのかなというふうに思いながら、現場で活動すると同時に、政治や行政に携わられる方々とも手を携えて今日まで活動を続けてきました。今日もこうやってこのような場所でユニバーサルについて発言をさせていただく機会をいただいたということも、一つ時代が進みつつあるのかなという大変実感を覚えてうれしく思っております。
私たちは活動の中で、障害者ではなくてチャレンジドという新しいアメリカで生まれた言葉を使っています。これは、障害を持つ人のことをアメリカでもハンディキャプトとかディスエーブルパーソンというふうに呼んでいたのですが、これは、その方々のできないところ、無理なところという、そういう部分に着目をした言葉なので、その人の中にある可能性に着目をした言葉を自分たちで生み出そうということで十五年近く前にアメリカの人たちが生み出した言葉がチャレンジドというこの英語なんですね。
これは、チャレンジドという、最後が受け身態になっているんですが、挑戦という使命や課題を与えられた、あるいはそのような挑戦というチャンスや資格を与えられたというポジティブな意味であると同時に、その人の可能性をすべて世の中に発揮してもらおうという思いも込めた言葉だということを知りまして、是非、障害というマイナスイメージの強い言葉ではなく、日本でもその方の可能性のところに着目をしたチャレンジドという言葉で私たちの活動を推進していこうというふうに今思って、「チャレンジドを納税者にできる日本」というような過激なキャッチフレーズを掲げて行動を続けさせていただいています。
今まで、とりわけ障害がある、あるいは障害が重い方というのは福祉の対象であって、弱者であって、何らかの福祉の施策で手当てをしてあげねばいけない人というふうに言われてきたのが日本の福祉だったんですけれども、アメリカやあるいはスウェーデンでは、既に四十年以上前から、弱者に手当てをする福祉ではなく、弱者を弱者でなくしていく、社会のメーンストリームにその人たちを引っ張り出して活躍していただけるようにすることを福祉と呼ぼうということで、ある意味、国是を変えてきました。
例えば、この納税者という言葉も、私が出会ったのは実はケネディ大統領が大統領になって最初に議会に提出した教書の中の言葉だったんですね。彼は、ケネディは、大統領として私はすべての障害者を納税者にしたいのだ、それがこれからのアメリカの国の大きな方向性であると。つまり、自由主義経済の国家において障害を持つ人たちの尊厳や人権を認めるということは、この人たちは納税者になるのが無理だじゃなくて、納税者になるように、国民全体で、あるいは国の政策として努力をしないといけないんだということを、そういう教書の中へ書かれているというのを知りました。大変私にとっては目からうろこといいますか、非常に目を開かされたような言葉でした。
日本でもやはりこういった新しい考え方、まあ既にアメリカやスウェーデンでは四十年以上前なんですけれども、この少子高齢化に立ち向かう日本においても、一人の人の力も無駄なく、そしてその人が誇りを持って社会の中で自分の力を発揮していただくためには、やはり納税者にというぐらいの、過激かもしれないけれども、そういうキャッチフレーズを掲げてもいいのじゃないだろうかというふうに考えて、私は関西のこういう福祉活動をする単なるおばちゃんなんですけれども、まして重症児のお母ちゃんという立場なんですが、そういうキャッチフレーズを掲げて活動をしてみようというふうに思いました。
そして、私たちの活動を大きく後押ししてくれたのが、実はIT、コンピューターとか情報通信と言われる道具でした。今まで自宅から出ることも困難であった、あるいは御家族の介護だけではなく、施設にいらっしゃるとか、進行性の御病気や障害で病院のベッドの上にいらっしゃるとか、そのような方はほとんどコミュニケーションを人と取ることも難しく、社会に参画することも困難で、ましてやお仕事なんてとんでもないと言われていたのですけれども、実は、私たちがこの活動を始める十三年前に全国のそういった重度の方にアンケートを取らせていただいたところ、これからはコンピューターのような道具で自分たちも社会に参画し、きっと力を発揮することができると、自分たちは保護や受け身でいるだけではなく、そういう対象でいるだけではなく、もちろん社会のサポートも必要なんだけれども、そういう道具を使って世の中に自分の力を発揮していきたいと、私たちも認められたいし、きちっと自分の力で稼ぎたいというふうにアンケートに答えてたくさんの回答が寄せられました。大変驚きました。本当にベッドの上で寝たっきりでいらっしゃるような方が、まさか自分の力を世の中に発揮して働きたいと、納税者にもなりたいと言われるとは思ってもみませんでした。
しかし、その回答を知ったときに私は、そのケネディの言葉も思い出しながら、ああ日本でもそういう方向性が必要なんだろうと、そうでなければ、あなたたちはこれこれできない、あれあれが無理よ、だから守ってあげますからねということで、結局その人たちの意欲や意思や働く力、社会に参画していくパワーというものをふたをしてしまうんだなと、今まで福祉と思われていたことが人の力にふたをしていることになっていくんだなというのを気付いたときに、やはりそのコンピューター、ITというような道具を思いっ切り使ってその人たちの可能性を最大限に世の中に発揮していただこうというプロップの活動の方向性が決まったわけです。
おかげさまでコンピューター業界というのは大変若い方々がリーダーをやっていらっしゃる業界でしたので、私のこういう考え方に大変共感をしてくださって、マイクロソフトのビル・ゲイツ会長を始め、すべてのと言っていいITの業界のトップの皆さんがこの活動に関心を持ち、様々な形で応援をしてくださいました。それによってそういった一流のプロフェッショナルな人たちから、今どのようなことを勉強し、どのようなプログラムが組み、あるいはどのようなクリエーティブなことがコンピューターでやれればそれが社会を改善することにつながり、なおかつその人の収入につながるのかというようなことを一つ一つ教えていただきながら、あるいは技術を一つ一つ教えていただきながら、たくさんのチャレンジド、私たちが呼んでいる障害を持つ人たちが今コンピューターネットワークでその力を世の中に発揮するという状況になりました。これは大変有り難いことだし、またうれしいことだというふうに思っています。
ただ、残念ながら、日本ではそういったことを国是として推進していくというところまでは至っていません。つまり、先ほど言ったように、ケネディ大統領がチャレンジドを納税者にするのだときっぱり言い、そして、それに沿う形で様々な法整備をされ、一九九〇年にはアメリカではADA法という、これは差別禁止法と日本では呼ばれ、障害者の差別禁止法と呼ばれていますが、実は機会均等法なんですね。差別というのは、障害者に手当てをして差別を埋めるのではなく、生活の場や学ぶ場や働く場にその人がいて当たり前の状態でいらっしゃる。つまり、その人口比率の中にいらっしゃるのと同じように、様々な場所にその人が存在するということが差別をなくすということなのだというまず前提を置いて法律を全部組み立て直しています。それは実はスウェーデンも全く同じで、約四十年前にそのような形で国是を変えているんですね。日本ではまだ残念ながら様々な働き方をそういった重度のチャレンジドがするというところの法整備もなされていませんし、まだ、教育の中でもこういう方々はまだまだ勉強することが難しいであろうと、特別な枠の中でというようなことが法律の主流になっております。是非日本もそろそろそういった新しい、どのようにしたらその人たちの力をこれから少子高齢社会の中ですべて生かしていただけるのかというようなところに踏み込んだ御議論を是非政治の場でもしていただければなというふうに思っています。
それから、先ほど言いましたけれども、ユニバーサル、ごめんなさいね、バリアフリーとユニバーサルの違いというのはこれは本当にまだまだ知られていないんですけれども、私たちはユニバーサル社会というのを、すべての人が力を発揮でき、なおかつ支え合うというイメージで考えております。
実は、厚生労働省の方が出している様々な指数の中で、あと十五年になるまでに、つまり二〇二〇年になるまでに、二軒のおうちがあればそのうちに一人、必ず介護の必要な人がいる時代が来ると言われているんですね。私が自分の重度の娘を介護した経験から言いますと、そのときには二軒、介護の必要な方がいらっしゃる二軒のうちの一軒は家族が恐らく介護という形のローテーションを組まなければならないと思います。そうすると、あと一軒の御家族がそういった家族を支えることができるのだろうかということなんですが、実は、皆さん御存じのように、そのときは既に四人か五人、人口のうちの四人か五人に一人は高齢者になっていらっしゃって、いわゆる現役は退いていらっしゃるわけですね。子供さんもいらっしゃるでしょうと。そうすると、わずかあと十五年の後には、支える人が多くて支えられる人が少ない、この下が大きい雪だるまの形はもう既に逆転するということが明らかになっているわけですね。
そのときに、若くて元気な人たちだけの力に全部負担を覆いかぶさせる日本の国なのか、それよりも、一人でもたくさんの方が少しの力であっても世の中に全部発揮をして、誇りを持って支える一員になっていただき、無理なところは支え合いをするというような社会であるのか、どちらを選ぶんだろうかという、恐らく日本という国が今分水嶺に来ているのではないかなというふうに思います。
私自身は、やはり自分の娘が重症であり、なおかつ、重症であっても親としては親亡き後も社会に守られてほしいなというこの思いから言うと、一人でもたくさんの人が支える側に回っていただき、なおかつ支え合いをするような精神性のある日本の国であり続けてほしいなというのを深く深く願っています。
そのために、私自身もできることを現場の中で精一杯やりたいと思うんですが、ただ、こうして現場でやってきて、実例を生み出したといいますか、このようにすればこの人がこうやって社会でその力を発揮することができるというこの一つ一つの事例をより大きく花開かせていただくといいますか、それを、よりたくさんの方がそういったパワーを世の中に発揮できるためには、やはりこれはたくさんの方が協力し、とりわけ政治の場で御活躍くださる皆さんが、新しい国づくりに向けて御議論とそして御発言と、そして法整備に向けて行動をしていただかなければ、多分次のステップへ行くことはできないんじゃないかしらというふうに感じています。
是非、たくさんのパワーある人たちが、実は日本の中でその力を発揮したくてうずうずしていらっしゃるということも知っていただいて、また、この後いろんな御質問も是非いただきたいと思うんですけれども、具体的な事例もこの後お話しさせていただきますので、是非今日はそういった前向きな議論で新しいユニバーサル社会を作るための場にしていただければうれしいなと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
○会長(勝木健司君) ありがとうございました。
次に、石川参考人にお願いいたします。
○参考人(石川嘉延君) 静岡県知事の石川嘉延でございます。
本日は、静岡県におきますユニバーサルデザインの推進状況について御報告をする機会をいただきましたことは大変有り難く、心から感謝を申し上げます。
それでは、早速御報告をいたしたいと思います。
お手元に、「しずおかユニバーサルデザインの推進」という冊子といいますか、パワーポイントの印刷物を差し上げてございますので、それに従いながら御説明したいと思います。
本県は、平成十一年度、一九九九年からユニバーサルデザインの考え方を県政の基本に据えて取組を始めたところでございます。そのようなことに至りました経緯、理由は、一ページの下段にありますように四つの背景がございました。
第一は人権の尊重、これを徹底するという観点からユニバーサルデザインの考え方の重要性に気が付いたわけです。本県では平成九年から人権啓発センターを設置いたしまして、同和問題はもとより、障害者の社会参加を始め外国人との共生、児童虐待、ドメスティック・バイオレンスなど幅広い人権問題を解消するためにこの啓発センターを設置をして、何とか県民意識の覚せい、徹底、これを基に人権の尊重される地域を作り上げたいと取り組んでまいったわけでございますが、なかなかそういう問題を県民の皆様方それぞれに自分のこととして真剣に取り組んでもらえるような状態になかなか行かない、浸透しないと、もどかしさがありました。
それから二番目は、静岡県でも平成八年に静岡県福祉のまちづくり条例というものを作りまして、福祉の観点から住みやすい地域社会を作ろうということでいろいろ取組を始めたわけでありますが、これも福祉のまちづくり、福祉という言葉が上にかぶさっているためか、いわゆる民生行政とか福祉行政をやっている行政マンとかあるいはそういう分野にかかわりあるような分野の方々はぴんときて、いろいろこの条例をきっかけにあちらこちらに働き掛けをしてくださるようになったわけでありますが、その他の分野、要するに全般的には、あれはもう福祉の分野のことだからということでなかなか我々の願いが全県的に広がらないという、これまたもどかしさがありました。
それから三番目は、障害のある人たちの自立、これを何とか実現することが非常に大事だということを私どもも地域におって痛感をしておりましたし、また障害のある方々自身もそのような願望を持っておるわけであります。竹中さんからも随分私ども啓発を受けていろいろやっておったわけでありますけれども、そういうことを進めるに当たって、非常に発信力の強いといいますか、浸透力のある理念とか言葉が必要だなというふうに思っておりました。
それからまた、最後の四つ目でありますが、男女共同参画社会がこれまた本県でも当然のことながら大きなテーマになっておるわけでありますが、そういうことに加えて、今後の高齢少子化社会を考えますと、男女共同参画に加えて老若ですね、老若・男女共同参画社会、これを本当に徹底する必要があるんじゃないかというふうに私は感じておったわけでありますが、これまた老若・男女参画共同社会、共同参画社会といっても、大体発音しにくいし長ったらしいということもあって、何かもう少しインパクトのある表現をしたいなと思っておったわけです。
こういう四つのいろいろ私は問題意識、課題を抱えておるときにこのユニバーサルデザインの考え方に行き当たりまして、ああ、もどかしさを打破する、あるいは県民にもっとこの我々が考えていることを徹底するためにはこれがいいなということで、平成十一年度に県政の基本に据えようということでのろしを上げたわけであります。
二ページの上段にありますが、平成十一年に全国初のユニバーサルデザイン室というものを県庁の中に設けまして、五人のスタッフ、専任スタッフを配置をして取り組むことといたしました。それを庁内外、県内に徹底するために、私を本部長とするユニバーサルデザイン推進本部というものを作りまして、まずは全庁的な取組から始めようということで平成十一年度スタートいたし、平成十二年、翌十二年にユニバーサルデザイン行動計画を立てまして、平成十二年から十六年までの五年間の行動計画を今実行中でございます。
