93/11/18 00:14:59 NGI00001 Re00891 幸せを共に考える場 映画「学校」
ようやく、今日、新宿松竹の1時50分からのものをみることができました。
みてよかったと素直にいえる映画です。
山田洋次監督のテーマ、
人間にとって幸福とはなんなのだろうがじつに凝縮されていた感じです。
あるものは「何が幸福かはそれぞれの人の気の持ちようだよ」といい、
「賢くなることだ」という者がいる。
あるものは「金じゃないかな」といい、
「金じゃない、形のあるものじゃない」という奴もいる。
そして「幸せっていうことをわかるために勉強するんじゃないの」と
でも、それはすでに岩波から出版されている「シナリオ」で読めばわかる話で、
問題は映像・映画のなかでのせまり方なんですね。
映画は、2時間15分の、ある日の夜間中学校の物語。
そして映画の時間と観客のそれをみている時間が同時進行で流れるのです。
さらに、カメラのアングルは小津安次郎ばりに、
生徒の目線の角度から一貫して、先生・西田敏行をとらえます。
映画と観客が時間と空間を共有する、
その映画的な場のなかで、
だれもが幸福についていっしょになって一生懸命考えあうのです。
学校って、ひょっとすると
そんなふうに幸福についていっしょに考えられる場なのではないかとおもうのです。
そのために科学や文化や語学を学ぶのだとおもうのです。 |--------------------------------------
| 夜間中学 があります
| だれでも いつでも 入学できます
| 費用はほとんどかかりません
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いろんなシーンのバックにでてきて印象に残った看板ですが、
「夜間中学」を「学校」とよみかえると、うーーーーんと、
うなってしまう、おもみを感じました。
個人的には、軽いマヒの障害をもつ青年の「修」(神戸浩)の発言や動きに、
静かな感動をおぼえました。
山田監督がいっていた、
「体の動きとか、言葉に障害があるんだけど、
その彼が非常に大事な役をしているんですね。
そういう言語障害、肉体的な障害のある俳優なんです、彼はね。
そういう人間たちと先生が、今度の映画の主役なんです」
がおもいだされて、
わたしはみんなにみつからないようになんども涙をぬぐっていました。
最後に監督にいただいた色紙から
良い観客がいて
良い映画が生まれる 山田洋次