夜明けを待ちながら(3) 美しい森に迷う スウェーデンの人は男も女も、子どもも年寄りも、ただただ歩くことが好きである。街の公園、街路樹の小径、いたるところに、一人静に、あるいは2人でと、長い足のストライプで、さっさかと歩いている。例外は、乳母車を押す若い男女(たいがいは男性が乳母車を押していた)のゆったりとした動きか。(デンマークに入ると、歩く人より圧倒的に自転車という感じで、乳母車さえ自転車につけて自転車道を猛烈な勢いで走る一家を見かけた(^^;)) 旅は木、金とそれぞれ3か所の視察を終えて、休日・土曜日の午前。そのむかしは、王様の狩猟場で、いまは当時の自然をそのまま残した森のような公園・ユーロゴーダン(さしずめ明治神宮の森のようでもあるがスケールが違う。こちらは巨大だ)。その奥、日曜菜園ならぬ、市民家庭菜園がある(つまりは明治神宮に市民菜園があるのだ(^^;))と本で読んで(『北欧ナチュラルライフに出会う旅』 東京書籍)深まりゆく秋の森を散策しようと、若い青年が運転手のベンツのタクシーで、そのローゼンダルス・ガーデンをめざした。(ベンツといってもタクシーはほとんどベンツであって、日本ならさしずめタクシーの定番・トヨタのクラウンて感じだ)。 * ストックホルム随一の高級住宅地を抜け、橋を渡ると、左に北方民族博物館、右にヴァーサ号博物館があり、少し入ると動物園やスウェーデンのチボリ遊園地がある。3年前はこのあたりまでは歩いたことがあるので土地勘はある。 タクシーは森の中の公園をどんどん奥に入るが、ちょうど木々は黄色く、あるいは朱色に色づき、朝日を反射しながら、それはそれは気持ちのいい空間が広がっている。 が、しかし、その若い青年タクシーは、いま右か左かのすすむべき道路の選択に躊躇しているようだ。 青年は左にハンドルを切りそうになったが、地図をのぞいていたわたしは、「右やで右」、と地図を指さした。あとでおもえば、小さな間違いが大きな間違いにつながることを思い知ることになる。 写真 森は色づき鮮やかではあった 道は、さらに細く、いつのまにか、舗装もとぎれ、落ち葉の舞い散る道になる。そして、ここからは車は入れないよの標識。でもタクシーの外は美しい森だ。吹いてくる風は、微かに海の匂いがする(その匂いでそこはめざすところの反対側の海の側なのだと、気づけばよかったのだが) そして、その美しい森の中で、方向を3度見失い、そのたびに、ジョギングしているお姉さんやおじさんに道案内のお世話になりながらも、迷いに迷ったのだ(;_;) 同行者の白沢仁・障全協事務局長は、「すごい休日をすごさせてもらったが、ほんとによかったよぉ」と道案内役に挫折したわたしを慰めていた(^^;) しかし、森は美しかった。 土曜日の朝、若いカップルも、年輩のおじさんも、かしこそうな犬をつれたおしゃれなお姉 さんも、白い息をはきながら、ザッザッザッと早歩きだ。 * めざしたローゼンダルクガーデンはお目当てのハーブティを飲ませてくれるテラスは朝の11時前だったのでまだ開店しておらず、それぞれの収穫物、りんごやかぼちゃなどが並べてあるテラスを見ながら、人はこうして森の中にいると、自然といっしょに呼吸するよるような気がしてきて、静かな落ち着いた、ここちよい気持ちになることをあらためて体感したものだ。 写真上 ガーデンに展示されていたカボチャ 写真下 この島を4時間以上さまよい歩いた |