この行動計画の立案、実行に当たりましては、二ページの上段にありますような推進委員会、学識経験者や専門家を委嘱しまして八名の推進委員会を設立し、この方々の助言、提言をいただきながらこれを政策化していくという体系で進んでおります。なお、具体的な施策の立案に当たっては、必要に応じてまた各種の専門委員会を作って取り組んでおるところでございます。
以下、具体的な取組事例に移りたいと思いますが、二ページの下段にありますように、普及啓発のためのいろいろ活動、そしてこれを普及していくためのガイドラインとかマニュアルの作成、そしてさらに、そういうものを一般的に広げる手段としてコンクールが非常に有効だと考えまして、アイデアコンクールなども実施をしてきたところでございます。
そういう実践例から幾つか御紹介をいたしたいと思いますが、三ページの上段にありますように、まずユニバーサルデザインに取り組み始めた平成十一年に、県の使っております封筒、これを改善いたしました。お手元にもお届けしてありますけれども、まずは視力の、視覚障害のある方々にとってみて触ってよく分かると、あるいは視力の弱い弱視の方にとってもよく見えるようなコントラストのはっきりしたデザインにする、そして凹凸を付けて、静岡県のマークであるということを認知をしていただいた上で、これは県から来た文書であるということが分かるようにすると。それから、右側のもう一つ、県財務事務所、静岡財務事務所という封筒がありますけれども、これの封をするところが波形になっておりますけれども、これを触手をして波形であるということが分かれば、お金などに関する重要な通知文であるということを弱視若しくは視覚障害の方でも理解できるようなものになるということで、視覚障害者の方々なんかの御意見も聞きながら、平成十一年、早速こういうような改善がまず庁内的にはされました。
さらに、三ページの下段にありますように、学校教育においてこのユニバーサルデザインを教えるということが非常に今後にとって重要だという観点から、教師用の研修テキストとか教材、これを開発し、ホームページ、インターネットのホームページなどで公開したり、あるいは小中学校の総合学習の時間にこのUDを授業の中に取り込んでもらうなどなどをやってまいりました。
それから、四ページに参りまして、ユニバーサルデザインを一般のメディアにも取り上げていただくという意味で各種大会も意味がありますので、平成十三年には、全国の第一回ユニバーサルデザイン大会を国内に呼び掛けまして、浜松市において開催をいたしました。これは大変反響を呼びましたが、翌年、平成十四年から県内を対象に全県のユニバーサルデザイン大会を年一回開催をいたすことにいたしまして、昨年十五年、本年度ですね、も二回目を開いたところでございます。
ここでは、NPOやボランティア団体とのコラボレーション、協働を実現しながら、幼稚園児とか小中学校での取組とか、あるいは各種NPO、ボランティア団体や企業などにおけるユニバーサルデザインの取組事例の発表とか様々な展示、そういうものを行っております。
それから、四ページから五ページにかけましては、県の施設整備に当たりまして取り組みましたユニバーサルデザインの事例であります。
四ページの左下は、昨年の秋の国体あるいはおととしのサッカーのワールドカップの会場地になりましたエコパという総合運動公園の整備に当たりましては、ユニバーサルデザインの考え方に従った施設整備をいたしまして、利用者の方々から大変好評もいただきました。あるいはまた、いろんな我々が気が付かなかったような苦情とか御指摘もいただいて、こういうものも早速改善をしながら前に向かっております。
右側の五ページの上段、これは県営住宅、既存の県営住宅のUD化の取組事例であります。こういうものは特段珍しい事例ではないと思いますが、もう既にこういうものはどんどんやっておるということであります。
それから、五ページの下は、県立総合病院のサインのユニバーサルデザイン化を実行いたしました。施工前と後では、例えば分かりやすくなったというアンケート調査では、施工後、八六%の来院者が分かりやすくなったと言っておりますし、施工前は院内で迷ったという方々が約四割おりましたけれども、施工後はこれが一〇%ちょっとに減少するなど顕著な効果が出ております。そのほか、県庁の本庁舎とか出先機関などでも、既に平成十四年度までに、いろんなサインなどのUD化あるいはトイレなどの改修、これはUD化を完了しております。
それから、六ページでありますけれども、民間におきます取組事例として、県の工業技術センターと木工企業が一緒になりまして、ユニバーサルデザインの机、いすを開発いたしまして、今、六ページの上段で女性が座っておりますけれども、これが、この方が立ち上がろうとするときには、ひじ掛けが短くなっておりまして、簡単にそこへ手ついて立てるということにもなりますし、このいす自身が九十度反転いたしまして、すっと楽に立てるというようなことにもなります。こういう商品が既に売り出されて、二年間で九千百万円の売上げを実施しているところでございます。
それから、下の六ページでありますが、県内の市町村にもこの取組が拡大をしておりまして、浜松市は、ユニバーサルデザインフェアというものをやって、ファッションの中にもこういうものを取り入れようということでやっております。
また、同市は今年度、ユニバーサルデザイン条例、これは全国初でありますけれども、そのようなものを作りまして、ユニバーサルデザインの普及徹底に努めております。
また、伊豆半島の東伊豆町という町では、ユニバーサルデザインのまちづくりをメーンにモニター旅行のボランティア研修をやったり、あるいは車いすのクロスカントリー大会をやったり、いろいろ活発にこの面での活動を展開しております。
また、県民、団体におきます反応も顕著に増えてまいりまして、七ページの下にございますように、ユニバーサルデザインという言葉や内容についての認知度でありますけれども、取り組み始めました十一年度におきましては県民の三一%しかこのユニバーサルデザインという言葉が理解されませんでしたけれども、五年後の今日、十五年度では六六%にまで拡大をしております。今年度は、平成十六年度はこれを七割に持っていきたいというのが我々のユニバーサルデザイン行動計画の目標でございます。
また、事業者の取組もごらんになりますような状態で増えつつありまして、県の総合計画、平成二十二年の目標で五割まで持っていきたいと努力をしているところでございます。
八ページに締めくくりとして書いてありますが、今後、行政、事業者、県民が一体となったユニバーサルデザイン推進に努力をいたしまして、富国有徳の静岡をつくり上げたいと存じているところでございます。
あとはいろいろ御質問に応じてお話を御紹介いたしたいと思います。
ありがとうございました。
○会長(勝木健司君) ありがとうございました。
次に、天海参考人にお願いをいたします。
なお、天海参考人の意見陳述の原稿は皆さん方のお手元に配付してございますので、御参考までにお願いいたしたいと思います。天海参考人。
○参考人(天海正克君) こんにちは。
今日は調査会にお招きいただき、ありがとうございます。
では、発表させていただきます。
初めに、私は、約三十団体で構成している障千連、障害者の生活と権利を守る千葉県連絡協議会の事務局長として活動しています。
さて、障千連では、国際障害者年の一九八一年ごろから継続的に町の点検活動を行ってきました。
この点検の活動とは、鉄道の駅やその周辺、公共施設、商店街などを見て回り、障害者が利用するときにどういう不便があるか、改善した方が良いところなどを検証する活動で、明らかになった問題点や要望を行政や関係機関に働き掛け、改善されてきました。
こうした経験に基づいて、この委員会の目的であるユニバーサル社会の形成促進に当たってバリアフリーという考え方がいかに重要であるかということを次の三つの視点から述べたいと思います。
ユニバーサルデザインは、高齢者・障害者又は健常者等の区別なく、すべての人が利用しやすい配慮したものと言われていますが、すべての人に共通する利便を検討するためには、個々人若しくは集団にとってのバリアを明らかにすることが不可欠であると思います。
一、障害の視点。
町の点検活動を行う中で、障害の種類や程度によって様々な問題があることが分かりました。
一九九七年、それまで二年以上の活動でやっと改善された千葉駅前広場の点字ブロックについての報告書を「三十センチの安全地帯」というタイトルで出版しました。
この三十センチの安全地帯、これは視覚障害者のための誘導ブロックを示し、一般的には点字ブロックと言われています。点字ブロックは、全盲の視覚障害者が白杖や靴底で識別できるように凸凹の突起があり、その色彩は弱視の障害者でも分かるように周囲とコントラストのある黄色とされ、一般の人にも分かるシンボルとしての機能を有しています。
しかし、数年前から、色や形状など様々な点字ブロックが数多く現れ、特に周囲の路面と同色の点字ブロックが増え、弱視の障害者が利用しにくくなっています。
一九九五年の初夏のころ、千葉駅前に突起部分のみが黄色の点字ブロックが敷設されているのを発見したとき、また新種の点字ブロックが現れ困るなという程度にしか正直には思っていませんでした。
しかし、視覚障害者はこれを問題視し、現地の点検や千葉市役所の障害福祉課、特定街路課などに何度も何度も要請を重ね、その中で事の重大さを認識していきました。つまり、幅三十センチの黄色い帯は、弱視の障害者がわずかに残っている視力や視野を頼りに歩行するときの道しるべであり、移動の自由、歩行の権利を保障するものと分かりました。
この道しるべとして実際に役に立つ点字ブロックに改善するために、三十三人の視覚障害者が千葉県弁護士会に人権救済を申し立て、その結果、千葉県弁護士会は千葉市に対して要望書を提出しました。それまで当事者の要望を頑固に拒否していた千葉市がやっと全面が黄色の点字ブロックに改善し、その結果、やっと三十センチの安全地帯が確保されたのです。
この点字ブロックも、車いすの障害者にとっては、がたがたと車いすが揺れて、歩くときの妨げになっています。
交差点の段差の解消についても、車いすの障害者にとっては絶対必要なことですが、視覚障害者にとっては歩道と車道の境界が分かりにくくなっています。
こうした中でバリアフリー化を進めていくためには、障害の種類や程度を超えて様々な意見や要望を出し合い、計画の段階から当事者も参画し理解を深める必要があり、さらに聴覚障害者や内部障害者、知的障害者、精神障害者、難病患者などの実態や要望などを十分に反映させ、そのバリアを除去する取組が不可欠であると思います。
二、生活の視点。
ハートビル法で特定建造物、部分的ではあるが、住宅改造で家、そして交通バリアフリー法で駅周辺と移動手段が改善されつつありますが、毎日の生活の視点から考えると、不十分な点が多くあります。
私は、二年前までは障害はあっても自分の足で自由に歩くことができましたが、手術後は電動車いすで電車に乗り、自宅のある新検見川駅から千葉駅で乗り換え、障千連事務所のある都賀駅まで通い続けて一年以上になります。
新検見川駅と千葉駅では、駅員がエスカレーターを操作し、スロープ板を使い電車に乗り込みます。都賀駅にはエレベーターがあり、エスカレーターを停止しなくてよいので、他の乗客に迷惑を掛けることはありません。
いつも電車に乗る駅から降りる駅に到着時間や乗車位置を連絡してもらい、駅員に待機してもらうのですが、連絡が間違ったり間に合わなかったということもありました。駅に着いても駅員が来ないときは、ドアが閉まるのを車いすで止めて、周りの乗客に駅員を呼んできてもらうか、車いすを持ち上げて電車から降ろしてもらいます。正に命懸けで毎日電車で自宅から事務所まで通っています。
JR新宿駅では、駅員が介助して、車いすごと斜めになって車いす対応ではないエスカレーターを利用したときに、バッテリーが車いすから落ちてしまい動けなくなったことが連続して二回もありました。
高知ではホテルのトイレが利用しにくかったので、夜中に高知駅の障害者トイレを利用したとき、突然照明が消え、シャッターが閉められ、閉じ込められてしまいました。ホテルのトイレには便座の横に手すりがあったのですが、私は縦の手すりがないと利用しにくいので駅のトイレを利用していました。
障害者トイレでも、縦の手すりがなくて利用しにくいトイレはたくさんあります。厚生労働省のトイレがそうです。
昨年一月十六日、ホームヘルプの上限設定に反対して、全国から千六百名の障害者が厚生労働省に集まり、抗議しました。
この日、厚生労働省の障害者トイレは車いすの列が長く続いていましたが、やっと入ったトイレには縦の手すりがなくて、私にとっては利用しにくいトイレでした。
さて、毎日の食事は外食がほとんどなのですが、車いすの生活に変わって困ったことは、それまで食事をしていた事務所の周りの中華料理屋さんや豚カツ屋、喫茶店などの通い慣れたお店に車いすでは行きにくくなったことです。
また、子供のころから治療していた歯科医院や眼科医院は行きにくくなり、車いすで行ける病院、医院があるかどうか、緊張してうまく治療できるかどうか、不安になります。
ハートビル法は、新設の建築物には適用されますが、既存の建築物には適用されず、障害者のバリアを解消するものにはなっていません。
三、人生の視点。
障害を持つ人と一言で言っても、障害による違いだけでなく、人生の節目ごとに考えていく必要があります。
私が小学生のころ、近くに養護学校がなかったので普通学校に通っていました。母に自転車の荷台に乗せられて毎日通い、学校でもずっと母が付き添っていました。高学年になると、クラスの友達が母の代わりに登下校や教室、体育館の移動などのとき手をかしてくれましたが、エレベーターなどなかったので大変でした。そのころから四十年ほど経過していますが、今でも小中学校のバリアフリー化は遅れています。障害を持つ親が子供の保護者会や授業参観に行くのも困難になっています。
このようにして生きてきた私も、二〇〇二年の初めに首から下がしびれて全身の筋力が衰え、手足がだらりと動かせなくなってしまい、歩くことも座ることも話すこともできなくなってしまいました。原因は、小さいころから話したり緊張すると顔を上に向けていたので、その積み重ねで首の頸椎がだんだんと変形し、神経が通りにくくなってしまい、それが急速に全身に現れたのです。
千葉の病院では薬でしびれや痛みを和らげる程度でしたので、横浜の病院で首を手術し、その後千葉の病院に移り、リハビリをしながら約半年入院していました。
約半世紀の人生の中で初めての手術、入院生活でしたが、その間一番強く感じたことは、人間の生命力、回復力の強さでした。ベッドで寝たままうなっていた人が、手術後すぐに車いすでリハビリに行き、数日後には歩行器で歩き出し、一、二か月で退院していく、歩けるようになって退院していく、そういう中で、それが後からの患者の励みにもなっています。
