2004年1月1日
みなさん、どんな新年をお迎えでしょうか。
わたしは第一次帰省先の富山からひとまず帰京したところです。
年末、母校での集中講義の終わった日に、
東京から金沢までのはじめての一人旅を決行した中2の娘は、翌日も父と二人、絶好調の金沢散策でした。
(じつはそのときの写真を個人webで公開しています。ご笑覧ください) http://www.nginet.or.jp/~kinbe/photo/kinphoto.html
さて、富山に移動しカミサンと合流。
娘はとても元気だったのですが、年末が近づくにつれ、
頭が痛い、寝る、、、とトーンダウン。
楽しみにしていた北陸の温泉三昧も自粛していたのですが、
出た出た、31日、39.5度(^^;)
どうにも熱が下がらないので、
車で3分のところにある町で運営している総合病院に「急患」。
当直医師はあいにくと外科(^^;)
とりあえず座薬入れて熱を下げ、あとは熱冷ましを、、、と家にもどる。
おめあての慶応SFC卒のレコード大賞新人賞の一青窈の「もらい泣き」が
歌い終わったところで、一度38度台に下がった熱も39.4度。
うーむ、39度越えると、つらいよねえ。
で、深夜の当直は内科医に変わったというので、いざ再度の「急患」に。
しかし、大晦日の町立病院。いろんな患者がやってくる。病棟では急変もある。
わたしは、待合い室でただただ待つ人だったのですが、
ガラスで足を切って血だらけの青年、手を骨折した!という4歳児、
そのうち、4階の病棟の患者が急変、心停止したらしい。
これを当直の内科医が一人で必死の応対。
急変患者の親類縁者が続々とやってくる。
娘はその後応援にきた若い「外科医」の指示した「点滴」で、だいぶ楽になったようで、母親に支えられて診察室を出てきたのが午前1時すぎ。
気がついたら年が明けていました。
3万人の町が経営している総合病院はたしかに「赤字」。
でも町民はこの病院を守り続けています。
もしものときに、本気になって対応してくれる医療機関はどこなのか、知っているんですね。「安心」ってそういうコストなんだとつくづくおもいました。
娘は、今朝はけろっとしてますが、大事をとって帰京は明日に延期!
とおもって、指定席の変更をしようと早朝の富山駅にいったら、
なんと1月2日以降は全席すべて満席だ。
で、やむなく、1日の最終便に振り替え、だいぶ熱の収まった娘と共に帰京となったしだい。
しかし、なんだか、今年を予感させる年の始まりです。
2004年1月1日 薗部英夫
雪の兼六園
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