全国障害者問題研究会
第38回全国大会(長野)基調報告
常任全国委員会
はじめに
「障害児学級がなくなると聞き、許せない、何かしなければとかけつけました。わが子は学級で言葉が増え、友だちができ、自信がつきました」。この一年、各地の集会で、多くの親からこんな訴えがありました。このような発言のあとに、ADHDの子を育てる親から、「何らかの支援がほしいと訴えてきましたが、そのことで障害児学級のお子さんにしわ寄せがいくとしたら不本意です。どの子にも適切な教育が必要です」と続きます。学び合い、本質をつかむことで連帯が生まれています。この連帯は、権利としての障害児教育の成果を切り崩そうとする文部科学省のねらいを見抜く力となります。
一致点でとりくむ共同行動も前進しています。小規模作業所と小規模通所授産施設への補助金削減に抗議し、抜本的な施策を求める集会が4月に開かれました。7000名という参加者の規模とともに、障害種別などが異なる5つ団体が共同してとりくんだことは、「歴史的連帯」といえるほど意義あることでした。支援費制度の介護保険への統合問題、障害者基本法改正をめぐる要請、国連障害者権利条約実現に向けたとりくみなどにおいてもこうした「連帯」がたしかな力に発展しています。
しかし、「戦争のできる国づくり」という至上命令の下、政府にとって「改革」はやらなければならないのです。自衛隊が海外に派兵され、憲法・教育基本法が変えられようとしています。「構造改革」によって、これまでの「権利保障」のとりくみの基盤となってきた諸制度をきわめて乱暴に解体・破壊するのです。
全障研はさまざまな分野・領域・立場から「問題」を持ち寄り、それをみんなで学び合い、どんなに困難でも、問題の「背景」や「構造」を明らかにして、とりくむべき「課題」を見出してきました。こうした横断的・総合的な研究運動は、情勢が激しく動いている今だからこそ重要です。情勢を科学的・歴史的・構造的にとらえる上でも、発達保障、権利保障の視点から総合的に検討することが求められているからです。
1 障害者は平和でなければ生きられない
昨年の12月9日「障害者の日」、小泉内閣は自衛隊イラク派兵「基本計画」を閣議決定し、国民の反対の声を無視して、戦後史上初めて戦闘状態の国へ重装備の軍隊を派兵しました。これは日本国憲法を蹂躙し、戦争のできる国にする企みであり、断じて許すわけにはいきません。「障害発生の最大の原因は戦争による暴力」であり「戦争と障害者の幸せは絶対に両立しない」からです。
「お国のために命を投げ出してもかまわない人間を生み出す。お国のために命を捧げた人があって今ここに祖国があることを子どもたちに教える」という発言(教育基本法改正促進委員会設立総会で民主党西村議員)がありました。教育基本法の改悪のねらいを端的に表しています。また、東京では性教育を口実にした教育内容への介入、日の丸掲揚や君が代斉唱の強制に従わないものの大量処分など、憲法で保障され国会でも確認された思想信条の自由、内心の自由を侵す動きがますます強められています。
これらの動きに対し、常任全国委員会は「イラク派兵を中止し、憲法9条に則って、世界の平和を守る運動に連帯を」(12月10日)と「性教育を口実にした障害児教育への不当な介入を許さず、豊かな教育実践の創造を」(10月18日)の声明を発表し、平和と民主主義を求めるすべての国民と世界の人々に呼びかけました。
戦争のできる国づくり・人づくりではなく、基本的人権の尊重、国民主権、平和主義という憲法の原則を障害者のくらしに生かす意味を確認し、国民全体の課題に位置づけることが、今、強く求められています。
2 地域格差の拡大と地域療育充実の課題
乳幼児期の障害児施策は、国が最低基準を明確にしないまま市町村や民間に事業主体を下ろしているために、従来からある施策それ自体の不十分さとともに、社会福祉基礎構造改革による新たな福祉切り捨てという二重の困難を背おっています。さらに市町村合併が進行し、広域化大規模化した自治体で、これまで地域単位でつくられたシステムが、骨抜きにされかねないという問題が生じています。