私自身も手術したころは全面介助で、自分では何もできませんでした。両手も関節が固まってしまったのですが、リハビリで少しずつ指が開き、力が付いてきて本のページがめくれたり、テレビのイヤホンを自分で耳に入れられるようになったことが、大変自分なりに感動していました。
しかし、以前のように自由に歩くことができなくなったので、毎日車いすでの生活に変わりましたが、この間に病院に支払った費用は約二百万、住宅改造で三百五十万、合計で五百万円以上のお金が必要でした。手術のときに医師から、このままほうっておいたら死ぬのを待つだけだと言われ、絶好の機会に手術ができ、こうした費用が出せなければ今のような生活はできませんでした。正に、金の切れ目が命の切れ目です。
人間として当たり前の生活を取り戻すための住宅改造や、障害を克服しバリアを取り除くための福祉機器などについて、国として大幅に援助すべきです。
以上、終わります。(拍手)
○会長(勝木健司君) ありがとうございました。
以上で参考人の意見陳述は終わりました。
これより参考人に対する質疑を行います。
質疑はおおむね午後四時三十分までをめどとさせていただきます。
なお、時間が限られておりますので、発言は質疑者、答弁者ともそれぞれ一回当たり三分程度でおまとめいただくようお願いをいたします。また、各委員におかれましては、質疑時間が質疑及び答弁を含め全体で十五分以内となりますよう、質疑は簡潔にお願いをいたします。追加質問がある場合には、この十五分の範囲内で行っていただくようお願いをいたします。質疑の希望のある方は挙手をもってお知らせいただくこととし、質疑は会長の指名を待って行われますようお願いをいたします。
それでは、質疑を希望される方は挙手をお願いいたします。
○藤井基之君 自由民主党の藤井基之でございます。今日はためになるお話といいましょうか、お三方からお伺いしました。今後の我々の検討の非常に役に立つ提言だと思います。
趣旨はおおむね分かりましたので、各論的になりますが、少し教えてください。
まず、竹中さんにお尋ねしたいのは、いわゆるあなたの活動されているのを非常に支援した技術というのは何かといったらITだというお話がございました。ITというのは、もう少し、ITのどういう特性が竹中さんの活動あるいはお仲間の活動に対して支援の有力な武器になぜなったか、なるのかということを教えてもらいたい。
といいますのは、天海さんの話の最後のところで、タッチパネル式になったら必ずしもすべてが便利になってないというお話あるわけでございますね。ですから、ITというふうに、一概にIT化すればすべてがというふうにも言えないところもあるのかなという感じもしましたので、その質問をさせていただきたいと思います。
同様の質問なんですが、実は石川参考人にもお尋ねしたいんですが、石川参考人に静岡県のいろいろな取組をされているということを伺っていまして、今日もお話ちょうだいしました。これから先、いろいろな製品面あるいはいろいろな環境整備にユニバーサルデザインというのを使われるとされたときに、じゃ、そのユニバーサルデザイン化をより一層進めるために今聞いているITを促進するということはどのようにそれを加速することになるというふうにお考えかということについて、竹中参考人と石川参考人に各々できましたらお答えいただきたいと思います。
○参考人(竹中ナミ君) はい、分かりました。
ITについてお話をしたいと思います。
ITというのはインフォメーションテクノロジーの略で、世界的にはICT、インフォメーション・アンド・コミュニケーション・テクノロジーと言ったりもしておりますけれども、この道具はあくまで道具なんですね。ですから、それをどのように使い、発達させていくかということは、すぐれて人間の英知といいますか、人間の知恵の部分に属すると。
今、ATMが不便というお話もありましたけれども、例えばプロップ・ステーションで目の見えない方がいらっしゃる、聴覚障害の方がいらっしゃる、指や手足が不自由な方々がいらっしゃる、それぞれITの使い方が違うわけですね。
例えば、全く見えない方の場合は音声装置あるいは指先からピンディスプレーといって点字のようなものがすごい素早さで出てくるものを触りながらIT化されて手元に入った情報を判読されます。
それから、聴覚障害の方の場合は直接の対面でお話をすることが難しいわけですから、やはり文字ベースで、文字とか絵とか画像とかといったものでコミュニケーションを取ったり、もちろん手話などを使われるのを皆さん御存じと思いますが、その手話も今ITに乗せていくというようなこともできるようになっています。
それから、例えば体が不自由で指が物すごく震える方の場合に、その方がキーボードを入力しようとするときに、一回押すだけのところを指が震えて複数回押してしまいますよね。ところが、それを一回と認識するようなIT技術をそこに取り入れることで、指が震えてもきちっと一回キーボードを押した操作ができるとかいうようなこと。
結局、ITがすばらしいのではなくて、そのITをその一人一人の人にどのようにきちっと使えるものとして広めていくのかというか、開発するのかという部分が実は重要で、そのためにも、様々な障害の人がITに触れることによって初めてITはそのような本当にすばらしい道具に進化していくことができるわけですね。
ですから、障害を持たない人たちだけがITを進化させることができるのでなくて、その逆で、様々な障害を持つチャレンジドの人たちが正にITという道具で花開いていくためには、ITの進化を彼ら自身が身をもってここをこう使いにくいからこのように開発せねばということを発言していく必要があるわけです。
そういう意味で、今プロップ・ステーションの活動に様々なIT業界の方々が開発者の立場で、あるいはそれを作り上げる立場で参画をしてくださっているということは、決して障害者が気の毒だから彼らを助けようというつもりで参画されているのではなく、むしろチャレンジドの人たちからITをどのように進化させればいいかという知見を得ているというふうに私は感じております。
そういう意味では、例えば目の全く見えない方とそれから全く聞こえない、しゃべれないという方が、今まででしたら対面で出会ったときにコミュニケーションは取れなかったですね。見えない方の場合は声で話し掛けるし、聞こえない方の場合は手話で話し掛けると、お互いにコミュニケーション全く取れなかった。ところが、それにITという道具で聞こえない人も文字で、そして見えない方もその文字を音声でというふうにコミュニケーションができるようになった。
つまり、今まで不可能であったような様々なコミュニケーションが取れるようになったことがまずITの一番大きな一歩であったかなと。それを進化させていくのはこれからの私たち全員の知恵といいますか、知見が本当にITに生かされていくように自分たち自身で持っていかねばならないのだろうなというふうに思っています。
それで、ITを使って、コンピューターを使って自分の意思を世の中に発揮し、あるいは仕事ができるようになったチャレンジドの人たちがどのように言っているかというと、ITは単なる道具ではなくて、人類が火を発見したほどの改革的なといいますか、革命的な、正に自分たちの声や思いやできることを世の中に出す最大の技術革新であるというふうにおっしゃっておられまして、まだまだもちろんこれから工夫の余地のあるところだとは思いますが、ITをそんなふうに進化させていきたいなというふうに思っています。
○参考人(石川嘉延君) ITについては、障害を持った方々のコミュニケーション能力をもう飛躍的に拡大する上で大変大きな機能を発揮しつつあります。これを竹中参考人がおっしゃったような形で様々な改善、それから開発をするに当たっては、ユーザーの意見をどんどん取り入れるような機会が増えてまいりましたから、ますます期待を高めているところであります。
加えて、インフォメーションの機会の拡充と同時に、障害を持った、様々な障害を持った方々の中には障害のない能力を、潜在的に物すごい能力を持った人たちが一杯おるわけで、そういう今まではITがなかったから表に出しにくかった能力がこのITを活用することによって表に出てきて、顕在化させて、そして社会貢献をする、そういう可能性がどんどん増えてまいっておりますし、現実にそういう人も出てまいっております。
加えて、私のところは二〇〇七年、平成十九年に技能五輪の世界大会と同時に障害者の技能五輪大会、アビリンピックを同時開催、併催いたしますが、ここに向けてもう既に我々、障害者の人たちのそういうスキル、技能の向上とその発揮のための訓練を始めておりますけれども、こういうことをやっていますと、どんどんどんどんその中から、このITあるいはそれを更に拡大したような、日本の技術力から生み出された様々な機器を活用して立派に職業人として自立をする人が出てまいっております。そういう点で私は、非常にこのIT並びに日本の高度な製造業の技術ですね、これに期待を掛けているところでございます。
○藤井基之君 ありがとうございました。
どちらかというと、IT音痴の私の方がチャレンジドにならなきゃいけないかなと。そもそもチャレンジドなのかもしれないんですけれども。
私は、今お話があった、さっき言っていましたね、ITという非常に新しいツールが、その社会、いろんな意味での能力を持ち得るという、それはそのとおりだと思うんです。そのために前提として、今お話ありましたように、ニーズというものが一体何かというニーズ発信がシーズ側に対してキャッチできなきゃ、逆に言うと、いわゆるニーズ発信する側も、技術がどうなるだろうか、将来的にね。今あるものがまたどうなったら、そうするとこんなニーズを訴えてもいいのかという双方向の出会いが、やはり何というかシステマチックに用意される必要があるのかなという感じがするんですけれども、これについてどういうふうに今なっているか、あるいはどのようにお考えかということをもう一度お尋ねしたいと思います。竹中参考人、お願いします。
○参考人(竹中ナミ君) 実は、これ、ちょっと今日発言をしてもいいかな、ちょっとフライングぎみなんですが、今月の末までに、国交省が省を挙げて、私どもと御一緒に、ITを活用したユニバーサルな移動、どんな障害を持つ人も自分の意思で自由移動ができるプロジェクトというのが開始されます。
それには、今、ユビキタスというようなこと、まあ横文字ばっかり出てきて実は私も本当は嫌なんですが、どこでもだれでも使える情報通信技術というようなことでユビキタスというふうに言われていますが、それを活用しまして、例えば、今、点字ブロックのお話を天海さんがされましたよね。点字ブロック、黄色い色で、凸凹していて、そこにつえなどでそれをたどっていく、命綱のような歩行誘導のあれなんですが、例えば車いすの方の場合はそこ凸凹しているところが困るとかいう御意見もあったり、歩行者の方が滑るというようなこともあったり。ところが、ここにこういったITとユビキタスの技術を入れますと、道路に、凸凹させるのではなくて、ICチップを埋め込むという形が取れるわけですね。そのITチップを基に、例えばその方が白杖を持っていらっしゃると、その白杖に電子的に、今あなたが直進していく先に、例えば何メートル行くと右へ曲がりますとか、左側にあなたが行こうとしているお魚屋さんがあるのですよみたいなことが、全部教えてくれるような技術が、実はもう既に技術的には開発されているんですね。
ただ、これを国家的にそのようなことをやるかどうかというのは、ごく一部、いろんな自治体とか、部分部分ではやられているんですけれども、それを全面的に日本国家として取り上げるということに踏み出すということに決まりまして、あっ、ごめん、言ってもいいのかな、済みません、決まりまして、私は大変それに期待をしているわけですが、正に、たった今のIT技術ではなくて、これからそのIT技術を進化させていくときに、どのような人にとってはどのようなものが必要かという、当然これ厳しいといいますか、精査が要るわけですね。
今いみじくも天海さんおっしゃったように、天海さんも二年前までは車いすが不要であったと。障害はお持ちでしたが不要であって、車いすに乗られるようになって初めて、車いすだともっと不便だと分かったとおっしゃったように、人間は残念ながら自分がその不便を被ったときしか分からない。これはでも、逆に言うと、科学や文化を進めるためのすごい知見をその方が持たれたということとイコールなんですね。これを私たちはチャレンジドという考え方で呼んでいるわけで、だとすると、その人が行動し、自分を発揮するのに何が必要かというのは、その不便を持っている方自身がきちっと発信してくださらなければならないと。それなしで何とかせいと言われたって困っちゃいますよというのが実は今の現状で、そうではなく、お一人お一人の人が、自分はこのようなものが世の中に存在すればこういうふうに行動ができるとか発揮できるとかいうことをきちっと発信をし、発言をしていただいて、それを受け止めて科学技術やITや政治に生かすということが多分今すごく求められていることであろう。そして、そこまで技術は実はできるところへ来ていますので、逆にそれを今度は受け止めてどうするかという議論が重要な段階に来たのかなというふうに思います。
○藤井基之君 ありがとうございました。
○松あきら君 今日は、お三人の参考人の皆様、本当にお忙しい中をありがとうございます。
公明党の松あきらでございます。よろしくお願い申し上げます。
まず、私の伺った感想から申し上げさせていただきたいと思いますけれども、竹中さんは非常にもう明るくて前向きでいらっしゃって、チャレンジドという言葉は、神様から挑戦という使命や課題を、あるいはチャンスを与えられた人、こういう新しい言葉。心身のハンディを数えるんじゃなくて、正に自分の中に眠っている様々な能力を生かそう、生かせる社会を作ろう、こういうことでとっても前向きで、私自身も共感が持てて、これからは正にチャレンジドというふうに、私も是非この言葉を使っていきたいなというふうに思っている次第でございます。
それから、石川知事は、私も実は静岡県生まれでございまして、母の実家も静岡県にありまして、その静岡がこのように本当にユニバーサルデザインの社会にしてくださっているということはとても誇りでもございます。これは政治家でも、もちろん知事の皆さん、首長さんの皆さんにも言えるんですけれども、いろんな様々な公約をいたしますけれども、なかなかそうした公約をこういう形として表していかれるという方は、なかなかそうたくさんはいらっしゃらない。その中で、やはり限られた財政の中で、特に地方財政厳しいですから、こうした正にチャレンジドの皆様にとって、あるいは健常者にとっても双方向が生きるということで、こういうユニバーサルの社会、あるいは静岡県を作っていただいているのは非常にうれしいなというふうに思っております。
