この連休中に二つの訃報があった。
きょうされん顧問で精神科医の秋元波留夫さん。
4月25日、肺炎のため亡くなられたことを知らされた。101歳。
秋元さんは、一度あった人をわすれない。
たまにお会いすることのあったわたしもよく覚えてくださっていて、
全障研のことを気づかってくださった。
昨年の9月9日、よびかけ人であった「障害者・患者9条の会」の
結成1周年集会で、20分もの気魄あふれる「あいさつ」をしてくれた。
「憲法九条は、障害者・患者にとってかけがえのない、
命と権利を守るよりどころであります。
私たちは、憲法九条を守り抜くために、
日米安保条約を廃棄しなければなりません。
障害者・患者9条の会のアピールには、
「戦争は、いのち、文化、経済を破壊します。
その度に、障害者は、社会的に役立たない
”穀潰し””非国民”とさげすまれ、差別され、
抑圧されてきました。
障害発生の最大の原因は戦争による暴力です。
戦争と障害者のしあわせは絶対に両立しません。
障害者は平和でなければ生きられないのです」
と記されております。
この立場から私は、障害者・患者9条の会が、
わが国を戦争に巻き込むその張本人である
日米安全保障条約廃棄と憲法九条を守る運動を
統一的に結合した全国運動に取り組むことを
提案して、
私の呼びかけ人のあいさつといたします。
(全文
http://www.nginet.or.jp/9jo/2006akimoto.html )
もう一人、羽賀和樹さん。
5月4日の深夜に亡くなった。
脳性マヒで東京肢体障害者団体協議会の事務局長だった。
とりわけパソコン通信時代からは深い友情でつながる
障害者とITの可能性を実践されたパイオニアだった。
とても本が好きで、パソコンやインターネットも独学だった。
マルクスもレーニンもクルプスカヤもよく読んでいた。
年上なのに、恥ずかしがり屋で、
ふるさと岡山から送ってきた巨峰のお裾分けはおいしかった。
高校3年になった娘がまだよちよち歩きだったころ、
あれは売上税反対だったか代々木公園いっぱいの集会のとき、
電動車椅子に娘を乗せてくれて、
いっしょにデモした一枚の写真がとても印象に残っている。
みんな若く、笑っていて、ちょっとかっこよかったな。
羽賀さんは病気と脳性マヒの二次障害とまさに闘いながら、
最後まで仲間たちのことを気遣ってくれていた。
奥さんの典子さん。
典子さんは羽賀さん以上にきゃしゃでからだが不自由なのに、
二人でりっぱな息子を育て、
和樹さんといっしょにいまいましい病と、
きわめて貧困な日本の医療と闘ったよね。
障害者のある人も、だれもが安心して受けられる医療の保障、
切実な問題提起だよね。
いのちのバトン、しっかりと受け継ぎます。