まず、障害の早期発見にかかわる問題です。乳幼児健診の実施主体が市町村になってから、集団健診をやめ、地域の医師会などに委託した個別健診に切り換える動きが拡大しています。市町村合併がこれに追い討ちをかけ、健診体制の水準低下が懸念されます。
つぎに、保育所での障害児保育の「切り捨て」につながる動向です。03年度から障害児保育の補助金は一般財源化されました。政令指定都市などでは、従来の国の補助部分を自治体が負担することになり、障害児保育予算の削減が具体化しています。また、これまで都道府県が独自に支出していた市町村に対する補助金を削減する動きもあります。国は、障害児保育が全国の自治体に普及したことを一般財源化の理由にしていますが、地域間格差は大きくますます拡大する状況にあります。
第3に、身近な地域で障害受容期にふさわしい療育を担う児童デイサービスが支援費制度に組み込まれたことで、現行の支援費単価やその算定では運営費の確保がむずかしくなり、費用負担による保護者への負担増など、新たな困難に直面しています。ここでも制度移行を機に、県単独の補助金をやめた自治体がある一方、補助金を新設した県もあるなど、地域間格差が拡大しています。児童デイサービスの事業者に民間企業参入が可能になり、これまでの実践の蓄積を踏まえた療育が提供されるのか懸念されます。
第4に、障害児通園施設の将来像に関する問題です。障害種別の三通園施設を機能的に統合した「発達支援センター」へと移行する案が検討されようとしています。機能統合によってより身近な施設への通園が可能になることは積極的なことですが、障害種別にそくした専門性の確保や、発達を保障するための十分な職員配置のあり方など、子どもの発達の必要性を中心にすえ、公的責任を後退させない新しい制度体系が検討されるべきです。
第5に、不十分な運営資金や民間に依存した施設運営のもとで、行き届いた保育や療育を保障する観点を欠いて、安上がりでよりたくさんの子どもを受け入れる実践が広がりつつあります。限られた時間のなかでメニューを選択し、一対一の個別訓練などを行う方式は、生活と集団から子どもを遠ざけ、結果として発達の基盤や条件を子どもから奪うことになります。
総じて注目すべきは、支援費制度移行や補助金の一般財源化で、地域療育システムのさまざまな部面で地域間格差が拡大していることです。
しかし、困難ななかでも、地域を変える力は生まれます。児童デイサービスの県単位の新たな補助金を獲得した鹿児島県や滋賀県などでは、この事業の連絡組織が確立し、市町村や福祉圏域内で、障害乳幼児にかかわる保育士、保健師、ケースワーカーなどを交えた事例検討会が開催されています。子どもの実態から要求を掘り起こし、地域療育システムの中心になる児童デイサービスの役割を明確にするなかで、新たな補助金を獲得してきたのです。政令指定都市の福岡市や広島市では、地域療育センターなどで働く職員や保護者の運動で、新しい療育センターや通園施設が開設される予定です。市内のどこに住んでも身近なところで療育が受けられることを目標に、医療、リハビリテーション、相談部門をもつ総合的なセンターの複数設置を政策として掲げ、広く市民に訴えて、要求を実現しつつあります。
ここでの教訓は、それぞれの自治体の規模などに応じて、障害乳幼児にかかわる機関・施設や職員が、子どもと保護者の要求を把握し、政策として練り上げる連携を長年にわたり作り上げてきたことです。本来、この機能をはたす地域療育等支援事業が一般財源化され不安定な状況にあり、この事業を後退させない都道府県のとりくみが緊急の課題ですが、市町村で身近なネットワークをつくり、ねばり強く要求運動を続けることが大切です。
3 特別支援教育政策と障害児教育改革の具体化
(1)特別支援教育政策の進行と現状
昨年3月の「今後の特別支援教育の在り方について」(以下「最終報告」)は、「特殊教育から特別支援教育への転換」をあげ、LD,ADHD,高機能自閉症の子どもを新たに対象に加えること、「個別の教育支援計画」の作成、特別支援教育コーディネーターの指名、盲・聾・養護学校を特別支援学校に、障害児学級・通級指導を特別支援教室に改めること、地域単位の特別支援の連携体制の構築などを提言しました。
