上杉文代 「人生の旅」<4> 鬼になって行った旅(2007年) 2007年1月3日から12日、前回からまだ3年は経っていない。しかも冬の旅。でも私は絶対に行こうと思った。行かねばならないと思った。 教育基本法改悪反対に集った2万5千人。障害者自立支援法反対の10.31大フォーラムに集った1万5千人。でも政府はその声に耳を貸さず、いじめで自殺する子ども、いじめに走る子どもの、本当の願いを知ろうともせず、「教育再生」だ、「美しい国」づくりだ、と教育基本法を改悪してしまった。防衛省を作って、憲法改正を堂々と語っている。日本列島に再編成される米軍基地、私の背中はそれを背負ったように重くなり息が出来なくなる。 この苦しさと闘うために私は鬼にならねばならない。私は鬼になろうと想った。 参加者は二つのグループに分れて、関空と成田からフィンランド航空で出発した。10時間後ヘルシンキで落ち合い、コペンハーゲンに移動した。みんなで17人。嬉しいのは新しい出会いがあった事である。 ◆ 最初の訪問先は仕事体験センター、13年前に訪ねたホイヴァンゲン障害者作業所だ。あの時はナナカマドのような赤い実の美しい秋だった。3歳の薗部良ちゃんとその実を拾った。パンに野菜サラダも付いたお昼をご馳走になった。日本の障害者と同じような笑顔の人と握手した。本当に懐かしい所。 今回はセンターになり3つのセクションを抱えている。200人の利用者に50人のスタッフ、県立であったが1月から市に移行された。三つのセクションとは、(1)デイサービス、(2)作業活動はここホイヴァンゲン、(3)ジョブスクール(就労のために学ぶ場)である。 この説明を聞いて今、自立支援法で我々の作業所が仕分けられようとしている三ランクを思い出した。あっまた、内容の伴わない言葉だけの真似なのだ。 ここの作業活動は4つ。厨房での食事準備、掃除、木工、織物である。木工は以前は組み立ての下請だったが、新築の作業所に本格の製材木工の機具を備え、机や椅子、飼育小屋など自主製品を作っていた。織物も布を使った製品は専門のスタッフがついて、商品としての値打ちのある子ども用の服や人形が創られていた。 ◆ 次に訪問したのは生徒百数名の養護学校。 日本では4月から「特別支援学校」と制度が変る。ノーマライゼーションの理念はこの養護学校でどう実践されているのか。 私は盲ろうの重複障害児の棟に行った。通訳がないから片言の英語で。幸い一人の女教師が忘れかけた日本語を思い出してくれた。 ぶら下げた4本の綱を結んで、ブランコの様にしたものに腰かけて揺れている男の子、先生がついて綱をくるくるまわし、優しく体ごと話しかけている。勿論聞えない、見えない子どもだ。両手はしっかり綱に捕まって、先生は、怖そうに縮こまっている脚を少しずつゆっくりと伸ばしてやる。「怖くないよ、大丈夫」というように。一緒になって揺れながら、聞えない、見えない子をリラックスさせ、全身で揺れる楽しさ、重心の自己コントロールを教えている。 昔、私が初めて盲ろう児を入学させた時、こんな実践を思いついただろうか。暫くして先生は子どもを支えの付いた自転車に乗せた。ハンドルを持たせペダルに足を乗せてやる。ペダルを廻して足を動かし、自分で漕ぎ始める。やがて子どもは自転車で廊下を走り出した。 その子は7歳だった。9歳の少年は隣の部屋で男の教師と手でコミュニケーションしていた。もう一人の子はベッドの上で横たわっていた。プライバシーを守るため写真がとれないので残念だった。時間が来て別れる時、外で4人の担任と写真をとった。その時「お仕事で疲れませんか」と尋ねると「毎日が楽しいのです。4人が同じ目的で話し合い、研究するのが楽しいんです」と言う言葉が返って来た。それを聞いて私はこの学校のすべてが解ったと思った。 校長のレクチャーもあり、質問の時間もあったが校長は骨のある人だと思った。