夜明けを待ちながら(1) ストックホルムの憂いと希望 「アナタハ ジャパニーズ デスカ?」 と突然声をかけられた。 ホテルに面したスウェーデン王立図書館の北側を東西にマロニエの街路樹の通りが走っている。東にそのまま行けばテレビ局に、右斜めに行くと森の公園の島・ユーロゴーダンに。その分岐する噴水のあるロータリーのベンチでのことだ。 視察ツアーは5日目、日曜日で、昼からはデンマークへの移動なので、午前中は完全なフリータイム。わたしは一人で、色づいたストックホルムの美しい町並みをそぞろ歩きしていた。 声をかけてくれたカツマタさんは、ストックホルム在住30年の銀行員だという。 「いったい、日本はどうなっているのか?」 と日本語で真剣に問い始めた。 いままで made in JAPAN だったものは、 いまはほとんどmade inチャイナかインドネシアだ。 「もの」は日本ではもうつくらないのか? 衣料品はもとより、船や家電、鉄鋼、半導体や自動車までも、 みんな日本でつくらなくなる。 本当に、それでいいのか? でも、日本からスウェーデンに来た観光客は、旧市街や観光名所を見て、 「スウェーデンはいいけど、日本には四季があり、治安がいい」という。 スウェーデンに来て何を見て、考えてるんですか? 新しい日本の首相は人気が高いと聞きます。 でも、朝鮮人をだまして日本軍の慰安婦にしたことも謝罪していない。 そんな態度ではヨーロッパでは通用しませんよ。 日本人は、ほんとのところ、いったい何を考えているのか? あなたの考えを聞かせてください! 息もつかぬ勢いでカツマタさんはしゃべるのだ。正直、はじめは、この人はいったいどういう人なんだろうと身構えもしたのだが、あまりにも真剣な問いかけに、どんどん引き込まれていった。 外は曇天。気温は12度。頬はパリパリで、身体は冷えてくるのだけれど、熱い語りに時間の経つのを忘れたのである。 カツマタさんの国籍は日本人だという。 スウェーデン国籍がないと、たしかに議員に立候補することや 警察や軍には入いることはできない。 が、国、県、市の選挙権はある。65歳からは国籍にかかわらず 福祉も完全に受けられる。 住まいはこの近くだが、市議会がアパートの家賃を決めて、 市営だろうが民営だろうが、住宅は低額だ。 住宅はけっして贅沢とはいえないけれど、極端な貧富の差はなく、 6人に1人くらいはボートやヨットを所有し、 夏の別荘を持つのも普通だ。 たしかに、消費税は25%。収入の半分は税金だ。 しかし、医療費、教育費は無料だ。 65歳になって、どうしても収入を得ないと生活できないという人はいない。 大学を出れば、賃金の差はないけれど、 専門をいかした職につくことができる。 大きいとおもうのは、国の法律で5週間のバカンスが 保障されていることだ。 わたしは、それでいままで、13回世界旅行をしてきた。 航空チケットもフロリダに行っても4万円程度だ。 車のボルボだって200万円(日本では倍以上)。 企業だってずるがしこくもうけたりしないし、 みんながちゃんと監視している。 また、価値のあるものは適度な価格があるということも みんな当然だとおもっている。 休暇をみんなが本当に活用している。 日本人は朝から晩まで働いて、 年間20日間の有給休暇さえ使うこともできないと聞く。 私の親戚は、2週間の休みさえとれず、 ここに来れるのは定年後だという。 スウェーデンはいま社会民主党と共産党の左翼連合政権で 保守党などは20数%だが、ストックホルム市のように右派連合が 選挙で多数を占めても、福祉や教育や医療が変わるかというと そうはならない。 どのような政権になってもそこは変わらないという合意がある。 しかし、日本人は、そういうスウェーデンの社会の有り様や 政治の有り様についてにはあまり関心がないようだ。 たくさんの視察者や観光客が来る。 でも、「それでもスウェーデンは税金が高いよね」などといって、 日本は悪くないようにいう。 本当に日本人はそう思っているのか? カツマタさんの問いかけは止まらない。 わたしは相づちをうちながら、話の端々に 日本人は、社会のなかの自分、その社会を形成するがための政治参加の大切さ、そしてなによりも個々の幸せの価値観、何を頑固なまでに大切にするのか、といった思想が弱いとおもう。 スウェーデンと比べると30年とかの単位ではなく、ものを作ることやそこから生まれる文化などなど、100年以上の長い時間の単位で考えないとその違いは理解できないかもしれない。 そういったところに、戦後アメリカの巨大資本と癒着した日本の巨大マネーがすさまじい勢いで社会をごちゃごちゃにした。そのごちゃごちゃ経済に政治は引きずられ、一人一人のおちついた幸福の価値観が形成される前に、今国自体がゆらいでしまっているのではないか。などと話した。 「スウェーデンの福祉を100とすれば、日本はどれくらいか?」 の問いには、 国が福祉として投入する額の総体は以外と悪いわけではないようにおもう。 しかし、仮にそれを50だとしても、 問題は特殊な法人への丸投げなどによって、 一人一人の障害者には、10も行き届いていないのではないか。 いや、そもそも数字やお金の額では換算できないものがある。 一人一人の生活の豊かさ、ライフ(生活と人生)を充実するという考え方。その価値観の違いに単純に生活レベルを比較できない大きな溝があるようにおもう などと語った。 いつのまにか、スウェーデン人の奥さんもベンチにやってこられていて、にこやかに二人の激論(ほとんど一方的なカツマタさんのしゃべりなのだが)を聞いている。 おそらく3割くらいの人が真剣に考えると日本は変わるかもしれない。 あなたも福祉のことで、本当のことを日本に広めてほしい。 あなたがまたストックホルムに来られたり、 友人が来られるときにはぜひ連絡ください。 わたしの知っている学校や病院や知人のところで、 本当のスウェーデンの話が聞いてもらえるかもしれなかいから。 自分も日本人としてスウェーデンと日本を比べながら学びたいから。 Katumataさんご夫妻 |