これを受け、昨年度より文部科学省は特別支援教育推進体制モデル事業を全都道府県に委嘱し、特別支援教育コーディネーターの養成や巡回相談などを開始しました。さらに今年度は個別の教育支援計画策定の検討委員会の設置、部局横断型連携協議会、センター的機能の実践研究に着手しています。特別支援教育コーディネーターには障害児学級担任や教務主任などが指名されましたが、モデル事業を行う学校からは指名でなく新たな配置、すなわち条件整備を求める声があがっています(「みんなのねがい」6月号特集参照)。また、1月には「LD等の指導に関わるガイドライン(試案)」が公表されました。
最終報告の内容が明らかになるに従い、教育水準が切り崩される不安が生まれ、とりわけ障害児学級の廃止には批判が強まり、全国的に反対運動が起こりました。学校教育法改正案の今年の通常国会の上程は、教育基本法や義務教育費国庫負担をめぐる状況もあり、見送られましたが文部科学省は断念したわけでなく、今年2月末に中央教育審議会初等中等教育分科会に特別支援教育特別委員会を設置、夏までに中間まとめ、年内に最終の報告を答申させ、来年の通常国会で法改正に持ち込むことをねらっています。
(2)障害児教育をめぐる状況
障害児学校や障害児学級・通級指導教室の在籍者は全児童生徒数が減るなかでも毎年増え続けています。行き届いた教育への要求の反映であり、障害児教育への期待といえます。ねばり強い運動によって、茨城、愛知、静岡などで養護学校・分校の開校(予定)が相次いでいます。
しかし、条件整備は遅れ、障害児学校の過密・過大、教室不足は深刻です。最終報告で「ナショナルミニマムは達成した」といっていますが、実態は違います。この点では、国連子どもの権利委員会は子どもの権利条約に基づく日本政府報告書に対する「最終所見」において、「障害をもつ子どものための特別な教育およびサービスに割り当てられる人的および財政的資源を増加させる」よう勧告しています。
さらに、障害児学校の再編や統廃合もすすんでいます(秋田、滋賀)。今年度の文部科学省予算で通級指導教室対応教員数が減らされました。LD等の子どもの活用が期待され、充実が望まれる通級指導教室のこの時期の縮小は、最終報告の描く特別支援教育ではLD等の子どもの教育の課題を何ら解決しないという象徴的事例です。
最終報告の具体化が進むなかで、特別支援教育の学校像、教育内容像などが見えてきました。京都市立北総合養護学校では、割り当てられた定数から地域支援の教員を捻出し、残りの教員で知的障害と肢体不自由の子が混在する学級(一学級3〜4名の子どもに対し1名の教員)を担当しています。これが最終報告の描く学校だとしたら、行き届いた教育を受ける権利と発達する権利を奪う学校像です。同じ京都市のクックチル給食(民間委託による冷蔵食品方式の給食)の交渉で「反対の保護者とは話し合っても平行線」「保護者の要望は聞けることと聞けないことがある」などの発言がありました。「一人一人のニーズに応える」はずの特別支援教育は、財政問題の絡む具体的な局面では、子どもや保護者の要求を切り捨てるのです。
また、特別支援教育は、教育実践上の理念的・方法的問題点もはらんでいます。「一人ひとりの教育的ニーズに応じる」「学習上や生活上の困難を改善し克服する」などの基本的な視点は、一見すると障害者問題の国内外の到達点を踏まえた印象を受けますが、憲法・教育基本法や子どもの権利条約などが求めるすべての子どもの全人格的発達と、必要・特別なニーズに応じた「特別なケアへの権利」の双方が曖昧にされています。前述の「LD等ガイドライン(試案)」では、通常学級担任に初めて指導方法が示され、「10分しか座れない子には、15分の目標を」など、個別の行動変容に重点が置かれています。こうした通常の教育とも乖離し、子どもの内面を丸ごととらえず、「学習・生活上の困難」と見なされた個別事項へのバラバラな対応に終始するならば、特別支援教育は普遍性をもたない、特殊な教育になってしまいます。さらに、これは特別な条件整備の公的責任の放棄に通じるものです。
