瓦礫の街で  7


95/02/10 00:41:31 <7>

父親と娘との関係は、母親と息子との関係とも違い、なんといえばいいか、、、
初恋の恋人たちのような、はにかむような緊張関係があるようにおもえる。

彼の家は甲山の麓の固い岩盤の上にたった大きなマンションだ。
すこし外れると、20人以上を巻き込んだ土砂くづれが起こっている。
彼とは、兵庫支部事務局長で阪神養護学校教員の河南勝さんである。
団塊の世代の最終グループで、教科書に出ていた坂本龍馬のような渋さをただよわせている。
学校においても、地域においても、絶大の信頼が寄せられている。

その彼がうろたえた。
「学級通信」の、
::大きくグラグラゆれたかと思うと、ドーンと部屋の中のものが倒れだして、
::気がついたら本だなから落ちた本の中にうもれていました。
::真暗の中から、とにかく隣の部屋の娘の名前を呼んで、はうようにして安全を
::確認して、「懐中電灯は?」「お父さんの頭のとこやろ」「そうか」のくだりはリアルである。

その彼のマンションを訪ねると、あひるの子が白鳥になったような娘さんがいた。
わたしが彼女に会ったのは5年前、小学校5年生の頃である。
兵庫での3000名の全国大会の準備で、たびたびおじゃましたとき、
いつもお父さんといっしょの女の子だった。
会議の場所の隅でいつも静かに本を読んでいた。

彼女の通う中学校は西宮で一番被害が大きく、彼女ら3年生が午前、2年生が午後、
そして1年生は、かなり離れた別の学校に学校からバスで行く。
近くの夙川学園などは、入試を中止し書類審査のみなのだそうだ。

一度家に帰って、また出ていくお父さんは、
彼女の部屋のドアをこころなしか慎重にたたいて、
何時頃に帰れそうだからと、細かな見通しを伝えている。


市内最大の避難所となった西宮市総合体育館を訪ねる。
入口に「カリフォルニア州サンタローサ市レスリーニールさん他230名からあたたかいメッセージ」
「がんばってください 奈良小学校6年生」の横断幕がある。
布団が敷き詰められた館内には、車椅子も3台ほどあった。

横断幕も差し入れもありがたい。
でも、いま、一番必要なのは、政治の力だ。
それによる住宅と雇用の確保、医療や福祉、教育の保障である。
首相や閣僚に、ここの場から、支援対策を考えろ!とこころの中で叫んでいた。

西宮市の社会福祉センターで見た、障害者や障害児たちの光景はすでに<2>で報告した。
地域福祉の充実といわれて久しいけれど、
とどのつまりは、生活を支える場、システム、そして人なのだとおもう。

重度のストレチャーで生活している青年が、
避難生活とはいえ、家族と、指導員やボランティアと楽しそうに、
今日は、どんな食事をつくろうかと話をし、
一方では、マイクロバスが着き、入浴サービスから帰ってきた別の青年たちがいる。

水が出ないからとためた水は、保健所がまめに消毒に来てくれる。
電気は復旧しているので、暖房はなんとかなる。
2月からは、通常の生活にもどしていこうと意欲的だ。

そして、美しい人たち。
北山学園のメンバーをはじめ、阪神養護学校の先生たち、
そこに山を越えて支援する播磨養護学校の面々。
それぞれは、それぞれに、自らこの大震災で被災しているのに、である。

人は何によって輝くのだろうか。
『涙より美しいもの』(稲沢潤子、大月書店)という
大津方式にみる障害児の発達の本を、大学4年の3月に急行「能登」の車中で読んで
涙がとまらなくなったことがある。

稲沢さんの弟は日本脳炎による重い障害者。
わたしの妹は、日本脳炎で死んでいる。
「全教ゼミ」といって、未来の教師をめざす全国の教育系学生の自主的なゼミナール大会の帰り道、
自分が本当に障害児教育の道でいくのか、ゆれていた頃だ。
河南さんをはじめ多くの先輩たちはこのゼミの「卒業生」である。

滋賀県大津市は、
当時、乳幼児健診と障害児の療育システムが全国でいちばんすすんでいるといわれた。
重複障害のない脳性マヒ児は、早期発見と訓練によって障害を軽減できる。
なによりも発達していく子どもたちの姿に感動し、確信し、
お母さんやお父さんは親の立場から、
研究者や専門家はそれぞれの立場から、
勉強や実践をし、その方向をしっかりと一つに結びつけていた。

発達を保障することは、
個の発達(タテへの発達)だけでなく、
社会の系の発達(ヨコへの発達)も総合的に獲得することだ。
双方の総合的な発達がつぎの発達につながっていく。
「大津方式」は「考え方」と地域を変える運動がいっしょになって全国に広まった。

人が人として、それぞれが、より高いもの、よりすばらしい発達をめざして、
ひたむきに、明るくがんばる。

阪神大震災という未曾有の困難のなかでも、たくましく、美しい仲間たち。
がんばれ! そして、ともにがんばろう!


翌朝の東京は雪だった。
白い雪がうれしいと5歳の娘は、深夜に帰宅したわたしを襲った。

午後2時。
池袋駅東口には、30名を越える障害者団体のメンバーや
パソコン通信で行動を知ったすてきな仲間たちが、
街頭募金行動に参加していた。
瓦礫の街と美しい仲間たちの姿が交錯する中で、
わたしはハンドマイクをにぎっている。


(みんなのねがいネットに掲載)


イメージ
西宮市体育館


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