それから、天海参考人は、本当に私、もう思わず最後に、本当は拍手とかしてはいけないのかもしれないんですけれども、思わず拍手をさせていただきました。本当に御自身の御体験の中からいろいろお話をいただいて、私は恥ずかしかったです。厚生労働省のいわゆるチャレンジドの方のトイレに、縦の棒がというか、あれがない。私の母も最近亡くなったんですけれども、ここ一年半くらいは車いすでございまして、義理の兄も倒れて、八年前ぐらいから車いすでございまして、ですから、どれほど車いすの方が大変かと、いろいろなことが私自身も体験として分かっておりますけれども、正にその中で御自身の身をもって訴えられていかれているということは、もう百聞は一見にしかずという言葉がございますけれども、天海さんがそうして出てきていただいて訴えていただくことが、私は、本当にすべての人の心を動かすということですばらしいことであるな、お出ましいただけただけでも有り難いのに、いろんな活動していただけているということに対して、私は正に尊敬を申し上げたいというふうに今思っております。
ところで、質問をさせていただきたいというふうに思います。
竹中さんがそのチャレンジドというすばらしい、これはアメリカなどではもう十五年前からですか、あるいはもっと前からこういうことがあったんだと思うんですけれども、日本ではまだまだこれから広げていかなければならないというふうに思いますけれども、やはりこのまず、ハンディキャップという言葉からチャレンジドという言葉になって、例えばどのような環境変化があったのか、あるいはどうなのか、その辺もちょっとまず教えていただきたいと思います。
○参考人(竹中ナミ君) 御返事申し上げます。……
○会長(勝木健司君) 御三方ですね。
○松あきら君 まず。
○参考人(竹中ナミ君) はい、分かりました。
チャレンジドという言葉になってというか、やはり今も言いましたように、マイナスのところに着目するのではなくて、その人の可能性にまず期待できるのかどうかというこの意識の変化のところが重要ですよね。
例えば手話でも、障害者というのは、体とやって、ぽきっと折る動作をして、そして人々とやるんですね。やはりそのマイナスのところに着目をしてしまう文化ということが、もうこれは人の意識であり、同時に、その文化を変えていくということなんだろうなというふうに思っています。
アメリカでもまだ、ハンディキャップやディスアビリティー、ディスエーブルパーソン、あるいはこのチャレンジドという言葉、いろいろ混ざり混ざって過渡期みたいなことですので、使われていまして、決してチャレンジドという言葉一つになったわけではありませんし、日本でも、私は決して、その障害者という言葉を使わぬと全部チャレンジド言えみたいなことで言っているつもりでも毛頭ないんですね。
ですけれども、その人間の可能性に着目するという文化を広げるという意味で、是非この言葉を知っていただきたいし、お使いいただければということです。
アメリカの場合、やはり大きく変わったのはADAという法律ができてからが大きいですね。やはり人の意識と法律というのはコンニャクの裏表みたいなもので、意識が変わって法律が変わり、法が変わってまた意識も変わっていくという、この上昇するスパイラルのような関係にありますから、そういう意味で、言葉が文化を変え、同時に法整備もされていくということが今重要なのかな。
それは、ごめんなさい、質問に答えるのも三分以内ということなのでちょっといったんこれで止めますが、法律についてもう少し詳しくお話をするべしということでしたらまたお話しさせていただきます。
○松あきら君 実は、学校教育ということを考えますと、私もいろんな方からいろいろお手紙もいただいたりするんですけれども、ある方が、お手紙いただきまして、やはりお嬢さんが知的障害を持っていらっしゃるチャレンジドのお母さんなんですけれども、地域の学校に通えなくて養護学校に通っていらっしゃる。このときに、その養護学校というのは、やっぱり自分の持っていらっしゃるハンディに対して非常にサポートしてくださるという思いがおありになるんですね。例えば竹中さんは、やはりお嬢様を養護学校に通わせて、障害者は特別だから分けて保護するという、こういう考え方に、福祉観に反発された、これもちょっと読ませていただいたんですけれども。
また、これはちょっと調べましたら、文科省は、そういうことはありませんというふうなお返事いただいたんですけれども、十七年度から個別支援学級を廃止すると、そして一般の教室で学ばせる、子供は皆同じという、そういう施策を取るんじゃないかというお手紙をいただいて、それでは困るというこのお母様の御意見なんですね。やはり、気持ちは有り難いけれども、自分の子供さん、子供をそうした学級に通わせていて、もしこれが普通学級に通わせてしまったら物すごくあるいはスポイルされる、一人だけに特別手が掛けられないといういろんな事情があるんじゃないか、やはり個別に支援をしてもらわないと学ぶこともできない子供もいるんだという、こういう御意見があるんですけれども、これはお三方にお伺いした方がいいかなというふうに思っております。
これに対して、どういうふうなそれぞれのお立場で御意見をお持ちなのか、まずお伺いさせていただきたいと思います。
○参考人(竹中ナミ君) 私は、これは選択肢の少なさの問題だと思っているんですね。
日本の場合は、昭和五十四年に義務教育の猶予、免除が緩和されるまでは、障害児は義務教育も受けなくてもよいという言い方で、免除してあげましょうという言い方で実は教育の現場から排除されていて、五十四年に養護教育の、障害児教育の義務ということになって、教育は受けるんだけれども、やはり分けた形でと。そして、やっとつい数年前、文部科学省になったときに、地域の学校がまず第一義的であって、そういった養護教育についても選択できるというような言い方といいますか方向性に変わり、今言葉も特別支援教育というふうに変わってきましたけれども、出発の段階でやはりそういった歴史があるということは是非知っておいてもいいのかなというふうに思います。
その中で、余りにも限られた選択肢の中だけでどうすんねんと言われて、ずっと言われてき続けたわけですね。ですけれども、今や公教育だけではなくて、例えばコミュニティースクール的な、これはもう海外の事例が一杯あるんですけれども、いろんな教育の機関が世の中に存在をして、そしてそれを本人や家族が選べるという時代も先進国では来ておりますから、日本でも私はそのような方向性にこれから行くのではないかと思います。
と同時に、別にそういう知的や身体の障害児童さんだけではなくて、不登校の問題とか、今虐待の問題とかも大きくなっていますけれども、様々な人が様々な形のいろんな多様な教育システムを選ぶことができるというのが、そしてまた柔軟にその中をその状況に応じて移動というか移っていくような、選択することができるというような方向に、それを私はユニバーサル、教育のユニバーサルというふうにも思っていますけれども、固定された中でどっちかじゃなくて、新しいものも生み出していくのがこれからの教育には必要かなと思います。
○参考人(石川嘉延君) 静岡県では、昭和五十四年に特殊教育義務化がされたときに、普通の学校と特殊教育学校、これを分けたわけですね。そのときに、分けるに当たって、教育資源や財源の不十分さから、県内、大変面積が大きいもんですから、障害児の教育は幾つかの地域に集約したわけですね。障害を持った子が遠距離通学しなきゃいかぬというようなことになっちゃって、非常に問題が多かったわけです。
そこで、私もそういう反省の上に立って、最近はもうできるだけ特殊教育諸学校を地域の近いところへ分散させると。そのときに、独立校で分散させる方式と、既にある普通の健常児の通っている学校の中に分教室なり分校なり、あるいは独立した学校でもいいですけれども、同居させる、そういうことを今推進しております。
それで、同居いたしますと、従来健常児の学校と特殊教育諸学校は授業の一環で交流教育というのを他方やっていましたけれども、これが同居をいたしますと、もう日常的にそういうことが行われるようになりますので、非常にいい成果がこれは出つつあります。
そして一方で、いわゆる今まで健常児の学級に入っていった子供の中に従来の特殊教育諸学校の対象でなかったような新しい障害というんですか、異常、異常とも言えるような現象をもたらす子供たちも、数は少なくてもどこの地域にも普遍的に存在するようになってまいりまして、健常児の学校と言われたところにも非常に問題が起こっていますので、今後は竹中さんがおっしゃったような選択肢をたくさん増やして、保護者、子供が選べるようにする、それに向かって進んでいきたいと。
それの一つの第一段階が、特殊教育諸学校を地域にもっと戻していくという、そういうことを今具体的な方法として着手し、さらに、健常児の学校については、それ相応のいろんな特別な能力を持った教員とか、あるいは地域の人のそういう機能を持った人を非常勤、嘱託のような形でお願いをして対応していると、そういう状態でございます。
○参考人(天海正克君)(中村尚子君陳述補佐) 自分自身は、小さいころ養護学校が近くになかったので普通の小学校に通いました。中学校から養護学校に通ったという自分の経験がある。子供がどこの学校に行くかについては、その子供の発達とかあるいはその生活の状況、それから家庭の状況、そしてどんな力を付けるのか、どうしたら伸びていくのかということを総合的に判断して決めていく、そういうことが必要だろうと思っている。
特別支援教育ということが新しく始まっているけれども、これについて今聞くところによると、文部科学省はADHDとかLDなど普通の学級に在籍している子供についての教育を良くしていこうと考えているようだが、これに当たって今考えられていることは、養護学校の先生とか特殊学級の先生がそこに派遣されて、面倒を見ればよいと言っているように聞こえてくる。本当にこうした普通の学級にいる子供たちのことを教育するためには、それに携わる教員を増やさないといけないのではないか。養護学校の先生や特殊学級の先生が面倒を見るというのでは駄目だろう。教育条件を良くしていくということ。このままでは、例えば養護学校にしろ特殊学級にしろ、非常に教育条件が悪くて、先生の数が足りていない。先生だけじゃなくて、子供に合わせた食事を作るための調理師とか栄養士さんなんかも少なくなっている。こういったことでは、子供が生き生きとすることはできない。教育条件を良くしていくことで特別支援教育に必要な教育条件を整えていくということが今求められているのではないかと考える。
○松あきら君 ありがとうございました。
済みません、時間ですので、次の質問は二巡目がもし回ってきたらさせていただきます。ありがとうございました。
○西山登紀子君 日本共産党の西山登紀子でございます。
今日は三人の参考人の皆様、本当にありがとうございます。非常に具体的で実践的な陳述をお伺いいたしまして、とても参考になる思いでございます。
私の一番目の御質問は、三人の参考人の皆さんにそれぞれお答えいただきたいと思うわけですが、当調査会は三年間の長いスパンで調査を行っている参議院にございます調査会です。真に豊かな社会とはというのが大きなテーマでございまして、日本は経済大国と言われているんだけれども、国民の一人一人は余り豊かさを実感することができていないと。どうも豊かになったような実感がない、なぜだろう、どうしたらいいんだろうというのが、これは与野党も含めまして一致した問題意識でございまして、そこを何とか調査しながら解決の方向を見いだしていこうというのが本調査会のテーマでございました。
三年目の最終年度を迎えているわけですけれども、それぞれの参考人の皆さんが、本当に豊か、人間としてというか御自身、豊かさとは何ですかとお聞きしたら、どうお答えいただくでしょうか。まず、その点をそれぞれの参考人の皆さんからお願いをいたします。
○参考人(竹中ナミ君) 物質の豊かなのか精神の豊かなのかとよく単純にそういうふうに言われるんですけれども、やはり物質の豊かさというのはこれ人間やはりどこに、どこの国のだれでも多分追い求めるものだと思うんですね。精神の豊かさというのは、これはやはり意識して自分たち自身、自分を磨くことも含めてですね、やっていかなければ得られないものであると。そういう意味で私は、両方が豊かであるということがもちろん最もいいんだろうというふうに思います。
ただ、私、個人的に言いますと、自分が重度の障害を持つ娘を授かる前と授かった後では間違いなく授かった後の方が豊かであるなと。つまり、今まで見えなかったもの、分からなかったこと、知らなかったこと、本当にたくさんのことを知りました。
例えば、自分が障害児を持っていないときには、よそのお母さんが重い障害を持つ子供さんを抱いていらっしゃったら気の毒だとしか見えなかったわけですね。あるいは、障害を持つ方と出会ったときも、いや、何かお手伝いしてあげないかぬかしらみたいな、そういう目線でしか見れなかった。ところが、自分自身がそうした子供を授かってみて分かったことは、その人の中にわずかでも何かすごいもんがやっぱりあるんだなと。だから、気の毒やなというふうに見ること自身がやっぱりいけないというか、それを、その人を気の毒にしちゃうんだなと。
ですから、私も自分が障害を持って、障害児授かって、よそのお母さんから大変ですよね、気の毒ね、ナミさんとかと言われると、逆に、いや、そう違いますねんって、結構これでおもろいとこありますよみたいな、意地ではなくて、実は、だからこそ知り得たこととか、だからこそ出会う人の幅が物すごく広がったとかということをどういうふうに人に伝えたらいいんだろうかと日々思うわけですね。それは、ですから、物質の豊かさとは多分違うんですけれども、私にとってはむしろ経済的に豊かになるよりも幸せであったかなというふうに思っています。
○西山登紀子君 ありがとうございます。
○参考人(石川嘉延君) 大変難しい御質問でありますが、私は現在、知事として静岡県の豊かさを追求するにはどうしたらいいか、そういうことで打ち出しておることをお知らせしてお答えに代えたいと思うんですけれども。
富国有徳ということを私は唱えておるわけです。この富国有徳は、富士山の富士という言葉そのものと意味は同じでありまして、これを四文字化するとこういうことになるということであります。富国の、富国ということは、これはもう経済的にも、そして例えば我々の暮らしの空間である自然環境も、それから文化的な環境もすべて含めて私は豊かでなきゃいけないというふうに目標を定めて、静岡はそういうところを追求しようとやっております。
それから、有徳の方ですけれども、これは人として備えるべき徳をすべて備えた人をもののふというわけでありまして、そういう、個人にとってみればそういう人をみんな目指そうと、それでまたそういう人たちがお互いにお互いのことをよく分かり合いながら、力を一緒に合わせながらいい地域をつくっていこうと、そういうことで取り組んでおります。
