故田中昌人さんの仕事

加藤直樹(立命館大学教授)


 京都大学名誉教授、田中昌人さんが昨年11月18日に亡くなって3か月が経った。発達研究者として類例のない画期的で壮大な理論をつくってこられ、さらなる発展を期しておられただけに、悔やんでも悔やみきれない。

 田中さんの仕事が画期的であったひとつは、発達心理学を基礎におきながらそれにとどまらない人間発達の理論を構想・提起したことである。人間発達を個人のものとしてだけでなく、社会発展の法則との関係を明らかにすることをめざし、個人の発達、集団の発展、社会の進歩という三つの系の総体としてとらえることを提起したことはそのひとつである。また田中さんが最も体系化した理論として展開したものは、個人の系における発達の「階層−段階理論」として知られているが、胎生期から成人にいたるまでの発達の質的発展過程を明らかにしているが、さらに大きな「大階層」概念を提起し、それは自然界の階層との関係をも意識しているとみられる壮大なものである。
 
 また、発達の階層や段階とそれに照応した「教育階梯」を提起し、いわば「発達保障」の理論化のために多くの研究成果を挙げてこられたことも、発達と教育の関係についての多くの論争に対する田中さんの回答として注目に値する。障害児の早期発見・対応システムとして名高い「大津方式」樹立の中心を担ったのも田中さんであったが、発達診断の方法を開発するとともに、発達に見合った育児・保育上の留意点を詳細に検討したこともそうした一環であった。

 田中さんは、若くして先輩たちからも期待され注目された研究者であったが、全国的に知られるようになったのは障害児者の権利保障運動の中においてであった。田中さんは京都大学助手を経て知的障害児福祉施設である滋賀県立近江学園に勤め、知的障害児の父といわれた初代園長糸賀一雄氏らとともに障害児の発達に実践的に取り組んできた。その中で、「すべての人間の発達の基本的すじみちは共通である」などとして、障害者の権利の平等性を主張し、発達の充実を社会が保障すべきであるとする「発達保障」論を提起し、それが運動を励ます理論的武器として関係者に広がっていったのである。

 田中さんは右に挙げたように常に権利が侵害されている人々の立場に立って励ますことを生涯かけて行動で示した人であった。詳述するゆとりはないが、人間に対する温かい目は、田中さんが一昨年から昨年初めにかけて「しんぶん赤旗」日刊紙に連載した「人間発達の素晴らしい世界を!」(全19回)にも示されている。「滋賀九条の会」の事務局まで引き受けられた田中さんの仕事の全体を引き継ぐことは至難ともいえるが、田中さんがずっと大切にしようとされた「集団」の力を結集して努力していくことが遺志に沿うことでもあるだろう。

 「しんぶん赤旗」(2006年2月15日)より


2000年全障研事務所で撮影
在りし日の田中昌人さん

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