この一年、自治体レベルでも特別支援教育改革が提言されています。国の最終報告そのままの提言がある一方、自治体の到達点と課題がリアルに見えるだけに、一方的なリストラをいうことはできず、寄宿舎は今後とも必要とした北海道(特殊学校長会)や障害児学級の重要性を指摘した川崎市、横浜市など、国の趣旨とは異なる文言も見られます。こうした自治体の動きを励まし、具体的なデータや教育の場や条件整備の計画を示して、このような動きを広めていくことが重要です。
(3)地域の広がるとりくみのネットワーク化
この間、障害児教育の一層の充実に向けて父母・地域と教職員との共同のとりくみが各地で展開されています。全障研の各支部の学習会・集会では、通常学級の教員、保護者をはじめ乳幼児関係者、福祉関係者、さらに議員など初めて見る顔も多く、地域のネットワークづくりのきっかけになっています。奈良では、障害児学校在籍率の推移と地域差の算定をもとに、県の学校整備の不十分さを指摘し、新たに複数の障害児学校が必要だと提言。保護者らの請願運動を裏付ける説得力のある資料を提供しました。
学校教育の問題とならんで、障害のある子ども・青年の放課後や長期休暇中の生活を豊かなものにする課題も重要です。この分野では、学校五日制完全実施、児童デイサービス事業などを利用した放課後ケアの展開など、情勢の変化がありました。そうした動向の中で、子どもたちと家族の権利保障をすすめ、そのための拠点となる場をつくり、そこに働く職員の生活と働きがいを守っていくために、各地のとりくみのネットワーク化が進んでいます。昨年度の全国大会(滋賀)では、都道府県レベルの連絡会、ネットワークが集まり、この課題にとりくむ全国組織結成を話し合いました。今大会中には「障害のある子どもの放課後保障の運動を進める全国連絡会」の結成が予定されています。
4 世界の権利保障運動の発展と日本
(1)国連・障害者権利条約の大きなうねり
世界的な障害者権利保障運動の重要な焦点の一つが、国連で採択をめざす障害者権利条約の動きです。これは、精神遅滞者の権利宣言(1971年)、障害者の権利宣言(1975年)以後、国際障害者年(1981年)と国連「障害者の10年」などを経て、30年余の間に深化・発展してきた障害者の権利を条約へ結実させようというものです。
条約は国会で批准されると、その国の憲法と一般法の中間に位置し、実体法の改善や修正を求める役割をもつことから、障害者に関わる法体系、具体的な施策に影響を及ぼします。このような権利条約の国内の障害者施策への影響の大きさと、国際的な到達点から国内動向を見ることの重要さをふまえ、全障研は5月と8月に国連本部で開催される特別委員会に3名の代表を日本障害者協議会(JD)の一員として派遣することを決め、特別プロジェクトチームによる情報収集や分析を行っています。
これまで3回の特別委員会での論議の特徴は、世界の障害者団体などのNGOの道理ある積極的な提案が条約交渉に大きな影響を与えていることです。論議はハイペースですすめられていますが、今後採択に至るまでには、南北問題など国際関係に関わる諸問題も横たわっており、それらを乗り越える高いレベルの条約とするための努力が必要です。
日本の障害者施策との関わりで大きな焦点になるのが、障害の定義、差別の定義、モニタリングなどです。障害の定義の点で見ると日本は欧米に比して法律で定めた障害の範囲が狭く、「障害者であって障害者でない人々」を生み出しています。また、差別の定義とかかわって「合理的配慮(reasonable accomodation)」という概念が討論されています。就労時の特別な設備や人員配置、障害児学校や障害児学級など特別なケアをともなう教育は、権利を保障する上で必要な施策であるととらえられます。
権利条約の論議は、世界の人権分野と障害分野の双方の到達点をふまえ、土台のしっかりした権利論を構築しようとする方向であり、その総合的な意義はこの条約の正式名称(障害者の権利及び尊厳の保護及び促進に関する包括的かつ総合的な国際条約)に、込められています。