この人づくりの観点では、そういう人をつくる観点では、私はもう既に平成十年から人づくり百年の計委員会というものを組織をいたしまして、静岡県では有識者の方々が県民との対話もしながらまとめ上げていただいた静岡県の人づくりを今提言をいただきまして、意味ある人をつくろうという人づくり運動をやっております。意味ある人というのは何かというと、自立しているということ、それから思いやりがある心を持った人、そしてやらねばならないことをちゃんとやるという、ちゃんとできる、やることをやるという人、この三つの要素を兼ね備えた人を我々は意味ある人と名付けて、そういう人を育てるように、生み出すようにしようと努力をしております。そういう人が一杯できてきて、経済的にも物質的にも精神的にも豊かになる地域でありたいと願っておるところです。
○参考人(天海正克君)(中村尚子君陳述補佐) 豊かさということは、はっきりした答えはなかなか分からないけれども、人間が自分の力を発揮できるということではないかと思います。例えばそれがお金がないためにできなかったり、障害が重いためにできなかったりというようなことがなくて、それをお金がないということとか障害があるためにというようなことを取り除くことで豊かな社会を作っていくと、そういうことが必要ではないかと思っているということです。
例えば、やっぱり自分自身が障害が重くなって何もできなかったときに、やっぱり手術することができてやっぱり再びできるようになった。自分自身はそういうふうに再びできるようになったけれども、自分の周りには二次障害でもうこれ以上治療をしても無駄だとか、もう手術はできないとか言われた障害者もいると。やはりそうではなくて、やっぱり生きる力を出すために必要な支援、これを社会がやっていく、そんな社会であってほしいということ。
病院で寝ている間に考えたことは、このまま絶対動けない状態になってしまうのではなくて、やっぱり何とか復活しようと思った。絶望感はなくて、不思議と楽観的な明るさを持ってきた。常にそれを、明るさを持ってきた。やはりすべての人が希望とか力を出せるような社会を作っていくためにいろいろな手助けをする、そういう社会であってほしい。
○西山登紀子君 どうもありがとうございました。
私は、天海参考人が調査会に来ていただいて、非常に具体的なお話を伺えたことをとてもうれしく思っております。
それで、「おわりに」というこの参考人のペーパーの一番最後から四行ですね。「ユニバーサルデザインはバリアフリーの考え方を一歩進めたものと指摘もありますが、私は以上のような点からバリアフリーはユニバーサルデザイン・ユニバーサル社会という課題に解消されない、されてはならないものであり、障害をもつ当事者が参画したバリアフリー化を各方面で進めるべきと考えます。」という、この四行の重みというものを今痛感をしているわけですが、最後に、天海参考人に、障害者の、天海さんが考えていらっしゃる就労権を保障するという問題についてどうお考えになるか。短くていいですが。
○参考人(天海正克君)(中村尚子君陳述補佐) 自分自身も就労しようと思って三十から四十の会社や公務員試験を何度も受けました。一次試験は合格するんだけれども、面接で駄目でした。やはり、障害があると何もできないという考え方があります。障害者が自分の力を発揮できるような条件を作っていく、そういうことを進める企業であってほしいと思います。竹中さんの話にもあったように、障害者が力が発揮できる職場、活動できる場ということが考えられているので、やっぱりそのために社会が応援すべきだろうと思います。
特に日本の雇用率、企業の障害者の雇用率は、大企業ほどその法定雇用率を達成していない企業が多いという現実があります。本来は大企業ほど働く場や部署があるのに、雇用の機会を作っていない、そういうことをもっと改善するような措置をすべきであると考えます。
○西山登紀子君 どうもありがとうございました。
○山東昭子君 自民党の山東昭子でございます。本日は三人の参考人の方々に、障害児者に対しての基本的なことをお伺いしたいと思います。
私自身は、女優時代から、あるいは政治の道に入りまして、一九七五年から特に障害児といいましょうか心身に障害を持った子供たちの教育問題をずっとお手伝いをしてきたわけで、ですから、障害児者に接する機会というのは非常に多かったんですが、一般社会において、先ほど竹中参考人もおっしゃられましたけれども、欧米と違いまして、日本の社会というものは障害を持った人たちに町で会ったときも、何か、あっ、じっと見詰めてはいけないんではないかというようなことで、何か目をそらして慌てて小走りに去ってしまったり、あるいは何か、どうしていいか分からないというようなことで、ボランティア活動をしている人とかあるいは職業上で障害児者に接している人を除いて、一般の健常者というものは障害を持った人たちときちんと話し合う機会というのはほとんどないと言っても過言ではないと思います。
そのために、やはり何か障害者というものに対して、何かただはれものに触るように思っていて、一体本当にその人たちに対して我々が何をしたらいいのか、あるいは障害を持った方たちがこんなことは絶対にしてほしくないんだと、あるいはこういうときにはこんなことを是非してほしいんだというようなこと、もちろん障害の中身であるとかあるいは障害のクラス、度合いによってももちろんお考えとか要求されることは違うとは思うんですけれども、そうしたことを是非お話をしていただきたいなと思うこと。それは竹中参考人と天海参考人にお伺いしたいと思います。
それから、石川参考人には、県という中で、大きな社会の中で高齢者やあるいは障害を持った人たちのために何か本当に対応していこうということで、いろいろなデザインで御苦労されたわけでございますけれども、実際面で、予算の上で一体どれくらい思い切ってそういうことを導入されたときにはお金が掛かったのか、あるいは対策面で人員の問題とかそういうことでどんな問題点があったのか、それをお伺いしたいなと思います。
○参考人(竹中ナミ君) ごめんなさい。設問の意図がよく分からなかったんです。困っていることは具体的に何ですかということですよね。
○山東昭子君 ええ。ですから、障害者の方がしてほしいこと。
○参考人(竹中ナミ君) 実は、障害があるとかないとかという、そういう分け方をすることをもうそろそろやめたいですよねというのが実は私たちが一番言いたいことなんですね。
その人が、例えば働くという感覚で、切り口で語ったときに、雇用率の話も出ましたけれども、雇用率以外の、じゃ、働き方があるのか。動ける人間や口の達者な人間がお仕事を、営業してきて、そして動けない人は自分の一番最も力が発揮できる介護を受けていらっしゃる現場でお仕事をするというような、つまり動ける人間、動けない人間がきちっと組み合わさった働き方のシステムを、それをITを活用してというようなことでプロップはやってきたわけですね。
そうすると、今まで働けないと言われていた人たちの力がそれによって外へ出せて、なおかつその人は収入がきちっと得られる人になっていくと。つまり、新しい考え方による新しいシステムを生み出すことで、これは無理やねんとか困っているねんと言っていたことが解決の道筋につながっていくわけですね。
そういう意味でも、もちろん今何に困っているかということは明確にしないといけないんですが、明確にしたその困っていることを手助けしようという形とか、逆に、働けへんのやったらお金で補ってあげたらいいやんみたいなんが今までの福祉だったんですよ。でも、お金で補ってあげるということは、ある意味もろ刃のやいばみたいなところがありまして、できることを発揮させるようにする仕組みを作るのではなく、できないということをまず固定的に見てしまって、それをお金で埋めるときに何が起きるかというと、私はもっとできませんという人だって生み出すわけですね。これは非常に怖いわけです。だれにとってもモラルハザードになるわけですね。ですけれども、残念ながら結果として力を引き出すことを議論してこなかった国において、どうやってお金で埋めてあげましょうかという議論の方に集中して今日に至っているということは否めない事実です。
ですから、今日、参考人三人がすべて言ったように、その人の力を世の中に出せるようにというところを徹底的にすべての立場の人間がやはり考えていかねばならないのだろうなというふうに思います。そのために、逆に、じゃ、今何をすることが必要なのか、何に困っているのかということを探すと。つまり、そこをお金で埋めるのではなく、引き出す方のために困っているところを出し合い、出して、まずさらけ出した上でどうするか考えましょうということなのだろうなというふうに私は思っています。
それと、一個これ余談で、実は先月の二十六日に衆議院の予算委員会にも招いていただいて同じようなことを申し上げたんですが、健常者、障害者という言い方がありますが、健常者と言われる中で、自分で苗代を作ってもみまいて稲育てて稲刈りして脱穀して精米して御飯食べている人、ほとんどいないんですよね。魚食べるときに釣りざお持って海行く人もいないわけですよ。つまり、文明や科学が進めば進むほど、健常者と言われる人も世の中の仕組みや制度の中で初めて生きているにもかかわらず、目の前に障害がある人がいた瞬間に、なぜか私は全能感、この人はこれできない、あれできないって数え出すこの文化を、この文化そのものを変えようと。お互いできるところとできないところとあるんだ、できるところは出し合いし、できないところは支え合う、それを生き方にも精神にもあるいは政治のといいますか、社会のシステムにもしていきましょうというのが私が今日発言させていただいているユニバーサルで、それに向けてのお力を是非皆さんにおかりしたいというふうに思っています。
○参考人(天海正克君)(中村尚子君陳述補佐) 御質問のことで余り深く考えたことはないんだけれども、今までの方が話されてきたように、何でもこう、できないと考えないでほしい。同じ権利があり、人間として平等だということを認識してほしいと思います。
よく言われることですが、お手伝いすることはありませんかという声が掛けられることがあります。そうではなくて、是非、一緒にやりましょうという言葉を掛けてほしいと思います。そういうことで障害者も同等に参加して、いろいろなことが一緒にできるのだと思います。例えばですが、横断歩道を渡るときに、手を引きましょうかということではなくて、一緒に渡りましょうと、こういうふうなことです。互いが同じ人間だと理解したとき、平等な関係ができるし、私たちも負担を感じません。
してはいけないことと言われても、これもまた難しいんですけれども、障害者といっても視覚障害、聴覚障害、肢体不自由、肢体不自由にもいろいろな、手足や全身性の障害などいろいろあります。障害者同士、あるいは障害者とその障害のない人、すべてが互いに意思が通じ合うというわけではないけれども、やはりここは積極的に声を掛け合うということが大事ではないかと思います。
障害者の中にも、やはり今までの生活してきたことから、外に出にくかったり、様々な生活の条件の下に外出できないという人がたくさんいます。町づくりも、移動の条件が整っていないために外に出られないという人もいます。しかし、お互いにそういったことを出し合い、あるいは話し合ってこそ共通理解ができる。一緒に作り上げていくという段階、つまりこのテーマ、ユニバーサル社会を作り上げるということだと思いますけれども、作り上げていく段階から障害者と一緒に話し合っていただきたいと思います。
○参考人(石川嘉延君) ユニバーサルデザインの関連で予算的なものはどうなっているかというお尋ねでございましたが、ちょっと手持ちにその視点からの集約したものがございませんので、全貌を御報告できかねますが、その中で主なものをピックアップして申し上げますと、県の持っております庁舎であるとか県民向けの様々な公の施設がありますね、これについてはもうほとんど、バリアフリー・プラス・ユニバーサルデザインの両方の取組でほとんどもう手が打たれておりますので、今後これについて多少の維持補修費の追加はありましょうけれども、余り問題は残っておりません。
問題は、JR等の公共交通機関の駅舎のユニバーサルデザイン化、エスカレーターとかあるいはエレベーターですね。本県内で緊急にとにかくそういうものを整備することが望ましいと私どもが考えておりますのが、県内にJRその他の施設を含めて二百二十四の駅がありますけれども、そのうちの整備を急ぐものが三十九駅あります。今のところこれがまだ十二しか整備済みではありませんので、今後これを早急に手を付けていきたいと。これには国庫補助制度がありまして、国庫補助の枠が取れるかどうかというのがかなり我々の実行に当たって影響があります。したがって、この面でまた国にももっともっと期待をしているところであります。
それから、超低床バスですね、ノンステップバス、これは現在、静岡県内では大体乗合自動車の、乗合バスの二割程度がノンステップバスになる予定であります。これをもっともっと増やしていきたいと思っていますけれども、これもやはり国の補助制度もありまして、これの拡充を期待をしております。
あとそのほかの、例えば啓発事業でありますとか、教育の分野におけるいろんな手当て等も、これは最初からもうユニバーサルデザインの考え方に従っていろいろやっていけば、特段そのことによる特別な出費増というのはもう微々たるものでありますので、今後は全般的に、例えば義務教育施設整備費についての、例えば耐震補強をやるときにそういうのを併せて学校の施設にエレベーターを導入するとか、そういうことは一緒にできますので、是非、一般的な文部科学省の予算なんかも増やしていただければ、そういう中で十分取り込んでいけることだと思っております。
○山東昭子君 ありがとうございました。
要するに、頭の中で区別するんではなしに、とにかく意識改革をしていかなきゃならないなということを私ども反省をいたしました。ありがとうございました。
○伊藤基隆君 私は、民主党・新緑風会の伊藤基隆と申します。民主党と、それに同調する人たちによって参議院にできました民主党・新緑風会という会派でございます。
今日は、三人の参考人の皆さんに御出席いただいたことにまず感謝を申し上げます。今日、二人の個人の立場と一人の行政の長としての立場ということでの参加をいただいたことは非常によかったなというふうに思いますが、ある意味では、静岡県知事も個人としての苦悩というか取組の歴史のようなものをしょってきておられるんじゃないかというふうに感じました。
まず、竹中さんの問題提起でございますけれども、私は事前に配られました書かれた論文を拝見しておりまして、多くの感じることがありました。
まず、「時流自論」、朝日新聞の四月十三日、二〇〇三年四月十三日ですが、「世の中、閉塞感に覆われ、経済も低迷しています。発想を変えて元気を出してみませんか。」と、まず冒頭書かれていて、あれっという感じはいたしました。なぜそういうことで何かしようとしているのかと。
五月十八日、二〇〇三年五月十八日、同じ論壇の中で、「私が重症心身障害を持つ麻紀を授かったのは三十年前。」ということは、それは大変なこれまでの経過、生きてきた歴史というようなものの重みを感じます。
