陽はまた昇る<7> 余暇と人生 デンマークの「アフター3」(仕事が午後3時に終わるので、それ以降は「余暇」タイム) については、2度目の訪問のとき、オーフス市にあるグループホームで学んだ。 http://www.nginet.or.jp/~kinbe/SAS/sas4.htm はにかみやのアネッタは、給食センターで働き、毎週火曜日の夕方は、郊外の学校を会場にしたイブニングスクールで、シルク絵の刺繍を習っていると嬉しそうに話していた。 26歳のケネスは、作業所で働き、イブニングスクールでは「乗馬」をしていると葉巻をふかしながら胸をはった。 イブニングスクール? ぜひ見たい!と 2001年オーフスで実現した。 http://www.nginet.or.jp/~kinbe/SAS/sedk2001/sedk20015.html そこで、すごいショックを受けた。 みんなエネルギーが爆発してた。 前回2004年の旅では、「夢は夜ひらく」ものだと、 首都コペンハーゲンとアンデルセンで有名なオーデンセでそれぞれの余暇センターを見ることができた。 http://www.nginet.or.jp/~kinbe/SAS/2004DK/2004dk_2.html 今回は、コペンハーゲンの「ヴォクセンクラベン」というちょっと大人の障害者の余暇センターを、夜の7時に訪問した。 この季節、当地は午後4時ですでに夜。夜は長いのだ。 ◆ ◆ ◆ 「アナタ ハ エイゴ ガ ハナセ マスカ?」 車いすの男性が英語で話しかけてきた。 言語障害も少しあるので、なかなか困難な会話となったが、そこはお互い理解しあいたいという気持ちがあれば、なんとなくは伝わるものだ!(とおもいたい(^^;)) 彼は、15歳でバイク事故で障害をおい、現在37歳。妻もいるそうだ。 日本人と話しするのははじめてだ、とかいっていたが、チェスとシューティングが得意で、この余暇センターは週2日利用し、他の日は自分の体のバランスの調整にあててるようだ。 「アナタ ハ チェス を スルカ?」と聞くので 「プレイ ショーギ!」と言うと、目を丸くした。 「ソレモ マタ ジンセイ ダ」と何度も言ってた。 ◆ ◆ ◆ 以下は、施設長のベント・ムーランと利用者委員会のベネー会長の話から。 ベネーさんと ・175人の利用者(登録者)がいるが。平均利用は58.9人。障害の軽い人から重い人まで。 ・25歳から50歳までが利用(それ以後も希望があれば65歳まで使える)。 ・利用者は北はヘルシンガー市(車で1時間)や西はロスキレ(車で40分くらい)からも来ている。自力で来れるのは20人(路線バスなど利用)、残りは「移送サービス」を利用している。 ・月曜〜木曜は6時半〜9時半が「授業」(パソコン、料理、テキスタイル、シルクペイントなど)。金曜日はパーティなど楽しい催し物を企画(そのときは140人もくる)。月1回の金曜日は10時半まで延長する。 ・年2回は25人で海外旅行に行っている。 ・活動内容は会長がスタッフと協議しながら決めている。有志で機関紙もつくる。 ・設立は1982年。それまでは青年クラブ・ラブック(2004年に訪問)と同居していたが、その後ここ(市の建物)に移った。 ・利用者の半数はコペンハーゲンに住む。居住している市が負担金を支払う。 ・DSI(デンマーク障害者連合)の傘下組織で3人DSIに理事を出している。 ・午前中は別の高齢の障害者のデイアクティビティセンターとして運営している。 <質問=利用者が負担する額はどれぐらいですか?> ・利用料(会費)は月65KR(1430円)。 「移送」サービス費用は月80KR(1760円)これには市も80KR助成している。 ・センターには、一人1回利用について約200KR(4400円)が市から支払われる。通っても通わなくても登録した利用に対して200KR支払われている。 <質問=この予算は「福祉」ですか?「(社会)教育」としてのものですか?> ・(財源の)根拠は、社会サービス法88条にもとづくもので(「福祉」予算!)「障害があるために特別な負担をかけてはならない」という規定による。 ・ただし「授業」料については、1年間(33回の授業)で700KR(15400円)本人が支払う。 (他のデンマーク人が払っていることと同じように(それだけの収入もある))。そこに派遣される教員は障害者教育財団に属し、その財団には公的機関の支援がある。 <質問=65歳以上の人はどこに行くのか?> ・ここがいいという人はここにいる(70歳の人もいる)。 ・家の近くの高齢者の障害者センターに通う人もいる。 ◆ ◆ ◆ 昨日だったか、一昨日だったか、わが家に事件は起こった。 机の上にない。洗面台にもない。トイレにない。ポケットにもない! ないのだ。腕時計が!(;_;) 部屋にもう一度いって、点検するが、ない。なーーい。 朝の出がけの忙しいとき、高2の娘の目が点になっている。 そして、はたと、左腕に、時計がしてあることに気がついた(^^;) カミサンは腹を抱えて笑いだす。 うーーん うーーん これは、、、、(^^;) 信長が謡ったのは「人生50年〜〜」だったが、気がつけば、わたしも50年を過ぎた。 日本語では「余りの暇」と書く「余暇」。なんとなく、前面に出すのをためらうようなコトバなのだけれど、本当は、とっても大事な、自己実現としての人生の時間だとおもうんだよね。 ▲コペンハーゲンの地下鉄 |