93/10/06 00:14:13 NGI00001 北欧の国から(10) ブリッダのくらし
ブリッダのくらしブリッダについては第2回で紹介した。
56歳にはとてもみえない知的な女性で、
製薬会社で働いていたが79年になんとなくおかしさを感じ、
82年に筋ジストロフィー症を発病、
85年に自力ではほとんど動けなくなり現在、1日に5、6回のヘルパーによって、
ヨーテボリ市の高級住宅街の一角にある、一般的なアパートで一人で暮している。
ヘルパーは1週間の間に10人くらいがやってくる。
以前は35人も出入りしたこともあったが、(さすがにたまらなかった)
いまは10人で一つの仕事をしている作業チームのような感じだ。
彼女の一日を紹介してもらった。
午前8時半〜9時半 ヘルパー来る ベッドで体操
自分でできるだけ服を着る 週1はOTの指導を受ける
年3週間は療養所ですごす 朝食は一人でとる
10時〜12時 仕事 週12時間勤務 コンピュター
12時〜1時 ヘルパー来る 昼食 トイレ ベッドで休息約1時間
2時 ヘルパー来る コーヒータイム 夕食の下準備をヘルパーする
3時〜5時 仕事
6時 ヘルパー来る 体操 夕食の支度と夕食 TV、友だちとの交友
10時 ヘルパー来る 就寝
フルタイムで働いていたときの給与の3分の1が会社から支給されている。
仕事は約600件のアンケート処理。ひとつの仕事は約2週間で終わる。
1日で何時間やらねばならないということはないので、TELもないので集中し、効率がいい。
残りの3分の2は「早期年金」が支給されている。
合計で月17,000Kr(日本円で約24万円)
これはヨーテボリの障害者のなかでは上位のほうの収入で、
以前働いていた当時の給与が支給基準となっているからだという。
これに障害者手当として(手取り、税なし)
1)2000Kr/月 2)1500kr/月 約2.1万 3)1000kr/月がつき、
ブリッダは2ランクが適用されているそうだ。
彼女はいう。こういう生活をすれば、医療等でよけいな予算がかかることがない。
ヘルパーをつかって在宅で生きる方がはるかに経費は安いし、
わたしにとって充実した生活が送れる。可能なかぎりこの家にいたい。
不安といえば、正直なところ考えないことにしている。
病状がすすんでこの生活が維持できないことだ。
希望は、健康になること。
でもそれが望めないものだから、今以上の生活はない。満足している。
友だちがいつも来てくれる。寝たきりになってもこの家にいたい。
しかし、どんな障害があっても、なにかできる。
社会になにかできることをさがすことが一番大切なことだとおもう。
なにかができるはず。
できる能力を発揮させることが大事です。
彼女のそばにいると、あたたかくて、気高くて、涙がでた。
ブリッダは最近、友子ハンソン訳で『私にもできるー
障害があっても自立した生活』萌文社1997を
出版している。