国連でもインクルーシブ教育が言われている。ノーマライゼーションを目指すデンマークの本校の今後について質問すると、彼の立場はインクルーシブを肯定しつつも、養護学校の必要性、更なる見直しと教育の追求を語った。教育の目的は生きる技量を高め、生きる喜びを感じる事、コミュニケーションの意欲を高め、対人的行動のパターンを会得し、自己肯定觀を高める等等、傾聴すべき言葉が次々と飛び出した。 驚いたのは人事権である。理事会は保護者7人と教師代表2人の9人。校長、副校長はオブザーバーで発言権はない。教師の採用はこの理事会が決め、校長の採用は自治体と理事会で決める。管理職ばかり増やす我が国。養護学校不要論が荒れると校長や教委員会までが揺れ、特別支援教育だといって条件も整備せずに、盲、ろう、養護学校を一本にして特別支援学校の看板を上げようとする。形だけ真似しても内容は追いつかない。その事を痛感した。 ◆ 今回の新しい出会いは筋ジストロフィー協会であった。 静かな郊外の古い病院そのものがリハビリテーションセンターであった。車椅子に乗った小柄な美しい女性が出迎えてくれた。会長が留守で副会長の彼女が語ってくれた。コーヒーカップを両手で持ち、声は滑らかだが語りにくそうに時々口を休めた。でもレクチャーは二時間近く続いた。その内容は力強く、幅広く闘志に溢れている。これが筋ジスと言う難病を生きる人の人生観なのか、私は心を洗われる思いだった。 ◆ 今回もコペンハーゲンで余暇センターを見た。 175人が登録され平均60人近く利用する。25歳から50歳までそれ以上も可能である。利用料は月65クローネ(1760円)だが、センターには一回の使用料200クローネ(4400円)が来ても来なくても登録者数だけ市から払われている。この予算は社会サービス法による「福祉」だという。いろいろな活動のプログラムは施設長と利用者代表のスタッフによって決められる。その中に年に二回の外国旅行もある。有志で発行する新聞もある。羨ましい成人の余暇である。我が国で青年、成人の障害者の余暇活動に、どれだけの予算が組まれているのか。 ◆ 今度の旅行で初めてフィンランドの歴史を知った。 早くから隣国スウェーデンとロシヤに支配され、独立したのは1917年だった。第二次世界大戦ではドイツについた為、敗戦国として賠償金をロシアに支払い、1952年ヘルシンキ、オリンピックの後、福祉の道を歩み始めたが、ソ連の解体後の東欧諸国の不況の中で、1990年には失業率が20%にもなったという。 1995年、「教育」を国家再生の柱として、今日の教育体制をしき、国家予算の大半を教育に注いだのだ。そして10年後、学力世界一の国になった。学力だけが問題ではない。冬が長く寒い北国に棲む人達の生活の知恵に学ぶべきである。フィンランドは夢のムーミンの国ではない。苦境の中から物語りを生める国なのだ。と私は暖冬のフィンランドで思った。 ダウン症児3名がいる13人の2年生のクラスを見た。3つに分かれたグループに1人ずつ障害児が混ざって絵を描いている。ハンナ先生と3人の協力者は静かに見守っている。生徒は好きな色を選んで塗ったり、出したり、ハンナ先生の言葉が耳に残った。「私は子どもをおだてません。自由に自分で考えて決めさせます。相手とどんなにつき合うか、お互いに見っけ合います。ほめたりもしません。いい関係を見つけた時、そっと肩を叩いて喜びます。子ども達は素晴しいものを持っているのです」私は校長が言った教師の専門性の高さを思った。これは場の共有でなく、インクルージョン教育なのだと思った。 ◆ 障害児の就学前保育と就学先を繋ぐ 私たち全障研支部の悩みは通園施設と進学先を繋ぐ問題である。折角おむつ外したのに、歩くようになったのに、と就学後の姿を見て嘆く保育士さんたち。「保育と教育は違います」と切り返す学校。両者を繋ぐ場はまだお粗末だ。