池袋の本屋で平積になっていた
岡田なおこ『なおこになる日』 小学館
がノーマライゼーションを
その序で、じつにわかりやすく表現していた。
「ノーマライゼーション」とは
「障害者を差別しないこと」と思われがちですが、
「障害者が乗る台をつくること」ではないかと私は思います。
(中略)
そして、最近、世間を見回すと昔の私のように
形ばかりのノーマライゼーションを
訴える人がたいへん多い気がします。
障害の有無にかかわらず、どんな人間にも「差」はあるのです。
差があることを劣性と思わず、自らのマイナス面を認識したうえで、
「この差を補うには、どんな踏み台が必要かな?」と考える。
これがノーマライゼーションの第一歩ではないでしょうか。
岡田さんは1961年生まれ。
脳性マヒによる四肢体幹障害がある。
1991年に野間児童文芸新人賞を受賞したすてきな若手?小説家だ。
日本にも、感性的にずばり本質をつく発言のできる世代が
着実に力を付けている。
さて、そのノーマライゼーション発祥の地である北欧はどうか。
あえていえば「したたかに生きる」、
そんな障害者たちのたくましさをこの旅の先々で目にしたものだ。
5年前に北欧を旅したときは目にするものすべてがすばらしく、
日本との「差」の部分に愕然としたのだけれど、
今度の旅では、たしかに抜群の制度をつくった歴史の重さはあるのだけれど、
その制度のうえに、
「空気のように」じつに自然に生きている姿が印象的だった。
ドイツの北の果て、バルト海にフィヨルドがそそぐ25万人の港町・キール。
郊外の工場団地のなかにあった有限会社「Drachensee」。
日本風にいえば「障害者の大規模な作業所・「海のドラゴン」」。
ここには480人分の仕事と
市内のアパート含め200人分の居住施設があるという。
運営費は州から支給され、
会社が稼いだ利益は社員たる障害者に還元される。
キールの障害者雇用の有限会社にて
その解説をリーダーのいかにもドイツ風のきまじめそうなエルヒホルツさんが
わたしたちにしてくれる脇に、二人の障害者代表がにこにこしながら聞いている。
軽い知的障害のある青年だ。
(青年といっても二人とも赤ら顔の大男で、結婚しているといっていた)
この当事者代表がその施設の解説の場に立ち会うパターンは
この5年間に徹底され、デンマークの老人ホームでもそうであり
人権擁護の考え方の徹底ぶりを感じさせられた。
その彼らの月収の内訳。
この会社で賃金として240DM(マルク):約 2万円
市から福祉金が 2200DM :約18万円
あわせて月20万円と答えてくれた。
日本からのお土産の「匂い袋」をあげると、
奥さんにあげようと大きな笑顔をくれた。
日本の福祉制度は、まず「申請方式」だ。
知らなければなんの制度も下りてこないし、
その制度を受けるためには、
なんども何度もお役所に直接足を運ばなくてはならない。
新聞は「生活保護」受給は1945年以来の大幅減を実現したと報じる。
しかし、彼らの主張はこうだ。
デンマークのオーフスで聞いた、けい損のペーター(42歳)の話
必要なものは必要である
自分が生きていくためには
フルタイムで働けるヘルパーを雇用するための年金 が必要だし、
医療費も必要だ。
福祉も、医療も、
生きていくためには必要だ。
それは、だれもが必要であることとおなじで、
障害があればなおさらのことなのだ。
このあたりまえのことを、
社会のシステムとして「あたりまえ」にしているバルト海の国々。
外の気温は15度
紅葉はまだはじまったばかり。
ナナカマドに似た朱い色の実が目につく。
この地域の実で、毒をもっているために小鳥はついばまないが
一度ボイルすると素敵なソースのもとになるという。
この国では実までもしたたかだ。
夜は8時になるのにまだ薄明るい。
(つづく)