北欧の国から 5


93/10/01 01:33:45 NGI00001 北欧の国から(5)個と連帯

個と連帯の思想(上)

NHKがわたしたちの出発の直前に放映した「デンマークの孤独な老人たち」は
むこうでも話題になった。

スウェーデンの通訳の友子ハンソンさんはすでにビデオでみていて
デンマークでの通訳の田口繁夫さんは見てはいなかったが、興味をもったようだ。
わたしの印象では、デンマーク放送のビデオは淡々と事実をおっているのだけれど
どうも、日本語訳がちょっと感情面で「冷たさ」を連想させるようなニュアンスを感じた。

NHKいわく、
「北欧は福祉がすすんでいても、けっきょくは老人は孤独だ
だから日本はもっと家族とともにお互いささえあった福祉を考えなければ」
というようなイメージをもったのはわたしだけだろうか。

さて、北欧の話である。
行政がやるべき法でさだめたことは、その人の住環境、生活環境を確保することである。
高齢者の増大、福祉ニーズの多様化はある。
本人のそれぞれのニーズにあわせたサービスが行政がやるべき福祉だ。
67歳以上には老齢年金が支給される。
安心して老いられるにたる年金額だ。

しかし、それぞれのニーズはそれぞれが主張しない限りは実現されない。
その主張は、選挙であり、労働運動であり、市民運動であり、個人の意見表明で反映させる。
声を出さない人にはある面ではドライだ。
声をだしずらい人ということでは知的ハンディをもった人たちは法で守られている。
民主主義がある。ガラス張りで、税のゆくや、政治は、手に取るようにわかり、
自分たちの生活の問題として政治がある
(国政選挙の投票率は90%を越える)

どこかの国の県知事や市長のように賄賂がまかりとおることはない。
まちがってあったとすれば、総スカンをくらうだろう。
それは第一党の社会民主党でも保守党でもおなじようだ。
だから月づき50%以上の税金も進んで納税するし、
それに見合う安心して老いられる生活環境や、
文化やレジャーを共有できる社会環境が行政によってととのえられる。

さて、この国々では18歳で成人だ。
選挙権もある。
大学進学率は15%程度と聞いたが、学費は国が負担する。
18歳になれば自立して生活できる、経済基盤と社会的環境がととのう。
これは障害をもっていても当然と考えられていて、
さきのステファンさんの家の娘さんも家をでてグループホームで暮らすといっていた。
そのようにして、子どもたちは育てられ、そして子どもは巣立っていく。

とすれば親はまた二人となり、そして老いる。
「孤独」というのは内面の感情だから、外からみてもわからないところもある。
一人で暮らしているからといって「孤独」ともいえず、
大家族で暮らしていても「孤独」な場合も少なくない。

北欧では一人暮しの老人は多い。
それは一人暮しもできる生活基盤があるということでもあり、
「孫の子守り」をすることが老人の生きがいだけではない、生活がそこにあるのである。

北欧の国々は、自己決定を、選択できる自由をもっとも大事にする。
自分の生きることを選らべる自由、選べれるための社会的環境をととのえるのが
行政の役割だという国民的なコンセンサスを感じた。

政治がやるべきことと、個人として、家族としてやるべきこととは
区別して考えないといけないのだろう。

それにしても「個人主義」の徹底した国である。


93/10/02 16:07:19 NGI00001 北欧の国から(6) 個と連帯(中)

1400年代、スウェーデン南部の教会でかかげられた絵画に、
キリストが歩行補助具をつかってマリアにみまもられながら歩いている
そんなものがあると、
ヨーテボリのブリュッケ・エステゴートのアルトクリストさんが教えてくれた。
彼はスウェーデン南部の職員教育の担当責任者だ。

デンマークもスウェーデンも宗教はプロテスタント。
キリスト教にコメントをするわけではないが、
神の前にはだれもが平等であるととく宗教のもとに、
障害を持つものもキリストと描かれる伝統的な思想がこの国々にはあるようだ。

娘が「団長」というとなにやらサーカスの団長のような感じだが、
わが旅行団の団長の加藤直樹先生は、
厳しい自然、それはとてつもないきびしい北欧の自然のなかで、
仲間といっしょにならねば生きていけない、
そんな条件からそういう思想がうまれているのではないか、
とアクアビット(ジャガイモの焼酎)を飲みながら言っていた。