形式ばかりだ」この国ではそこが手厚い事を「特別養護保育園」障害児を受け入れている保育園を訪問して知った。 義務教育は7歳からだが6歳児も就学前教育が義務づけられている。障害児は5歳、6歳と2年間だ。この子たちの指導資格は障害児教育と保育の二つの資格が必要である。実践は保育園の教員1名と近くの小学校の教員3名と4人のチームで実践し、どこに進学させるかを決めるという。我が国の就学指導委員会のありようとは大変違う念の入れようである。 もう一つ驚いた事は保育園では朝食をとる時間のないお母さんの為に食事も準備しているという事だ。 ◆ タニバラ青少年の家での話。 ここは9歳から17歳までの青少年が放課後過すところ。市の青少年局が担当している。青少年局には13の拠点があり、各拠点に3〜4の青少年の家があるから、合計53になる。 タニバラはスポーツ協会の所有する建物で中は広いが旧い建物だった。雪のない広場では日暮れも忘れて少年たちがホッケーに興じている。 ああこんなに時間を忘れて群れ遊ぶ子どもたちを見るのは久し振りだ。私の住む団地では朝夕に登下校する子どもたちの姿は見るけれど、集って遊ぶ子どもは見かけない。代りに大きな塾が建ち、送迎の車が夜遅く停まっている。 ここには毎日夕方まで55人、夕方からは青年部の活動があるそうだ。市の職員である若い女性と男性が熱心に語ってくれた。 ◆ パミラ作業所センター。 ここには22歳から58歳まで26人の利用者がいる。ほとんどが歩行障害をもつ知的障害者である。8人のスタッフは市の職員である。学生の実習センターでもあり、学生は給与を貰える。現在福祉学を学んでいる学生が来ている。実習期間は4か月である。 女性の施設長に代って若いスタッフが、今取り組んでいる事を語った。それが凄かった。市立美術館にワークショップセンターがあり、子どもから大人までを対象にしている。障害者向けワークショップもあり、ここのメンバーも一日5人のグループで工芸プロジェクトに入り、美術館のリーダーが指導している。4年前から手作業の好きな人が参加しているが、毎回特別展のテーマに沿ったものが製作される。今回はイコン$ケ画である。今、自分のイコンを作るという作業をしている。昨年は日本のアニメ展であった。活動の中で4年前には形のあるものを描けなかったダウン症の人が、自力で自画像を描き上げた。等、何も生産出来ないと言われる人たちのアート活動を頼もしく語った。 次はヨハンナさんが演劇プロジェクトについて語った。 彼女はここに10年勤めている。昨年ここは開設30年を迎えた。演劇プロジェクトは何をすればよいか。ラッキーな事に昨年の実習生は保護士の資格が目的だったが、彼は役者にも興味を持っていた。彼女と学生は卒論として、30年を記念する芝居の台本を書くことにした。グリム童話を下敷きにしたもので26人とスタッフ8人全員が参加する芝居である。すごく大がかりで大変だったがよい経験になった。発表の舞台は市の劇場を無償で使った。芝居の中にダンスもある演出で、国営テレビが映像を撮って今も楽しめるようにしてくれた。写真家がカレンダーにしてくれた。切符を売って上演したり、人を招待もしている。その一部の映像、洞窟のディスコーンの場面をテレビで見せてくれた。 その後、我々の質問に対して彼女は答えてくれた。「とにかく大変だったがやれば出来る事が分った。成果は自分に対して自信を持てたことだ。メンバーは家と作業所を往復するだけでなく、人前で表現する事に積極的になった。保護を受けるという受身から、指導者との線引きが細くなり、同じ事に一緒に取り組んだ事が、同じ所に立った意識を強くした。勿論、ワークショップの活動はすべて市費でサポ−トされる」 この彼女の言葉は育ちあう人間の発達を語っている。滋賀県大津市のあざみ寮・もみじ寮の障害者が5年に一度、加藤剛さん等本物の役者と演劇をする活動に似ていると思った。今迄の北欧で聞かなかった貴重な話だった。 ◆ 私の人生の旅でもある4回の旅から得たものをまとめて見よう。 (1)ノーマライゼーションと発達保障 第3回目の旅で私たちはデンマークの民主主義とノーマライゼーションの到達について多くを学び実感した。デンマーク教育大学のイェスパー氏は語った。 ノーマライゼーションの理念は知的障害の人たちの生活環境を変えよう、と言う事である。1990年半ば普通の生活環境が整備されて来た。同じ法律、同じ権利、それが第一の達成である。第二のノーマライゼーションの到達は生活の質の平等である。物理的インテグレート、精神的インテグレートは出来たのか、1998年、新しい社会サービス法が出来ている。言語のない人の意思表示をどう引き出せるかを追求中だ、と。 教授の悩みは人間発達に触れている。北欧では「可能性」と言う言葉を聞くが「発達」という言葉はあまり聞かなかった。我が国にはノーマライゼーションを唄えたミケルセンは居ないが、「この子らを世の光に」と唄えた糸賀氏と近江学園で提起された「発達保障」の理念がある。ノーマライゼーションも発達保障もどちらも社会変革の思想である。全障研は発達保障を目指している。私は山崎厚子さんの第三回目の報告「講義から学び考えた」という文の中の疑問と問題提起に共感する。余暇センターが何故障害者だけの場なのかという疑問だった。もう一歩のノーマライゼーション、それがイエスパー教授の語った課題なのか。私たちは北欧の人々の国民性に学びながら、自らの国の独立を達成し、平和を守っていきたい。人間発達の道を歩んで行きたい。 (2)学校と教育実践 2007年4月から学校教育法の一部改正によって、特別支援教育が実施され、これまで盲学校、ろう学校、養護学校と個々の障害に応じて設置されていた学校を、特別支援学校として一本化する。一本化する理由は何処にあるのか、教育の対象児を「教育上特別の支援をする子」と拡げながら教育予算も人的整備もない。一体教育改革とは何なのか。 今回デンマークの養護学校を訪問したが、そこには知的障害児を主としながらも、学習障害のある脳性マヒ児、重複障害児、視覚・聴覚障害児の三コースがあり、学童保育、寄宿舎、ショートステイ施設もある。 全体がインクルーシブな雰囲気にありながら、相対的に独自であり、専門性が重視され、教育、福祉ともに予算は充実している。運営は管理的でなく自主的民主的である。 盲、ろう、養護を一本化する我が国の政策から、このような養護学校が生れる筈がない。これまで見た北欧での普通教育への障害児のインテグレーションは凡て「場の統合」であり、障害児教育の専門性と予算は重視されていた。初めて実施するフィンランドのオーロラ小学校のインクルージョン教育は教育条件は保障され、非常に慎重に試行されていた。 我が国の「障害者自立支援法」は「障害者の自立つぶし法」であり、管理と競争を強め、教師の自主性を奪う、「教育再生」は「教育死滅」である。フィンランドは我が国の教育基本法から何を学んだのか。我々はそれを知らねばならない。改悪教育基本法の具体化を許さない教育実践を拡げねばならない。 (3)深井さん語録に学ぶ 薗部さんのメールマガジンの最終回で伝えられた、深井さんの言葉が強く胸を打ちます。 「北欧の人々の考え方を学ばずに、福祉制度だけを取り入れても駄目だ」「北欧諸国は福祉国家であるより、先ず民主主義国家であり、社会主義国家だ」この言葉に私は頭を打たれ、呆然とした。私は自分に対面せねばならない。変身せねばならない。 そして、「発達の3つの系」という提起を再確認した。 同行した麦の郷の加藤さんは「帰ったらあの3冊の『発達保障への道』をみんなで読み切ろう」と言った。 嬉しい土産である。 上杉文代(うえすぎ ふみよ) 1924年和歌山生まれ。全国障害者問題研究会和歌山支部顧問(前支部長)。元ろう学校教員。民主主義文学会会員。 ▲ヘルシンキの海辺 |