(2)支援費制度の1年と介護保険統合問題
支援費制度は昨年末には100億円にも達する予算の不足が明らかとなり、今年初めには介護保険制度との統合問題が急浮上しました。なぜこのような「混乱」ともいえる事態を招いたのでしょうか。その背景としてまず、居宅支援を中心にした支援費制度利用の伸びがあげられます。厚生労働省も実施市町村が増えたことと利用の伸び(特に知的障害者と児童のホームヘルプ利用の伸びが著しい)が予想をこえるものだったと資料にもとづいて弁明しています。さまざまな問題点を含み、社会資源の不足など積み残しの課題をかかえたスタートした支援費制度ではあっても、利用は確実に広がっているのです。しかしこの課題に対して、厚生労働省は予算の増額や社会資源の整備などといった解決策をとろうとしていません。
利用増に対する予算の不足とともに見逃してならないのは、国の「三位一体改革」の方針です(03年6月閣議決定)。地方への税源移譲と国庫補助金削減を焦点とするこの「改革」を受けて、全国市長会、知事会が支援費や障害者福祉の補助金を廃止するよう求めていることなども示しながら、厚生労働省は不足を補うどころか、今後は現在のような補助金による予算措置そのものは継続できない、したがって「財源の安定的な確保のため」に介護保険との統合を、という結論へ導こうとしています。
市町村・都道府県を対象とした調査の結果においてサービス利用が増えたとはいえ、一人ひとりの障害者・家族に焦点をあてると、制度改善の課題が山積しています。たとえば増えたとされる知的障害者や児童のホームヘルプも実施市町村は半数にも至っていません。また以前にホームヘルパーなど居宅のサービスを利用していた人の中に支援費の申請をしていない人が多い、申請をして受給者証を交付されたにもかかわらず実際にサービスを使った人は約6割、しかも利用時間が決定した支給量の4〜5割にとどまっているといった実態が日本障害者センターなどの調査で明らかになっています。
制度スタート時点で十分であるべきだった社会資源が未整備であることに加えて、利用者の「求めに応じて斡旋、調整、利用要請」(各福祉法)をしなければならない市町村が本来の役割を果たしていないために、あらゆる面で市町村格差が拡大してきています。これを是正するはずの市町村障害者計画の立案は、数値目標という点で不十分であり、市町村格差縮小の展望はみえません。
一方、介護保険が「安定的財源か」というと、まったく逆です。制度開始5年目の改定期を迎えた介護保険も、予想を上回る利用増で財源の新たな確保が課題となり、保険料を支払う被保険者の範囲を拡大してなんとかしのぎたいというのが実情なのです。ここで登場したのが、被保険者の範囲を20歳以上にすることと合わせて障害者への介護サービスを介護保険と統合するという案です。被保険者の拡大は国民年金などの保険料加えて新たに介護保険料を若年層に課すことになり、国民全体の問題です。また、障害者が加齢・高齢になることによって生じるニーズと、障害のない人が高齢になって障害をもった場合の異同や介護のあり方などについてじっくり検討する必要があります。高齢者関係者さらに社会保障関係者、広範な国民のとともに検討すべき課題であり、財源論優先の「統合先にあり」という姿勢は許されません。
(3)貴重な権利保障運動の前進を各地に
「放置は違憲」、学生無年金障害者訴訟(20歳を過ぎた学生時代に障害を負った人が当時任意加入だった国民年金に未加入だったことを理由に、障害基礎年金を不支給とされた処分の取り消しと損害賠償を国に求めた訴訟)に対する画期的な判決が東京地裁でありました。「判決は無年金障害者を20年の長期に渡って放置してきた国の責任を断罪したものであり、憲法に定めた生存権をはじめとする基本的人権に基づく重要な判決」(東京地裁判決に対する全国弁護団声明より)です。全国の9地方裁判所でこの問題は係争中であり、判決は国会での無年金者に障害年金を支給する法的措置の検討にも影響を与えています。