ただ、二〇〇三年六月二十九日の同じ欄で、「アメリカではチャレンジドの就労について、政府自らが範を示すことを法で明確にしており、政府職員の七%がチャレンジドだそうです。」と。この辺が私は竹中さんの問題提起の始まりではないかというふうに読みました。
同じく二〇〇三年十月五日で、「ユニバーサルは「バリアを取り除くだけでなく、その人が力を発揮する、つまり社会参画や就労を果たすまでを見据えた構造改革を行う」という意味を持ちます。」と。
神戸新聞十一月二十三日、「同時代を駆ける」の中で、「チャレンジドがより力を発揮できる社会を実現するには」「チャレンジドと企業をつなぐコーディネーターの役割をする組織が必要。」「NPOのような民間団体の力も重要になってくるでしょうね。地域の問題を浮き彫りにするのがNPO。そして、企業がその活動に協力し、さらに、行政が制度や法律によって後押しをする、という流れができれば」と。私は、この問題提起は、先ほど天海さんが答えた、社会の支援があればということと非常に共通している問題であろうと。政治に対する皆さんの問題提起、メッセージだろうと。それが個人の非常に多くの努力の積み重ね、生きてきた軌跡の積み重ねの中から出てきた政治への問題提起というふうに受け止めました。
私は、大切なものは細部に潜むというふうにずっと思ってきました。その個からの発信、皆さんの重責、重ねてきたいろんなものが今日ここで発表されて、私たちに語られたということの重みが感じられるものであります。
静岡県知事が印刷物によって述べられました。ユニバーサルデザイン導入の経緯として、人権の尊重から老若・男女共同参画社会というんでしょうか、老若・男女共同参画社会づくりというんでしょうか、いうことを立てて、目標として立てて、もどかしさを感じているときにユニバーサルデザインに行き当たったと。それで、実践、行動計画に入っていくと。財政上の問題も多々ある中で、かなり知事の個性的な考え方が運動を推進したんだと思っています。
ほかの方も触れておりましたけれども、天海さんの中で、私は「千葉駅前点字ブロック人権救済申立事件の経過」というのを読みまして、具体的な事例で実情が述べられている。ユニバーサル社会の形成促進に当たって、バリアフリーという考え方がいかに重要であるかということを指摘されております。ただ、すごい迫力を感じましたのは、金の切れ目が命の切れ目というところですね。バリアフリーはユニバーサルデザイン・ユニバーサル社会という課題に解消されない。
今、日本の政治、社会の中で最大の問題は、市場メカニズムを最重要視する経済政策が取られていることだろうと思っています。市場が不完全だから政治の介入が必要なんだというものに対するアンチテーゼみたいに、市場の完全化を求めるという努力がずっと、どういう努力か知りませんが、されています。市場は暴力化していると。最たるものが、個人間の所得格差が拡大しているという問題がございます。これは政府のデータによって明らかです。私は、これらが今、市場の暴力とも言われるものが教育の分野に入ってきて、福祉の分野に入っていると。そのことが、私は、皆さんがそれぞれの努力をされて、個人としての格闘や行政としての努力というものがありながら、もどかしさというものを感じるんじゃないかと思って聞いておりました。
私は、市場メカニズムでいけることは一杯あって、それはそれでいくべきだと思いますが、やはり政府の介入という必要な部分もそこに共存していかなきゃならない。そういうものがきちんととらえられて、この調査会が言う真に豊かな社会の構築ということになっていくんだと思いますが、今そういうふうな道に進んでいない。このことについては、私は、強く行く末の、日本の社会の行く末に対する危機感を持っています。
是非お伺いしたいことは、政治への要求といいましょうか、あるいは政治への期待というか、それは憶面もなく言っていいことだろうと思うんで、是非そういうことについて三人の参考人の皆さんからお聞かせいただきたいと、政治への思いをお聞かせいただきたいというふうに思います。
○参考人(竹中ナミ君) 私がお話ししていることは、すぐれて政治的であるというふうに私は自覚しております。
政治というものを政治家だけに任せてきたことが国民の一つの大きな誤りであったのではないかというふうに思っているんですね。私たちが現場で今、こういうふうにしたらこの問題を、あるいはこの課題をこう解決できるよということを自分たちで示そうとしているわけですが、今まではややもすると、政治にやってくださいとか、行政にやってくださいとか、政治家さん、お願いしますとかいうような一方通行のやり方で来たわけですね。そうすると、当然何かしてあげなくちゃいけないと思われるんですけれども、じゃ、その何かって何よというのが十分に分からないまま細かく精査をされ、知見がそこに集約されたものでない場合には、先ほども言ったように、じゃ、あんた大変なんだったら補助金上げたらいいやんみたいな話になってきたわけですよね。
これを何とかせねばならないという時代に、何とかせねばならないのはやっぱり自分たち自身なんだよねということを実は、まあ私は神戸生まれの神戸育ちであの阪神大震災も体験しまして、あのときに、今までだったら役所に何か言いに行ったらいいわと、助けてくれと言えばいいわと言っていたものが、市役所もつぶれ、区役所もつぶれ、官も民もなく、地域とか生きるということというのは自分たち自身でどんな立場の人間も同じくやっぱり考えないといけない。
そして、私たち自身は、自分たちにとって必要なものは自分たちでモデルを生み出して、そしてこういうふうにしたらこんなことが結果が出せましたから、そして社会にとってこれは非常にプラスの方向ですから、これを制度にしてください、政策にしてくださいと言って、次はやはり政治といいますか、政治の場に託した人たちにバトンタッチをするのだろうと。そして、それで、そういう制度ができたときに、今度はそれを公務員と言われる人たちがきちっと守って推進していかれると。
だけれども、やはり時代が進んでまた新たな課題ができたときには、国民がまた自らどうしたらいいかということも考えて、そしてモデルも生み出していくという、これで初めて私は産官民といいますか、やっぱり政治と行政とそして国民の循環ができてくるんだろうと思うんですね。そこの分岐点に、まあ先ほども言うように分水嶺に正に来ているのかなと。やってください、してください、私たちは待っていますではもう駄目なの。
そういう意味で、政治家の皆さんに今日こういうふうに、まあ現場でいろいろモデルを生み出してきた側の立場の人間がお話をさせていただいてお伝えしたということは、非常に貴重な場所であったと思いますし、それを受け止めていただいて今度はそのバトンを、受け取ったバトンを制度作りというところに生かしていただければ大変うれしいなと思います。
○参考人(石川嘉延君) ユニバーサルデザインのように、社会の認識を同じようにするといいますか、認識の共有化を図るというテーマのようなことについて国の果たす役割は非常に大きいと思いますが、ところがそういう際には、今度は具体的な実践例に、実践の段階になると、各地域で行う実践に、まあ例の補助金制度などによってもう微に入り細に入りやり方を統一的に規制するということが、実はこれは結果的に非常に効果をそぐ結果になっているわけですね。
ですから、私はこの際、国、地方を通ずる内政、私は内政構造改革が必要だということを主張しているわけでありますけれども、抜本的に、今の我が国を運営していく上での国、都道府県、市町村の三段階の行政機構の在り方にとどまらず、司法、これも含めて大見直しをしていただきたいと思っておるわけです。
地域で行政をやっておりますと、国がちゃんとしてくれればもっといろんなことができるのにと思うことが、例えば国の司法の分野でもあります。裁判が長期化して非常に困るという問題などは地方では手出しできません。何で裁判官もっと増員してくれないのか、検察をもっと増強してくれないのかと、そう思うことが随分ございます。これをやるためにも、地方に任せられることはもう地方にどんどん任せていくということであります。
今日、地方分権の議論が非常にホットなテーマになっておりますが、これは国と地方との権限争いとか財源の再配分という問題にとどまらずに、国は国として今日から少なくとも二十一世紀の前半まで我が国をどのように運営するのか、どういう国家像をイメージして、そのための組織、機構をどうしたらいいのか、構造をどうしたらいいのか、そういうことで再設計をする中で、必然的に地域にいろいろ展開する行政は今まで以上に地方に任せた方がいい、分権化した方がいいというふうになっていくはずでありまして、そういう視点で是非この分権の問題もとらえていただきたいと思っております。
そういうことが行われてまいりますと、私は、本当に真の意味で豊かさが実感できる地域社会ができてくる。しかも、それぞれの地域ごとに特色ある地域が形成されて、それぞれが切磋琢磨しながら私はいい日本が構築できるんじゃないかと。是非、分権も単に、地方がぎゃあぎゃあ言うから何かやってやらにゃいかぬというような、赤子に何かあめ玉やれば黙るだろう式なとらえ方ではなくて、国家の在り方全体から発想して、是非国会の中でもそういう観点から議論をし、整理をして断行していただきたいと存じます。
○参考人(天海正克君)(中村尚子君陳述補佐) 昨年度から障害者の福祉の制度が措置制度から支援費制度に変わりました。ここで行政の責任が少し変わって後退し、事業者と本人、障害者本人の契約制度になりました。ここでやはり私は、福祉というのは行政が責任を持ってやるべきだと、この点を見直してほしいと思います。
昨年暮れも、支援費制度の中でのホームヘルプの予算が五十億円不足する見込みとか、あるいは居宅全体で百億円も不足するのではないか、不足するというふうな事態が生じました。こんなことでは障害者は大変生活していくのに不安を抱えています。社会保障や社会福祉の予算を大幅に増やして、これは国の予算ということですけれども、国の責任を果たしてほしいと思います。障害者が豊かに生きられる社会というのはこうした予算的裏付けがあって初めて実現します。
千葉県でも福祉予算が削られています。知的障害者の通勤寮、これは千葉県に一か所しかなかったのですが、これが廃止されようとしています。県立のこども病院、これは県立から民間へ移管されようとしています。知的障害者の施設の建設費の補助金も削られています。関係者、親御さんたちはどうしようかと考えています。
障害者、生きている障害者が豊かに生活できるよう、もっと国の予算を根本から見直してほしいと思います。
○谷博之君 民主党・新緑風会の谷博之でございます。
今日は三人の参考人の方々には本当にありがとうございました。
それぞれ簡潔に具体的にお伺いをしたいと思っておりますが、まず竹中参考人、実は私は参考人が書かれている「プロップ・ステーションの挑戦」ということで「「チャレンジド」が社会を変える」というこの本、実は前に一回読んだことがございまして、改めて読ませていただきました。一番竹中参考人が述べようとしていることの内容がこの後書きのところにも書かれているような気がします。
先ほどお話ございましたけれども、いわゆるこのユニバーサル社会というのはバリアフリーだけではなくて、そこにかかわる人たちの構造改革、意識変革というのが必要なんだと。そのことがこの後書きのところにこういうふうに触れられているというふうに思うんですが、偶然とラッキーは待ちの姿勢では落ちてきませんと。棚の上のぼたもちは自分ではしごを組み立て、それを使うて取っていかなければいけないんだというようなことで書いてあります。そのはしごをスロープ状にしたら、より多くの人がまたぼたもちを取りに行くことができると。こんなような表現をされておりますけれども、このことが先ほど申し上げたというか、触れられた内容と受け止めていいのかどうか。
それともう一つは、ここに書かれておりますが、この本が出たときに、七年前というふうに書かれておりますけれども、コンピューターやコンピューターネットワークをチャレンジドの自立や就労に役立てるというNPO活動は、今は全国各地で行われていて、ボランティア活動の一つのジャンルみたいになっているけれども、このプロップがスタートしたときには、正にこれは偶然とラッキーの積み重ねというふうに大方見られていたと、こんなことも触れられておられますけれども。
実は、私どもの地元といいますか、自分の住んでいるところでも、その時期、今から十年ほど前に、このITによるそういう自立というようなことについて模索をしたそういう我々の仲間というか、障害を持つ方々のそういう動きがありましたけれども、残念ながらそれは失敗をしてしまったというふうな例もあるわけですけれども。
そういう中で、偶然とかラッキーではなくて、正にそこに当初から確信を持ってこの運動を取り組まれていったんじゃないかと思うんですけれども、そこのところの、先ほどのごあいさつというか説明の中で、より、なぜそういうふうな形で今日まで活動してこれたのかというところの本音の話といいますか、御自分のスタートからのそういうふうな信念というか、そういう考え方みたいなものが更に何かありましたら教えていただきたいということです。
それからもう一つ、先ほどITとユビキタスの技術を使ったという話もございました。
実は私は、昨年十二月にスイスのジュネーブで世界情報社会サミットという世界会議がございまして、そこに行きましたときに、実は全世界からいろんな技術者や我々みたいな国会議員も多く参加しておりましたけれども、こういうふうな障害を持つ方々とITの問題のそういう分科会がありまして、そういうところにも参加をさせていただきました。
今お触れになっておられるそういうふうな問題提起ということ、これ非常に重要だと思うんですが、分かる範囲で、世界的に他の国々がこういった課題について先進的に取り組んでおられるようなそういう事例というものがあれば教えていただきたいというふうに思っております。
それから、石川参考人にお伺いしたいのは、先ほど予算の話も質問で出ておりましたので、それは外しまして二つほどお伺いしたいんですが、一つは、この説明の資料に出ておりますけれども、当然これは県が平成十二年度から具体的に取組を始めたということ、これはこの表の事例の二ページに出ておりますけれども、知事が推進本部長になって、庁内にこういう組織を作り、あるいは推進委員会を作って取り組んでおられると。この円で囲われているわけですけれども、この円で囲われている外側ですね、この部分が私はある意味では、最後に説明いただいた七ページのユニバーサルデザイン浸透度調査というところに反映されてきているんじゃないかというふうに思うんですが。
