2007年12月17日

 「世紀を刻んだ歌」

16日の日曜日は家で過ごした。
何気なくつけたNHKハイビジョンは、
「五木寛之と過ごすハイビジョンの一日」で
「世紀を刻んだ歌」といういくつかのドキュメンタリーを再放送してた。
すごい迫力で、画面から身動きできなくなった。

◇「花はどこへ行った」
ピート・シーガーが作った反戦歌。

サラエボでは東独代表だったカタリーナ・ビットは、
リレハンメルでは、統一ドイツの代表として、この歌にのって氷上で舞った。
 Where have all the flowers gone ?
 Long time passing.

初めて外国語で歌ったのは、女優マレーネ・ディートリッヒ。
ナチスに反発し、ドイツを捨てアメリカへ移った。
五木寛之はコペンハーゲンで彼女の歌を聞いたという。
デンマークはナチスに占領されたことがある。
その町で歌うドイツ語の「花は〜」
歌い終わったとき、場内は静まりかえった。
そして、子どもを抱いた一人の兵士の拍手から、
場内一杯に広がった拍手は鳴りやまなかったという。

◇「ヘイ ジュード」
ポール・マッカトニーがジョン・レノンの(わかれた妻との)息子ジュリアンの
ために書いた詞がチェコで民主化運動のシンボルになっていた。

「プラハの春」のチェコ。
マルタ・グビショバはキュートでセクシーなアイドル歌手。
1968年8月20日、ソ連は突然、プラハに60万人の軍と戦車を送り込み
「プラハの春」を制圧した。
最後まで市民に自由と対話を訴えつづけた放送局にいたマルタは、
軍による殺戮の現場にいた。
マルタがカバーした「ヘイ・ジュード」は、弾圧を受けながらも、
チェコの自由と民主化のシンボルとして密かに歌い継がれた。
1989年ベルリンの壁崩壊と東欧の自由化の波。
そこにはマルタの「ヘイ・ジュード」が歌われていた。

○「人生よありがとう」
ビオレータ・パラの歌は、チリやラテン・アメリカの軍事独裁政権の下で生き、
闘ってきた多くの人々を励まし、力を与えてきた。

1973年アジェンデ政権を倒したチリの軍事クーデター。
チリ最南端、マゼラン海峡に浮かぶドーソン島は強制収容所の島。
クーデター後、400人が収容され、強制労働、暴行、拷問された。
絶望に陥りそうな毎日の中で、自らを励ますためパラの歌は歌い継がれた。

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ベトナムもサラエボも「プラハの春」も
サンチャゴの歴史もけっして知らないわけではない。

でも、自分が生きている時代の人間の歴史をあまりに知らなすぎる。
正直そう思った。