娘のクラスの「保護者交換ノート」より
カミサンは、勤務先の理事長の壮絶な死を目の前にして、
しばし絶筆状態のようです。
中川米造さんという方ですが、どなたかご存知ですか?
大阪大学医学部名誉教授で、心臓移植手術などに反対し、
患者の権利や医の倫理の第一人者でした。
その中川さんの遺言ともいえる番組が先日TVで放映されて、
わたしもいっしょにみたのですが、これはすごかった。
末期ガンでしたが、、、、。
曰く「”生命”はいつかはなくなるもの。しかし、人間の”いのち”は
それを継いでくれる人によって引き継がれて、永遠なのです」。
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ちょっと秋風が寂しくなるときは、わが家では娘との会話が救いになります。
10月13日付の「たいよう」増刊号(学級通信)、
「もしも、手がなかったら」のとりくみと、
瀬川くん(娘の同級生)の星野富弘さんの話は
おでんをさかなに盛り上がりました。
じつは、こんなに有名になる前、15年ほど前のことですが、
星野富弘さんのお宅を訪ねたことがあります。
富弘さんは昭和21年生まれ、群馬の中学教師になるのですが、
わずか2か月後にクラブ活動の指導中に鉄棒から誤って墜落。
以後、手足の自由を失いました。
9年間の病院生活ののち、
足尾銅山の手前の村、
群馬県東村の自宅で暮らしています。
数年前に村立で「富弘美術館」が渡良瀬川上流の素敵な場所にできました。
最近は生命保険会社のCMにまで作品が登場しています。
訪問したときは、ちょうど美しい奥さんと結婚されて間もない頃で、
パリッとのりのきいたベッドに横たえながら、
奥さんが持ってきた野の花を、絵筆を口にくわえて描かれたり、
疲れると、周りのたんぼ道を、電動の車いすで「散歩」されていました。
私の目的は、全国障害者問題研究会の月刊誌「みんなのねがい」の表紙の絵を
お借りすることでした。
たまたま私の故郷の群馬県館林市で、
富弘さんの県内巡回の絵画展が公民館で行われていて、
不思議な感動でせまってくる絵であり言葉に出会ったのでした。
これだ!とおもって、車を走らせた、そんな思い出です。
富弘美術館と渡良瀬渓谷。
春の桜は遅咲きですが、ちょっと感動的です。
国道122号・日光裏街道、足尾の手前です。
1997.10.13