(以下は、「みんなのねがい」2000号1月号に掲載されたものです。)
1)新潟・鈴木さんのホームページ
鈴木正男さん(四九歳)は、新潟市の近くに住む重度の脳性マヒ者です。ずっと介護してきたお母さんが亡くなってから、介護や福祉サービスをフル活用した在宅生活が5年になります。
彼から電子メールが届きました。(正直いうと、「電子メール届いた?」の電話もありました。言語障害がきついので、かなりわかりずらいのですが、メールだと、理路整然とした文書ですから、よくわかるのです)。1年かけてホームページを創り、インターネット上でオープンしたのでぜひ意見がほしいとのことでした。さっそく彼のホームページを開いてみました。
障全協の吉本哲夫会長が、「すばらしいホームページをつくって、当事者としての声をじつに的確に情報として発信している。インターネットってすごいねえ」と電話をくれたことがあるのですが、じつはそのホームページの主が鈴木さんだったのです。
「情報」の価値は人によってちがいます。「おいしいラーメン屋さんはここにある」という情報が欲しい人もいれば、同じ障害や状態にある人たちにとっては、鈴木さんの生き様や、公的サービスの合理的な活用方法などは、当事者しか発信できない貴重なもので、宝石よりも価値ある情報です。それが、インターネットでは簡単に検索して入手できます。いままでは情報の主人公にはなり得なかった重度の障害者が、まさに世界を舞台に価値ある情報を発信できる時代になったのです。
三〇歳頃までは足で絵や文字を書いていた鈴木さんですが、それができなくなると足でキーボードを打ち、ワープロを使いました。でも四〇歳を過ぎた頃、障害の重度化によって「寝たきり」になります。科学や社会の発展を確信する彼は、「どんな障害でも使える入力機器ができるはずだ」とおもい、50万円枠の「意思伝達装置」の公的助成を申請しましたが、「言語による意志伝達可能」と却下。九七年に12万円枠の「日常生活用具」としてワープロを購入。それからは自分で入力するのではなく、ボランティアが入力する方法で、1年かけてホームページを創ったのです。
「あきらめるのではなく、人を介してもいい」「さまざまな問題について情報を得たり試行錯誤しながら、自分のなかにある自主性や能力をバージョンアップさせていきたい」。彼からの電子メールの一文です。
2)もっと地域に支援の輪を
福井の長谷川清治さん(四六歳)も重度の脳性マヒです。電話があったのは、「パソコン通信」全盛の時代で、「ワープロで電子メールを出したいが、うまくいかない」とのことでした。
「県庁所在地の隣町」「ワープロは使える」この2条件があればすぐに解決できるとおもいながら、全障研の<みんなのねがいネット>や大手ネットPeople<福祉工作クラブ>に「だれか助けてもらえませんか?」と投げかけましたが、誰も手をあげてくれません。
結局、「人が行けないのだから、ワープロに来てもらおう」「それならば同じ機種のワープロは会社にある」「ならば、通信ソフトのフロッピーのやりとりで可能」と数名がネットワーク上で連携して、遠距離のサポート活動を行いました。以後、長谷川さんは全障研大会の「パソコン、情報アクセス」分科会に毎年参加し、来年は福井で開催される車いす利用者の集会で「パソコン」分科会の責任者をつとめるそうです。
サポート活動の中心となった会社員のKさんは、「使用説明書は難解で、ワープロ専用機の通信ソフトはみごとなまでにわかりづらかった。電話で何度かやりとりしているうちに「普通」に会話できている自分に気づき、嬉しかったです」と感想をメールしてくれました。
そして、長谷川さんからいただいた電子メールです。「寝たきりの私でも、人の役にたつこと、生きがいを与えてくれたのがワープロと通信だった。もっと地域に相談できる人がいたらいいのに」。
3)公的責任とパソコンボランティアの役割
パソコンやインターネットが障害者にもたらすものはまさに革命です。いままで「できなかった」ことが、10にも100にもなる可能性がひろがったのです。
十年前、目が見えない人たちが毎朝の新聞を、それもスポーツ紙や世界の主要新聞までインターネットで読めると、だれが想像したでしょうか?