おもいだしたのだが、
大学の教員をもう引退して金沢の街の歴史散策の本などを書いている平沢一さんの研究によると、
奥能登にも蛭子伝説があり、
貧しい漁村のなかで、鯨をとって生計していた村人のなかに
身体が不自由で漁にはでられない子どもができても
その子の家にも平等の獲物が配分されていた。
そんなものが村の神社に絵馬として奉納されているという。

北欧といえばバイキング。
はじめは、まじめな物物交換の貿易だったそうだが、
そのうち、もらうほうがてっとり早くなってバイキング化したそうだ。
ポイントは厳しい自然、そして海とのくらし、そのあたりにもあるのかもしれない。

アルトクリストさんが教えてくれたもう一つのちょっといい話。
「子どもたちには友情が一番の補助器具です」

93/10/02 23:47:51 NGI00001 北欧の国から(7) 個と連帯(下)
ふたたびストックホルム大学の訓覇さんの話。
 スウェーデンは地方分権が確立されている。
 1703年には救貧税がつくられたが、
 それによる公共の福祉は地方自治体によっている。
 しかし、それは日本のように形だけの地方自治とは違い、
 財政的な保障がある。

たとえばヨーテボリ市のエネルギー対策。
ガスはノルウエーから天然ガスを輸入している。
そのガスの余熱とゴミ処理の際の余熱、さらにsheelなど石油精錬の際の余熱で、
ほぼ市民生活の地域エネルギーを確保し、
VOLVO(ボルボ)などの大企業のエネルギーのみ原発にたよっているのだそうだ。
(ちなみに原発については、デンマークは絶対反対で、
 海峡を挟んでコペンハーゲンの対岸にできた原発の撤廃をもとめて
 熱い運動をしているそうだ)
いいたいのは、そうしたエネルギー対策もその自治体の権限によっているということだ。

訓覇さん
 つぎに生活の権利は1982年の社会サービス法によって、コミューン(自治体)に
 最大の責任があり、不服申立てもできる。
 福祉は市民の権利であり、障害をもつものもまた同等の権利を有する市民である。
 「福祉国家」と北欧がいわれるが、それは障害者を含むすべての市民のために
 福祉を国がやるということだ。一人はみんなのためにみんなは一人のために
 所得の分配を行なう=それは連帯の思想だ。
 障害者の住みやすい街は、みんなが住みやすい街なのだ。
  しかし、そうした国民的なコンセンサスには、障害者運動が大きな役割をはたした。

 患者会的なとりくみで100年前にスタートした障害者運動は、
 ベトナム戦争反対のとりくみのなかで、質的に発展し、
 ラジカルな権利保障運動になった。
 公共の社会的環境整備を求めていった。
 統一した障害者運動で、障害者の声を聞ける政治家も多数つくった。

さて、ヨーテボリのダルスハイマーフス障害者会館の好青年ホーカンについてはすでに紹介した。
こんどは彼の「師匠」にあたるバッティル・カールソンの話。
氏はサンダバードにでてきた博士のような感じの障害者運動の闘士である。
バッティル曰く
 ・公共の建物は必ず障害者も利用できる。
  これは1974年の建築基準法でさだめた条例で規定されている。
  ・人間が住む建物の3階以上にはエレベーターをつける 
   (古い家はどうしょうもないが、、(^^;))
 ・家の「奴隷」で家からでられなくなってもこまる。
  現在、障害をもっていても旅ができるように運動をすすめているところだ。
 ・ヨーテボリ市の福祉タクシー制度は、
  一か月のバスの定期代金で自由に何回でも使えるようにした。
  (これはスウェーデン280市ですべて条件は違う)

ホーカンは昼食のときに、
来春、障害者は個人的な介護人を雇用する権利があるというような法律をスタートさせるが、
障都連(障害者と家族の生活と権利を守る都民連絡会)事務局長の市橋さん(いっちゃん)に、
東京ではどんな運動をしているのかぜひ聞きたいので、
英文でいいから手紙をほしいと話していた。


イメージ
小学校は森の中にあるようだった(ヘルシンオア)


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