これは、「生活保護の他人介護料では重度障害者の人間らしい生活は保障されない」と、障害者扶養共済年金を収入認定から除外することを求め、最高裁で勝訴した高裁判につづいて、障害者の生存権を保障し、尊厳あるくらしを実現する運動に道を開くものです。
第159回通常国会では、障害者基本法が11年ぶりに改正されました。この改正では、差別禁止に関する条項を盛り込んだこと、市町村に対して障害者計画の策定を義務づけたこと、中央障害者施策推進協議会の設置などいくつかの改善点があります。教育問題では、「共同学習」を積極的に進めることが記述され、「共に育ち学ぶ教育を受けることのできる環境整備を行う」ことが付帯決議されました。今回の改正が次の改正への第一歩となるよう、各地で運動が求められます。
5 研究運動の課題
(1)世界の権利保障と発達保障の理論を深めていく課題
発達保障は、近江学園でのとりくみのなかですでに「発達への権利」(糸賀一雄)とも言い換えられ、「幸福への権利(幸福追求権)」のなかに位置づけられていました。障害をもっていても発達する権利があるとして、それを実質的に保障するための生存権、教育権、労働権などの内実を求める研究運動が、全障研の歴史であったといえるでしょう。
一方で、国連が「発達(発展)への権利」を承認し、子どもの権利条約が社会への統合と個人の発達する権利の統一をめざしていることなどは、わが国における発達保障の運動と研究の意義をあらためてとらえなおす機会となっています。
障害のある人々の発達を権利として保障することは、そのための物質的、環境的、経済的条件を求めることに必然的につながり、生存権、教育権、労働権の実質的な保障を求める運動に具体化されてきました。そして、それは日々の実践においても、生活や労働の真の豊かさのうえにこそ、発達が保障されることを見出だすことにつながりました。
生きがいのある生活があり、期待のもてる生活日課があるなかでの指導こそ、子どもたちにさまざまな能力や豊かな感情を獲得させていくことができます。働きがいのあるしごとがあり、自らの価値を実感できる労働のなかでこそ、青年・成人期にふさわしい人格を形成することができるでしょう。しかし今、生活や労働を発達保障の基盤として守り、発展させる方向ではなく、メニューを選択させる方向に、制度は動き始めています。それは、生活や労働のなかにある集団の教育力を軽視することにもつながっています。
全障研が蓄積してきた発達保障の理論と実践の真価を、世界的な権利保障とあわせながら、地域のなかで広く学び、検証し合う研究運動をすすめていきましょう。
(2)発達保障をめざす実践の創造の課題
<乳幼児期>
国が責任を負うべきナショナルミニマムを明らかにする方向と、市町村から都道府県、国へと、条件整備で国の負うべき責任を実践的運動的に明らかにする方向が、それぞれに大切にされなければなりません。
そのなかで、当面する課題は、これまでの障害乳幼児対策が対象としてこなかったLD、ADHD、高機能自閉症などの軽度発達障害の子どもや、子育ての困難から生じる一過性の発達障害、虐待のリスクをもつ子どもなどへの早期発見・対応、療育システムを創造することです。こうした子どもの早期発見と対応は、乳幼児健診システムの充実に負うところが大きく、国が進めようとする「次世代育成支援対策」に、その対策を盛り込むことが重要な課題となります。
つぎに、通園施設、児童デイサービス、保育所・幼稚園での障害児保育などでの、発達保障にふさわしい人的配置などの基準条件を、研究的に明らかにする課題です。障害乳幼児対策の中心は、子どもの日々の発達の基盤となる保育や療育の充実におかれなければなりません。その基本条件を明らかにしないままの支援費制度への移行や補助金の一般財源化により、職員の雇用形態はますます非常勤職への依存を強めています。子どもの障害を軽減し、発達を保障するにふさわしい基準条件を実践の場から明らかにしましょう。