一方、「パソコンは中途半端な商品だ」ともいわれます。テレビや冷蔵庫のような家電製品とは違い、厄介なのがパソコンです。そのため街にはパソコン教室が花盛りです。ところが障害者がパソコンを習おうとすると、街や社会のバリアーが林立します。駅、バス、教室の段差、トイレなどなどのハード面にくわえて、手話で学びたい、音声で使う方法を知りたい、補助器具も使ってほしいなど障害に配慮した専門性はありません。
ならばと、パソコンやインターネットが使いたくても使えない障害のある人をサポートをするさまざまなとりくみを「パソコンボランティア」(略称・パソボラ)と総称して、困ったときには自転車で駆けつけてくれるような地域単位で、いっしょに悩んだり、考えたりしてくれるサポーターの全国ネットワークをつくろうと、日本障害者協議会が中心になってよびかけ、一九九七年三月に東京ではじめて開催されたのが「パソコンボランティア・カンファレンス97」でした。
寒い雨の日でした。にもかかわらず、全国から五〇人の車イス利用者はじめ五〇〇名が集い、その成果を『パソコンボランティア』(日本評論社)として単行本にまとめました。
翌年はパラリンピックの文化プログラムとしてNAGANOで開催。3年目のスペシャルゲストの村井純さんはパソボラのとりくみを高く評価し「すべての人のためのインターネットを」と強調されました。
「パソボラ」をしていてすごいと感じるのは、「助けて!」など必要性にせまられると、つながりがつながりをどんどん生んでいってすごい力を発揮するということです。もう一つは、そのためにも情報の確かさ、ネットワークの信頼の確保がとても大切です。それによっていままでは出会うこともなかったエンジニア等と障害者の新しい関係の場が生まれたのです。
現在、こうしたグループは、それぞれ特色をもちながら、埼玉や群馬、静岡、愛知、島根などの県レベルや、川崎、横浜、坂戸などの市レベルの地域単位へと広がっています。
しかし、ボランティアには限界があります。「継続性」「医療・リハ関係者との連携」「開発・運用資金」など本格的に活動すればするほど悩みも多くなります。将来の方向としては、都道府県に最低一つ、「出前」のできる専門職員を配置した公的なセンターが設置され、そこを拠点にボランティアとの連携をはかることでしょう。
4)地域の中へ!厚いいくつものネットワークを
高齢者が安心してゆたかに暮らせる街を!と活動している福祉倶楽部代表の福井典子さんから、「頸椎損傷の患者さんなんだけど同じケイソンの友だちがインターネットでできるといいなって思うでしょ」と電話をいただきました。パソボラのインターネットで「どなたか、少し継続的に関わってもらえませんか?」と呼びかけたところ、近くの大学院生が手をあげてくれました。
私は「ドラえもん似」といい、院生の彼は「ムーミンのスナフキン似」とメールしあって駅の改札で待ち合わせ、福井さんと3人でSさん宅を訪ねました。操作する様子やインターネットを使いたいことを確認し、訪問看護婦さんからも意見を聞きました。仕事のため離れて暮らしているお兄さんがエンジニアで、補助具などもSさんのために自作されていることがわかり、お兄さんともインターネット上で連絡調整しながら
、むしろお兄さんを軸にパソコン環境を変更していくことになりました。
その後、私は直接サポートには関係していなかったのですが、最近「住まいの改善ネットワーク・東京土建住宅センターの年森です」との電子メールをもらいました。Sさん宅の住宅改造の相談にのっているのがこの「土建」の年森さんたちで、インターネットで情報交換しながらSさんをそれぞれ支えようという内容でした。
最近の介護保険がらみではつぎの要望を強く行政にせまったそうです。
「介護保険実施後の住宅改造助成について要望書を提出し、福祉部長はじめ所轄の課長らと話し合いを持ちました。現状の制度では、200万円近い助成枠があり、バリアフリーの住まいづくりの大きな支えとなっているわけですが、これが見直され、介護保険の給付枠(20万円)に制限されるとなると、実態は大幅な後退とならざるを得ません。わたしたちは、区が独自の財政措置もとって現状を後退させないよう要望しました。また、あわせて、障害者対象の助成制度との関係や制度運営上の問題も提起しました」
こうした要求とあわせて、Sさんの意思伝達装置としてのパソコンのバージョンアップも要請しています。「一生に一度きりの意思伝達装置支給」という制度そのものがすでに現実にあわないからです。
事故で障害者になったSさんですが、家族の励まし、病院や訪問看護婦、福井さんなど地域のキーパーソン、そしてパソボラの仲間に住宅改造チーム、さまざまな人とグループのつながりのなかで、新しい人生がはじまっています。
国連が「障害があっても同年齢の市民と同等の権利を有する」と宣言したのが25年前でした。「どのような種別の障害をもつ人に対しても、政府は、情報とコミュニケーションを提供するための方策を開始すべきである」と定めたのは九三年のことです。
しかし、「権利」は条文に書き込まれただけでは絵に描いた餅です。政策として具体化され、予算化され、一人一人がその恩恵を享受して、はじめて権利が保障されたといえるのではないでしょうか。
情報アクセス、情報発信はすでに現代の基本的人権です。その権利保障の具体化のひとつとして、パソコンボランティアは各地でとりくみが広がりはじめたところです。
もっと地域の中へ! パソコンを介して人と人とがつながり、だれもが安心して楽しく暮らせる地域をつくろうと。
(全国障害者問題研究会事務局長・日本障害者協議会情報通信ネットワークプロジェクトプロデューサー)