まず一つは、この七ページの県民の認識、あるいは事業者の取組、これを二十二年までに一定の点線で目標値を挙げておられる。これは、本来は私は将来的にはこの二つの折れ線というのは高めで一致をしなきゃいけないというふうに思っているんですが、事業者の取組について二十二年に五〇%というふうに一応設定しておられますけれども、県民の認識というものが七〇から八〇近くまで上ってきていることを考えれば、この目標値というのをもう少し高めに取れないものなのかというふうに思っております。
それからもう一点は、それと関係して、六ページに県内市町村の取組というのが事例として挙げられておりますけれども、県が一番住民と接点を持つ、その市町村、そういうところとどういう連携を取って、具体的には浜松市の条例の話も出ましたけれども、そういうふうな条例の市町村における取組等も含めて、どのようにそれが連携取って行われているかということをもう少し説明をしていただきたいと思います。
それから、天海参考人にちょっと、先ほど冒頭お話をいただいた内容で一点お伺いしておきたいんですけれども、この一ページの中段の「はじめに」の一番最後の四行ですね。「ユニバーサルデザインは「高齢者・障害者または健常者等の区別なく、すべての人が利用しやすい配慮」したもの」と言われているが、「「すべての人」に共通する利便を検討するためには、個々人(もしくは集団)にとってのバリアを明らかにする事が不可欠であると考えます。」。これはもう正にそのとおり、正に同感であります。
このことを踏まえて、二ページの方に行きまして、先ほど千葉のいわゆる点字ブロックの具体例がここに出されており、その後、上から二、四、六、七行目からですか、そういう形で点字ブロックを設置したけれども、車いすの障害者にとってはがたがたと車いすが揺れて歩くときの妨げになる、あるいは交差点の段差についても、車いすの障害者にとっては絶対必要なことだけれども、視覚障害者にとっては歩道と車道との境界が分かりにくくなる。
つまり、全体のそういうふうな中でのバリアフリーの問題と、個々の、あるいは集団のそれぞれの障害の程度、内容によって生ずるその問題、これは非常に、この文章の中では、障害の種類や程度を超えて様々な意見や要望を出し合って、計画の段階から当事者も参画し、理解を深める必要があると、こういうふうに書いてありますけれども、これはそういう形で果たして解決できるものなのかどうか、そういう点についての、この内容で私も正にそのとおりだと思うんですけれども、具体的にそういうふうな障害の内容や程度、種類によって考え方あるいは要望が違ってきた場合に、これはどういうふうな形でいわゆる取組をしていくべきというふうに考えておられるか、ちょっと具体的なことも含めてお伺いをしたいと思います。
○参考人(竹中ナミ君) 最初に、なぜこのような活動を私が続けているか、あるいは続いているのかという御質問をいただきました。
拙著「プロップ・ステーションの挑戦」をお読みいただいたということで、大変ありがとうございます。その本の中にも書かしていただきましたけれども、三十年前に自分の娘が大変重い脳障害でしたので、生後三か月でそういう重症であるということがお医者様の話で分かったと。そのときに、どのように育てたらいいか全く情報がゼロであった。私は、ですから情報が欲しかった。それは、かわいそうに、気の毒にと言ってくれる慰めの言葉よりも、どうすれば楽しく生活できるのかとか、より良いことを彼女に、娘にしてやれるのかという情報が欲しかったんだけれども、残念ながらそういうプラス方向の情報は全くなかった。そこへもってきて私の父が、彼女からするとおじいちゃんですが、おまえがこんな子育てるのは大変で不幸になるから、わしが連れて死ぬとかいきなり言い出しまして、私としたら父ちゃんと娘をいきなり死なせるわけにいかぬじゃないかということで、絶対死なさへんためにも自分自身が、これはマイナスのことではなくって、必ずここからプラスを見いだしてみたいと、そしてプラスにできるような結果あるいはそういう社会を自分で作りたいなという一歩を、その父のある意味愛にあふれる脅迫によって踏み出したわけですね。
様々なチャレンジドの方と出会い、出会うことで、世の中はこの人たちのできないところを数えているけれども、実はできるところをたくさん持っていらっしゃるということを知り、私の活動の方向性はマイナスのところ、気の毒だねという、埋めていくところではなく、プラスの可能性を探して見付けて全部引き出すと。そのためには、人の力も、お金の力というのは私持っていませんからお金持っている人の力ですが、お金持っている人の力も、企業という様々なものを開発していらっしゃる方の力も、あるいは制度という政治にかかわっていらっしゃる方や行政にかかわっていらっしゃる方の力も、全部そこへ導入していただけるように自分自身がつなぎのメリケン粉の役ができないだろうかと。つまり、自分の娘に対して私一人でできることは余りにも非力であったがために、逆にいろんな方のお力をかりるということが私の日常であったわけですね。だとすると、それを社会全体に広げたときに社会の中の様々な分野の方のお力をかりるというのは私にとっては非常に自然の成り行きといいますか、自然な発想の展開でありました。
ですから、私自身は実は、コンピューター使った活動をしておりながら、いまだにコンピューターがほとんど使えなくって、最重度の方や本当に重い自閉の方でさえもお絵かきソフトで見事な絵をかかれたりしている横で、メールが送られへん、わあんとかいって泣いたりしているんですが。でも、その代わり、私はその方々が持っていない達者な口と強い心臓を持っておりますので、あんたは、じゃ、口と心臓で仕事していらっしゃいと、私たちはコンピューターや物作りで頑張るよというような、そういう意味で、その人の持てる力を出し合いして対等にチームワークを組んでやっていくプロップの活動そのものが、ある意味これからのユニバーサル社会の縮図であるのかなというふうに思っております。
ですから、それの結果を出せなければというか、結果を出すところまでやはりやり遂げて死ななければいかぬのだろうな、まあそんな大げさな使命というものではないんですけれども、少なくとも、私がそういった重症児の娘を授かって、そして父はおかげさまで八十四歳で、おまえが頑張っているから良かった、あのとき死なんで良かったと言って安心して死んでくれましたが、じゃ次、私自身が安心してそういう重症の子供を残して死ねる日本の国なのかと考えると、先ほども言ったように、非常に心もとない危機のある時代がもう訪れているわけですね。
それと、先ほどからやはり福祉予算をもっとというお話も出ていますが、今までの福祉予算というのは出る方の話ばっかりでしたが、出るということは当然入る方の話も絶対しなくちゃいけないわけですよね。そのときに、なぜか福祉は出る話ばっかりに終始していたけれども、どうやってそれのための入りを国民全体で維持していくのかというときに、もう一部の若い人の力だけでは無理だろうと、一部の若い人に頼る時代を続けていたんでは私は安心して死ねないよと。父は死にましたけれども、私が死ぬときにもうそういった入りの予算がない時代が来ていたとするとこれは大変悲惨なわけで、そういう意味で、入りと出と両方ともを均衡できるような福祉社会というのを私たち自身で恐らく作らねばならないのだろうということが、今日まで活動が続いており、なおかつ、たくさんの方と手をつなぎ合ってやっている大きな理由です。
それから、ユビキタスといいますか、ITの可能性についてですが、実はプロップ・ステーションが連携している組織がアメリカとスウェーデンにあります。
アメリカは、国防総省の中にあるCAPという組織です。アメリカの国防総省の中に、国防技術あるいはNASAなどの最高の科学技術を生かして、最重度の方を政府職員、つまり官僚ですね、あるいは教師であったり、あるいはアーティストであったり、あるいは企業のトップリーダーであるように育てる、教育し、そして社会へ送り出す機関があります。これは元々ADA法等に基づいて、特にベトナム戦争などのときにたくさんの傷付いた兵士をどのように社会復帰させるかというようなことから初めは考えられたというか生まれた組織だったんですが、それが今は、全米のチャレンジドたちがそういった様々な職業に就いて社会の中で活躍することをバックアップする組織になっています。なおかつ、そのような人の力を世の中に出すのは最高の科学技術でないと無理なのだという議論の元に立って大きな予算が組まれて推進されているんですね。
私、昨年六月に、アメリカのワシントンDCでアメリカのチャレンジド政策を議論する官僚会議に招かれて、一応日本代表ということで参加をいたしましたけれども、二十数人の各省の代表者の方が集まって議論される中に、七人の重度のチャレンジドの官僚がおられました。盲導犬を連れた方、白杖をついた方、あるいは電動車いす、指先しか動かなくて電動車いすの方、あるいは全く聞こえないので対面に通訳を、手話の通訳や口話の通訳をする方がいらっしゃる方などが各省の幹部として参画をしておられたわけですね。それは、アメリカが決して口先だけではなく本気でそのチャレンジドを納税者にするのだという政策をやってきた結果なのだと、私たちは余りにもアメリカのそういう部分を知らなさ過ぎるなというふうに思いました。
そのCAPという国防総省の中の組織とは日々情報交換をしながら活動を進めています。
片や、日本が福祉のお手本にしているスウェーデンでは、スウェーデンの国は昔から決してあのように福祉国家だったわけではなくって、百年前までは非常に国が貧しくて、障害者、高齢者を殺していました。これは正に殺していたんですね、こん棒とか、馬のしっぽの毛やガラス瓶を砕いたものを食事に混ぜるとかいうような形で殺していて、そういった歴史を決して忘れないようにしようというところからスウェーデンの福祉は出発しています。
百年前に、荒れ地で、スウェーデンの荒れ地で生育をするジャガイモが、発見といいますか改良品種として現れて、飢えがだんだんしのげるようになってきて、先ほども言ったように、約四十年ぐらい前にサムハルというスウェーデンの国策である大きな福祉工場的なところを生み出しました。この福祉工場は現在二十八のグループ企業である株式会社になっているんですが、最重度の最も障害の重い人たちからそこでお仕事できるように教育と技術指導とそして就労の場を作っていくという形で大きくなってきまして、現在、三万数千人の社員のうち二万八千人がチャレンジドでいらっしゃると。しかも、設立から毎年そこに注がれている税金に比べ、三十年後の現在は、それを超える数倍の利益を社会に対して還元している組織になってきていると。それは、正に自分たちの国が二度と働けない人を殺すような時代に戻ってはいけないのだという非常に強い信念によって、そうしたすべての人の力を発揮できる国になろうということでやってきた結果なんですね。
片や、日本は、障害者、障害が生まれる、障害児が生まれる、障害になるというのは個人の問題であったり家族や家の問題であったり、そこで何とか考えてくださいと、それに対して、大変でしょうけれども、お国や行政は少しサポートしましょうねみたいな形で、残念ながらこの問題に閉じ込められてきた。
でも、それは日本の家という機能が今よりもっと機能していた時代にはそれで何とかしのげたんですけれども、もうこれからの少子高齢社会においては全くそのようなことは現実的に不可能で、アメリカ型であれスウェーデン型であれ、私たちはもうそろそろ、何度も言うように、発想を百八十度転換しなければ私たち自身が生き残れない。決して、だから障害者をかわいそうと見るのではなく、むしろこれからの少子高齢社会にとって最も重要な知見を持たれた方々であり、その人たちが力を発揮できるということこそが日本を救うというような意味で先ほどの「プロップ・ステーションの挑戦」という本も書かしていただいたわけです。
ここにやはり、先ほどから言っているように、コンピューター技術というのは非常に大きな力を発揮しますので、アメリカ、スウェーデンもともにそういうものを、最高の科学技術をそこに投入されているということは、私は大きな日本にとってもヒントになるのだろうと。そして、日本がその両国から学んだこと以上のことが私はできると思っていて、先ほども言いましたように、国交省だけではなく、実は厚労省を始め各省がユニバーサルに向けて今新たな制度をたくさん作ろうとしてくださっておりまして、それによって恐らくその両国に負けないものが日本にも生まれるであろうと。そして、それは逆に、今度はアジアの人たちにですね、日本がそういうアジアの方々に豊かさを広げることができる、あるいはアジアのチャレンジドの人たちの力も生かすことができる日本になる一つの大きな要素でもあるのかなというふうに思っています。
○参考人(石川嘉延君) 市町村との連携のお話でありますが、ポイントといいますか視点は三つあると考えております。一つは啓発、市町村そのものへの啓発ですね。それ、まあ啓発と関連いたしますが、二番目は情報の提供とか技術的な観点からの助言ですね、これが二番目。三番目は県の持っております様々な市町村に対する助成事業、補助金事業がありますが、そういう中にユニバーサルデザインを取り込んだ場合には特別な加算があるとか、そういう視点からの事業に援助するとか、そういう助成事業を通じて普及を定着を図る。その三つの角度、視点から行っております。
具体的には、啓発であれば講習会の開催、そして、あわせて情報提供とか技術的な指導とも裏腹になりますけれども、県はこれまで市町村とも連携をした大型の各種イベントをやってまいりました。例えば国民体育大会、国体でありますとか、今年四月、来月から半年間、国際園芸博覧会を開催しますが、これも市町村で半分、半数以上が関連事業をやるということになりましたので、そういうものを通じて例えばユニバーサル園芸を普及するとか、それを市町村と一緒にやることによって市町村職員も意識の啓発になると同時に技術的な様々なノウハウも習得する。あるいは、国体のときにも県内ほとんどの会場、市町村が会場になったり関連事業をやりましたから、そういうのを契機にして施設のユニバーサルデザイン化を徹底する。あるいは、運営に当たってもユニバーサルデザインの発想に立った運営をする。ホームステイもどんどん我々は利用しましたから、そういうものを通じて市町村が住民に対してユニバーサルデザインの普及をするときの我々は後押しとか情報提供をする。そのためにガイドブックを作るとか、いろいろな普及啓発のための仕組み、仕掛け、手だて、これを用意してやっております。
それから、総合補助金制度や、あるいはコミュニティー施設に我々は補助制度を単独で設けております。集会施設ですね。そういうときの整備に当たっては、ユニバーサルデザインの観点に立った施設整備をするというのを条件にするとか、そういう助成制度を通じてユニバーサルデザインの市町村における普及徹底を図ると、そういうことをやってまいりました。
○参考人(天海正克君)(中村尚子君陳述補佐) お手元にお配りしたこの「30センチの安全地帯」の本を見ながらお話をします。
