2001年8月号 FILE.4 インターネットを使い在宅で働く --TBS嘱託社員・吉川誠一さんの場合 |
「聖者の行進」「ビューティフルライフ」など障害者が主人公のテレビドラマが高視聴率をあげるようになりました。テレビ局は「視聴率」と「視聴者の声」には敏感です。そのため「社外モニター」を募集し、さまざまな階層や年齢、地域などから「視聴者の声」を集めていると聞きます。 吉川誠一さんの仕事は、TBS(東京放送)の番組が障害者にどう受けとめられているのか、要望や期待は何かなどの声を、パソコンネットワークを活用して集め、番組制作者の気づかない問題点を報告することです。97年7月から始まった仕事で、私も初期の頃、モニターの一人として協力し、番組の意見や感想を電子メールで送っていました。 吉川さんとTBSの間を取り持った東京コロニー・トーコロ情報処理センターの機関紙には、吉川さんに続き、TBSに勤務(iモード用のホームページ作り)している脳性マヒの女性の笑顔が掲載されています(2月には3人目も勤務)。 * ----仕事は4年目ですね。今どれぐらいのモニターがいらっしゃるのですか。 吉川 約80名でハンディがある方は50名です。少なくても、1、2か月に1件は意見をいただき、多い方では月14件とか。テレビ局に電子メールで直接意見を述べることはできるようになりましたが、TBSからすると「この意見の、これはどういう意味なの?」とあれば、障害のある私だから、逆に聞きやすいこともあるのかもしれません。 月曜日から金曜日まで、朝10時から午後4時までが契約時間です。身体に負担かけず、休憩を入れながら午後6時までやってます。訪問入浴サービス、受診や用事がある時は、土・日曜日に振り替えます。週に一度の「モニター報告書」と、1か月分をまとめた「集計データ」と「報告書」を出し(写真2)、本社に行くのは年1回です。 TBSより、「吉川さんの体力が続く限りやってほしい」と嬉しい話をいただきました。体力を考慮して、この仕事を長く続けていきたいと思っています。 ----パソコンとの出会いはいつ頃ですか 吉川 19歳で家を離れ、全寮制の職業訓練校で「写植」を身につけました。5年くらい会社勤めしましたが、病気の進行で最後のほうは、給料のほとんどが通勤のタクシー代に消えてしまって。「働くってなんなんだろう」って。在宅で働くにも、機材を揃えるのに100万円くらいかかる。仕事も取りに行かないといけない。1年間、何もしないでいたんです。悲しいというか、自分が情けないというか。そんな時に筋ジスの友人から在宅でプログラマー養成の講習があると教えられて。25歳という年齢で大いに悩んだのですが、「今のままでは自分がどんどんダメになる」と思い、パソコンを覚えました。 パソコン通信との出会いも大きかったです。在宅で、誰とも話さなくなった時もありましたから。「いなぎ・ハートフルネット」を通じて、年齢や地域を越えたいろんな人たちと知り合い、バーベキューなどのオフ企画を立てたり、社協のイベントに協力したり、こういう関り合いも良いもんだなと思いました。 ----就労を支援するトーコロの役割は大きいですね。 吉川 トーコロは「命の恩人」です。第1期生となった「在宅パソコン講習事業」は、毎日、パソコンネットを使って学習報告があり、質疑応答もある。2週間に一度、講師が自宅を訪問して、マンツーマンの指導をしてくれる。これが3年間(現在は2年間)、定員は当時7名でした。その内の4名で「ONE・STEP企画」というグループを発足させ、ソフト開発、データ入力、障害者対象の講習会の講師などの仕事を請け負いました。今年の3月に当初の役割を果たしたと解散しましたが、肢体不自由の人の補助入力装置「らくらくマウスU」には、ひき続き関わっています。 ----最近ITで感じることは 吉川 ほんと「パソコンは障害者の助っ人」であると思ってます。昔は、通勤できる人でないと働けなかったことが多かったのに、今は、在宅での仕事の可能性が増えてきているのは、ITのおかげだと感じます。 テレビドラマも、障害者が主役でなくても、脇役でも、当たり前のように番組に出てくるようになるといいですね。 (文・写真 薗部英夫・全障研事務局長) 吉川誠一さんのホームページ http://www.tt.rim.or.jp/~inachan/ トーコロ情報処理センター職能開発室 http://www.tocolo.or.jp/syokunou/ |
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よしかわ せいいち 1962年奈良生まれ。小学生の頃から筋肉の力が衰え、20代中頃より歩くことが困難になり、車イスを利用。パソコン通信とトーコロとの出会いから、現在、東京放送(TBS)編成考査局番組考査部嘱託として在宅で働く。稲城市在住。 |