さらに、「発達支援センター」の機能として期待され、医療、相談、地域の施設支援、家族支援などの総合的な機能が、どこでも整備される政策を地域からつくる課題があります。医療や相談の機能は、地方自治体で整備が遅れ、障害の重い子どもたちの生存と発達保障にとって、大きな問題となっています。すべての都道府県に支部のある全障研は、地域のすみずみに視野を広げ、どの地域に生まれても十分なケアが受けられることを目標にした研究運動と政策づくりを進める役割を担っています。
<学齢期>
○「特別支援教育」をめぐる動きを正確に把握し、批判的に吟味する課題
2003年度のモデル事業の自治体やそれ以外の地域、さらには都道府県および市町村教育委員会の動向などを、支部やサークルで正確に把握し、到達点と問題点を明らかにする必要があります。その際、大切な視点は、「すべての子ども・青年に、権利としての教育を手厚く保障する」という観点です。そうした観点から、通常学級での障害等のある子どもの教育の実態、通級指導教室、障害児学級、障害児学校など「特別な教育の場」での教育の不十分さは、どのように改善あるいは改悪されようとしているのかなどを、総合的に把握する課題にとりくみましょう。あわせて、中教審・特別委員会で検討されている国レベルの制度改革の動きにも注目する必要があります。地域・自治体ごとの到達点と問題点を明らかにするとりくみと結び、そこでの検討の結果から、制度改革の内容が妥当なものかどうか点検しましょう。事実をもって地域・自治体ごとの問題点を指摘し、不十分・不適切な制度改革を許さない声を広範にひろげるとりくみを進めましょう。
○障害児教育の到達点を明らかにし、その成果と基盤についての合意をひろげる課題
私たちはこれまで「特殊教育」の制度の下でも、障害のある子ども・青年に「権利としての教育」を保障することをめざしてきました。その成果をあらためて点検し、到達点と課題を余すところなく明らかにしましょう。このとりくみは、学級や学校ごとのとりくみを出発点とし、地域に合意をひろげ自治体レベルの制度と運用の改良を獲得しながらすすめられてきました。したがって到達点や課題は、地域ごとに一様ではなく、多彩な、ある意味では不均等なかたちをとっています。ですから、「到達点と課題を余すところなく明らかに」というとりくみは、まず地域・自治体ごとに、自らの地域での到達点と課題を明らかにするとりくみなしにはすすみません。これまでに積み重ねてきた実践と運動の到達点を着実に総括し、誰にでもわかるかたちにしてひろげましょう。ていねいにとりくめば、かならず地域の広範な合意を形成することにつながります。
<成人期>
○脱施設化と地域生活支援の課題
今年2月に宮城県知事が「脱施設化宣言」を公表しました。このほか国立コロニー、長野、大阪など事業団コロニーなどでも設置者による脱施設化の計画がつくられ具体化に移されつつあります。これらの計画はいずれも入所者本位を第一に掲げ、ノーマライゼーションを実現しようという趣旨がうたわれている一方で、自治体や国の公的事業からの撤退、財政縮減をも意図しているという特徴があります。
実際に脱施設化を実現するためには、地域生活に対する施策や移行のための施策を十全に準備する必要があります。具体化に入っている宮城や長野では、入所施設とグループホームの二重利用、グループホームの重心加算、生活訓練事業など移行のための自治体単独の事業や加算がされ、一定の成果をあげてきています。20年以上在籍している重度者の地域生活への移行には、独自の移行事業、地域福祉資源の抜本的充実が必要なのです。そうした自治体独自の予算化と財政削減は本来両立するものではありません。国は何らそれらの事業を支援しようとしていません。2003年度から始まった障害者基本計画は「地域生活移行のための技術の確立の検討」をうたっているものの緊急の「重点施策」からはもれています。施設整備の打ち切りのみでは脱施設化はすすみません。ここを抜本的に転換させることこそ重要な課題です。
「脱施設」の試みは各地の知的障害者入所施設でもはじまっています。この場合、地域の「迎え施策」とも連携していかねばなりません。現在施設に入所している人が在宅サービスを体験したり、高齢にともなう介護力の減退、不況などによって深刻さを増す家族自体の生活にも目を向けた施策を検討することが重要です。