カラーのページにあるところを見てください。もう既にごらんになったとは思うんですけれども、ここに、カラーのページから、一ページ目も、その次のページもめくると、三十センチの黄色ならば分かるけれども、千葉に敷設された突起だけの点字ブロックだと、弱視の人が見たというような映像で撮ってあるのが右側に全部あるんですけれども、それだと足下しか分からないということがお分かりいただけると思います。
意外と思われるかもしれませんが、視覚障害といった場合、半分以上の方が弱視です。障害といってもいろいろありますけれども、例えばこの点字ブロックの敷設に関して障害者の意見をということで、障害福祉課の方は障害者の意見を聞いたというお答えでした。その場合も、実は全盲の人だけの意見を聞いていたんですね。全盲の人も、それも意外と一人で歩いている人ばかりではなくて、ガイドヘルパーの方と御一緒に歩いている方も多くいらっしゃいます。そういう方の意見だけでは視覚障害者のバリアというのはなかなか分かりません。いろいろな条件を変えてみて、障害者の方々が対応できるか、いろいろな障害に対応できるかということを考えていかなければいけません。
次に、点字ブロックと、車いすが運転しづらいという点についてですが、例えば歩道の幅がそれなりにあれば、点字ブロックが敷設してあるところを車いすはよけて通ることができます。その意味でも、ここに点字ブロックが敷設してあるということが明確に分かることが大事です。いろいろな障害の人の意見を聞くということが大事という点で、交差点の段差の問題を挙げました。
ここであえて結論は書いていないんですけれども、車いすならどれくらいの段差なら衝撃がないのかということを、例えば電動の方や手押しの方、それぞれ意見をぶつけ合うことが大事だということを強調したのです。計画の段階から様々な人が意見を出し合うということを主張いたしました。
それから、駅のことですが、駅の券売機や銀行のATMがタッチパネルになっているということで、例えば視覚障害者だけではなくて、運動性の麻痺のある肢体障害者などは、正しい位置に触れることができずに誤作動してしまいます。
タッチパネルというのは、ユニバーサルデザインとして考案されたものだと思われますけれども、これがかえって障害者に使いにくいという問題があるのです。最近は、トイレに入っても様々なスイッチが付いているところがあります。これが本当に障害者に使いやすいのかということは検証してみなければ分かりません。ユニバーサルデザインを重視するということは大変大事なことですけれども、その中にバリアフリーの観点を見失ってはいけないと思います。
○谷博之君 どうもありがとうございました。
○和田ひろ子君 民主党の和田ひろ子でございます。
今日は、お三人の方々に大変いい御意見をお聞きして大変うれしく思います。
天海さんは、実際に自分が生活をしておられて困ることをたくさん御提言をいただきました。実は、私たち、もう私は六十二歳なんですが、私たちでさえもちょっと戸惑うことがあったりするような今の状況なので、皆さんの御苦労も大変なものだなというふうに思います。
また、竹中さんの元気にとっても私も元気をいただきました。本当にそういうお子さんを授かられたことによって本当にいろんな勉強をされて、そして逆にかえって豊かになったというふうに前向きにおっしゃるお気持ちに大変尊敬をいたします。本当にありがとうございます。
また、静岡県知事におかれましては、行政で、もう本当に全国に先駆けてユニバーサルデザインを実行されておられるので、本当にもう全国の皆さんの大きな模範に、モデルになっておられるんだというふうに思いますが、心から感謝を申し上げます。
まずお聞かせをいただきたいと思います。もう本当に皆さんおっしゃったので、私、政治に何か望むことはありませんかとか、教育、本当に教育が私はこの世の中を変える一番の原点だというふうに思います。今教育を変えないでどうするんだという思いがもう至るところに、農業にも、また三位一体にも全部教育が絡んでくるというふうに思いますので、教育に対する皆さんのお気持ちをまずお聞かせいただきたいこと。
そして、私たち自身が心のバリアフリーというか、そういうものを私たちの方こそ取っていかなければいけない。そして、皆さんにいろんな点で私たちが逆に御質問をいただいたんだなという思いがいたします。
天海さん、いろんな点字ブロックのこととか段差のこととか、いろいろ御提言をいただきました。今、千葉県で御活躍なんですけれども、皆さんが暮らしやすい社会にするために、例えば行政からいろんな会合に招かれて、そういう御意見を言う機会というのはたくさんあるかどうか、お尋ねをしたいというふうに思います。全国の皆さんにも同じことが言えるというふうに思いますが、行政が果たして皆さんのお気持ちを十分に生かしているのかなという思いがいたしますので、お聞きをしたいというふうに思います。
また、竹中さんは本当に、皆さんがおっしゃいました、発明は、必要が発明の母であるということだというふうに思います。必要によってニーズによって、またユーザーによっていろんな機能や何かが付いてきて、本当に皆さんの必要が発明の母になっているという思いもしましたし、とても前向きで、入るを量っていずるを制さなければいけないという、本当に経済の基本も教えていただきました。また、障害者の皆さんも納税者にならなければいけないという、とっても建設的な御意見をいただきました。
それで、これから竹中さんは、この世の中をどういうふうに変えていったらもっともっと豊かな社会になるかなという思いをしていらっしゃるのか、お尋ねをしたいというふうに思います。
石川さん、どうぞ、このすばらしい十六年までの計画でいらっしゃるそうですけれども、県民の意識というのはどんなふうに変わってきたのか。いろんな御意見をいただいていらっしゃるということなんですけれども、静岡のやってこられたそういう事業がどんなふうに県民の意識を変えていったか。そういう温かい心になっていった静岡県民の皆さんのお気持ちをお聞きしたいというふうに思います。よろしくお願いします。
○参考人(竹中ナミ君) どのような社会にこれからなっていったらいいかということは、やはり一人一人がどのような生き方していくかということで決まると思うんですけれども。私自身は、先ほどからずっとお話しさせていただいているように、すべての人がその持てる力を発揮をして、そしてその力で支え合いをするという、私たちがユニバーサル社会と呼んでいるそういう社会を是非実現したいなというのが最も大きな自分にとっての明日の展望なわけですけれども。そのために、今日という日も多分そのうちの一歩なんだろうというふうな感じを抱いております。今日のこの一日だけで何かが大きく変わるわけではないでしょうけれど、今日があって恐らくまた違った明日につながるのかなという期待感を抱かせていただいております。
今、御自身の御年齢のお話も少しされましたけれども、私も、こういう眼鏡ぶら下げな字が読めへんとか、ついこの間まで階段が駆け上れたのに、やっぱりエレベーター探したり、エスカレーター探すよという。もう、高齢社会に超がもう付くわけですよね。本当に、そういう物の力、科学技術の力、いろんな道具の力をかりなければ、消費も低迷するでしょうし、社会活動も本当に活発さをなくしていく、日本の国全体が多分これは沈滞していくことになるんだろうと思うんですね。
ですから、一日も早く、もう最高の、本当に最高の科学技術をそこのところへ導入するんだと。もちろん、ビジネス展開に科学技術やITが非常にアメリカなどでは使われてきましたけれども、それにも陰りが見えていると言われていますが、ただ、逆にアメリカはそれを同時にこういうふうに国民生活をスムーズにかつ豊かにしていく方にも使ってきたわけですね。その部分をやはり私たちまだ余り語っていないんじゃないか、考えていないんじゃないかなというふうに思います。
例えば、パソコン一つでも、障害者の方にだったらちょっと型落ちのやつでも使えるように直して貸してあげたらとか、使わしてあげたらみたいによく軽く言うじゃないですか。ですけど、先ほどからお話ししているような観点で言うと、その人が障害が重ければ重いほど、実は最新の道具、最高の科学技術でないと駄目なわけですね。
それは恐らく、私が今こうやってしゃべっているんですが、万一、障害を持ってしゃべれなくなったときに、じゃどうやって自分の意思を発揮するかというと、最高の科学技術ではもうまばたきで同じ結果、自分の自己表現ができるように実は科学技術ではなっています。ということは、その科学技術を導入すれば、私はまばたきのうるさいおばさんとして社会に発信をし続けれるんですが、その最高の科学技術はあんたには使わしてあげないよって言われたときには、私はもうしゃべらない、つまり私にとっての最高の武器はなくしてしまった、ただの黙っていなさいと言われるおばさんになるということですよね。ですから、一人一人の方が御自分の身に置き換えて考えられると恐らく分かるのだろうと思います。
御自身が、皆さん今政治活動をされていて、この政治活動を続けるのに、万一見えなくなっちゃったらとか、もし聞こえなくなっちゃったらとか、もし動けなくなったらとか、あるいは、御自身は動けるんだけど、家族がもう介護が、全面介護が必要になったよといったらどうなんだろうみたいなことも考えた上で政策につなげていただく、それが一歩目なんだろうなというふうに思います。
つまり、想像力ですよね、考える方の、イマジネーション。どれだけ、人間に与えられた最高の道具であるイマジネーションを一人一人が豊かに膨らまして考えることができるのか、様々な状況を考えることができるのかによって、その結果、ITの方向性も決まるし、政治の方向性も変わるんだろうというふうに思っています。
ですので、私は、やっぱり自分がしゃべれなくなっても動けなくなっても発信できるものがあるならば発信し続けたいし、先ほども言ったように、自分の娘を安心して残して死にたいなという思いがあるものですから、ぎりぎりのところまで私も頑張れるように、科学技術の力もかりれる社会状況ですね、そういう活動を続けていきたいなと思います。
それから、一個だけ、ごめんなさい。
先ほど、天海さんがおっしゃっている様々な、電車に乗るときの問題であるとか道を移動するときの問題が、それは実はITでもうほぼ解決ができるんですね。つまり、ATMとか切符を買うとかいう行為をもうしなくてもいい時代が間もなく来ます。天海さんが乗っていらっしゃる例えばその車いすなりに、そういったIT組み込み式になったときに自分自身の固有の携帯端末のようなものを持っていれば、それがその人固有のものをIDで全部整理していくことにこれからなるのですね。そうすると、その自分の携帯の端末に対して何か指示を、自分の指示を与えれば、自動的にすべてのところを車いすに組み込んだチップが反応していくというような移動の仕方が、もう科学的には可能なんです。
ただ、その最高のそういう科学技術をチャレンジドの人たち、あるいは私たちの未来に、未来の高齢化の社会に使うのかどうかという、それだけなんですね。ですので、科学はもうそこまで来ておりますので、是非議論の中にそういったテーマも入れていただければなというふうに思います。
○参考人(石川嘉延君) 世の中を変えるには教育が出発点、原点ではないかというお話は、私もそのとおりだと存じます。私も、そういう観点から、静岡県では、学校教育だけではなくて、いわゆる県民に対する様々な分野からの啓発といいますか、社会教育と言ってもいいんですけれども、こういうことも重要視して取り組んでおります。
そして、このユニバーサルデザインの考え方をベースにいろいろ展開をしてまいりまして、県民に何か変化があったかということでありますが、ユニバーサルデザインという言葉と、それから、そういうことの意味ですね、意味の認知度が高まってきたということもありますし、実際の行動の面でまだ顕著にというまでは行っていませんけれども、例えばこれ、ユニバーサルデザインは障害を持った方々とのことだけではなくて、子供に対しても、あるいは高齢者に対しても、あるいは外国人に対しても、暮らしやすい地域をつくろう、あるいはだれが使っても使いやすいものを作ろうとか、そういうことが根底にあるわけでありまして、そういう考え方でいろんな行動をしなきゃいけない、物を作らなきゃいけない、仕組みも作っていかなきゃいけないと、そういう意識はかなり広まりつつあるように思います。これを更に今後徹底をするようにしてまいりたいと今思っているところです。
○参考人(天海正克君)(中村尚子君陳述補佐) 障害者、行政が障害者の意見を聞く機会があるかということですけれども、私が所属している障千連、障害者の生活と権利を守る千葉県連絡協議会では、いろいろな障害者団体から出された要求をまとめて、県の担当部局にその話を聞いてもらう機会を年に何回か持っています。なかなか直接実現するというわけにはいきませんけれども、これを繰り返していくことが大切だと考えています。
千葉県では、知事が替わって堂本知事になって、対話を重視するということが強調されてきました。実際にいろいろな団体と知事の話合い、懇談の場が設けられていましたけれども、残念ながら次第にその回数が減ってきています。少なくなっています。直接県民の声を聞く場がなくなったということです。
それから、今、インターネットでパブリックコメントというのがよく募集されています。あるいは、県の人たちはホームページにすべて公開してあるので見れば分かるというふうに言います。しかし、一般の人々、特に障害を持っている人の中には、なかなかこれを見ることはできません。自分自身も、事務所にはパソコンがありますけれども、自宅ではまだワープロを使っています。声を出せない障害者の声を聞く、これが大事ではないかと思います。
その点でいうと、措置制度から契約制度という支援費制度に変わって、ますます声が届かなくなっているのではないかと思います。措置制度のときは、行政は直接支援をしていました。今は行政の仕事というのは、支援の内容と時間を決めるだけです。障害者がどういう介助を必要としていて、実際どういう介助を受けていて、どんな生活をしているのか、ここに行政がタッチしていないのです。以前はケースワーカーや自治体のホームヘルパーの人が直接その障害者を訪問して見ていました。そういう点では、支援費は、行政の関与というのが後退したのではないかと思います。障害者の意見をもっと聞く、そういったシステムを作っていくべきだと思います。
○会長(勝木健司君) 他に御発言はございませんか。
それでは、以上をもちまして参考人に対する質疑を終了いたします。
竹中参考人、石川参考人、天海参考人には、御多用の中、本調査会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございました。
本日お述べいただきました貴重な御意見は今後の私ども調査会の調査の参考にさせていただきたいと思います。本調査会を代表して厚く御礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。
本日はこれにて散会をいたします。
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