バルト海の休日<4>
   第2話その3  「働く」ことを考える


前回につづき、今度は美しき女性からのEメール。
彼女はコンピュータを活かしての障害者の就労の開拓者の一人だ。
「働く」ということの北欧と日本の比較の話である。

 >>この考え方の違いは「働く」ということにも表れているようです。
 >>現在ノルウェーの職リハの方が日本にいらしていて一緒に動いているのですが、
 >>重度障害の方々の柔軟な働き方という面ではある意味日本のほうが行政も企業も
 >>アクションが早い部分があるようです。
 >>特に「在宅で働く」というような制度つくり、しくみつくり、企業の参画という
 >>点では、ノルウェーでは生活保障がしっかりしている分、そこまでの発想は当事
 >>者にも企業側にもまだまだ根づいていないとおっしゃっていました。

わたしは、プリントが仕上がった旅の写真をながめながら、
 <でも、デンマークでもドイツでも出会った障害者たちはじつに明るかった。
   レンズの向こうの彼や彼女らはじつに解放的で、
   希望にみちていて、のびやかだ。
   日本との違いはなんなんだろうか>
と考えていた。

「パソコンをマスターしてそれを活かして働きたい」
そんな声は年々高まっている
わたしもそれをさまざまな形で支援している一人だ。

でも、「がんばってほしい」と願う気持ちと同じくらい
「がんばらなくて、ぼちぼちやるんだぜ」
「二次障害には十分注意しなよ」
と祈っている自分がいる。

そして、この、とりわけ20年近く、
日本では「働く」ことが「目的」となり、
24時間働いていないと不安でたまらないような
「人間を幸福にしない」息苦しい空気が蔓延している。
「カローシ」は国際語となってしまった。

この「働く」という捉え方が、北欧ではたしかに違うのではないか、とおもう。

デンマークでは土曜日、日曜日は働かない。
店は閉まるし、牛が相手だから24時間働いている農民だって
グループをつくってローテーションで連休をつくっている。
金曜日は3時で仕事はおしまい。
それでもみんな生活に困ることはないのだ。

金曜日の午後は若い男女も子ども連れファミリーも
じいちゃんやばあちゃんも、
どこにこんなに人がいたんだろうという感じで
オーフスの街は人であふれていた。

「グループホーム」といっても市営住宅にグループで暮らしていた
はにかみやのアネッタは、オーフスの北の町の給食センターで働き、
3時になると一人でバスでホームに帰り、
毎週火曜日の夕方は、郊外の学校を会場にしたイブニングスクールに出席、
シルク絵の刺繍を習っていると嬉しそうに話していた。

26歳の男性のケネスは、オーフスの南の町の作業所で働き
イブニングスクールでは「乗馬」をしていると
葉巻をふかしながら胸をはった。

彼女や彼だけでなく、デンマークの人たちの働くことは
経済的自立の意味だけにとどまらず、
自分(たち)の生活を豊かにするため、
自分(たち)が大切にしていることをより大事にするため
というハッキリした「目的」にうらづけらているようにおもった。

「働く中でたくましく」と、この20年、
小規模の共同作業所(ワークショップ)などを中心に
(職業リハビリテーションの歴史は戦後の障害者運動の歴史でもあるが)
とりわけ重い障害をもった人もグループのなかで働き、
働く中でより発達していったという分厚い実践の歴史を日本はもっている。
一人一人にとってみれば、涙と感動のドラマの連続だった。

にもかかわらず、日本の現状は、
まず「労働の機会」ということで極めて貧しく。
(東京の養護学校、専修学校卒業者の23%しか一般就労できていない)
さらに、決定的だとおもうのは、
まったくゆるがない「所得保障」がどうされているかに、つきるとおもう。

デンマークもドイツもそれぞれ物価は違うとしても、
日本円で約20万円(もちろん手取り分だ)
これにハンディがあればあるだけの手当が加算され
住宅費はほとんど支給される。

オーフス方式で暮らしているペーターはたしかに、こういっていた。
「わたしの仕事は、コンサルタント(障害者の)だ。
 さらに「デザイナー」だ。
 (しかし)収入は障害者年金(フルタイム労働者の平均賃金)とその他の援助金だ」

いわずもがな、この場合の「仕事」は
「ハタ」を楽するための「ハタラク」であるが、
現実的な生活費は社会が保障する。

「生活」の安定の上に、自らの存在意義を確認でき、
内面的豊かさをもたらす「仕事」にとりくむ。
けっしてムリはしない。する必要もない。


また、一方でこういう場面もデンマークではあるそうだ。
日本ではどうだろうか。
(木下『デンマーク四季暦』より)

  Sさんの場合、車椅子で大学を卒業後、
  市に設けられた保護職についたけれど、
  はじめのうちは出勤するだけで仕事らしい仕事を任せられなかった。
  2年半してようやく一人前と認められ、
  コンピュータ関係の仕事につくことができた。
  そうなるまで、自分の「できる」証を見せ、
  意欲を人一倍見せることが必要だった。
  
  しかし10年たって、彼の存在は車椅子にすわっている人から、
  同僚(ただし、少し特別配慮の必要な)に変わった。
  いまSさんはデンマーク第二の都市オーフス市の上級公務員
  (コンピュータエンジニア及びアドバイザー)として
  フルタイムで働いている。

イメージ
自分で描いた馬の絵と石のモザイクで部屋を飾る
オーフスのグループホームで


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