○制度改革の積極的な議論と理論的検討
政府は制度改革をすすめるさい、現実に進行してる諸問題のある一面だけ切りとって強調する傾向があります。たとえば「授産施設の一般企業移行者は少ない」「障害者の多くが介護保険をすでに利用している」などといったことです。私たちはこれらが全体を見ていない一面的な実態把握であることを明らかにするとともに、授産施設で働く障害者の労働者としての身分、権利保障の方向性、半数以上となっている高齢障害者の加齢だけでなく障害に応じた支援のあり方など、社会的なサービスの統合問題、支援形態や内容の固有さなどの理論的検討も必要です。
○個別の居宅支援実践の研究
今後の地域生活での自立を具体化していくうえでは、個別の支援である居宅支援や在宅サービスの活用が重要な課題となります。私たちが蓄積してきた実践研究は、どちらかといえば学校や施設などの集団に対するとりくみであり、個人に対する支援についての実践検討の経験は十分ではありませんでした。居宅支援は多くが1対1であり、支援者も固定しない、あるいは細切れで展開されるのが通常であるものもあります。極端にいえば「子ども(あるいは私)のことをわかってくれる人」ではないことも想定されます。こうした実践は施設や学校とは違いがあって当然です。ある限られた場面や時間に必要に応じて供給される支援サービス、固定しない支援者、このような支援形態での実践について、サービスを受ける側と提供する側双方で議論し、検討をしましょう。
○家族のあり方についての学習
この間の障害者運動の成果で、成人障害者の利用者負担金の収入認定で、その対象から親や兄弟を除くことができました。さらに障害児の居宅支援では親の状況にかかわりなくサービスが使えるという国の考えを通知上引き出してきました。これらは大きな前進ですが、個の支援を家族の責任に帰するという問題はまだまだ多く残されています。
これらを解決するためにも、障害児者がいる家族のあり方を実践的にも深めていきましょう。たとえば、母親がいても子のためにヘルパーに入ってもらえるように、家族のためにも家事をヘルパーに依頼したいといった要求は、障害児者がいる家族のあり方の変革を伴って出されてきたものです。経験や考えを交流し、障害者である個を尊重する家族のあり方もさらに深めていきましょう。
(3)「地域」「つながり」「集団」を大切にした研究運動を
「弱肉強食」「受益者負担」の構造改革、財政縮減を理由とする制度改悪は、全体的には低所得の人たちにも画一的に負担を課すのが特徴です。それは、他方で、低所得者、貧困なサービスで我慢している人たちを分断する側面ももっています。世界に例を見ない異常な長時間労働、出口の見えない長期不況、リストラへの怯えなどなど一人一人がバラバラにされてしまいかねない状況が深刻化しています。それは、学校やさまざまな場においても共同のとりくみが困難になっている原因にもなっています。
しかし、障害者と家族が地域でゆたかにくらすには、生活をトータルにとらえることが大切です。そのためには、それぞれが歴史に学び、現状を科学的にとらえながら「専門性」を磨きあい、ヨコへの連携とライフサイクルをこえたタテの連携をしっかりと構築していく必要があります。
お母さんたちの語らいの場の「父母ネット」や「余暇ネット」が広がっています(愛知)。離島に3人の全障研会員が生まれ、町民ぐるみで「島に養護学校を!」の運動がとりくまれています(鹿児島)。月一回の支部学習会を大事に開催し、ブロック集会や全国大会に代表を派遣することができました(沖縄)などなど各地でさまざまとりくみがあります。
全障研が地域の中でまさに「接着剤」となって、さまざまな課題で立場のちがった人たちも含め、つながりを大きく太らせていきましょう。そうしたとりくみをつなぎ、運動に勇気を与える機関誌「みんなのねがい」を活用しながら、一人ぼっちの障害者や家族をなくし、一人一人の願いや思いを大きく広げていきましょう。
以上のような研究運動を通して、今年の大会テーマ「守ろう 平和憲法、語ろう 人権・発達保障。豊かな文化・いきいき人生を地域から」を深めあいましょう。
もどる