夜明けを待ちながら(4) デンマークのIT活用事情 アンデルセンの生まれた島の端にあるミゼルファートは、人口2万の静かな港町だ。あえてお願いして小さな町の小さな補助器具倉庫(センター)を訪ねた。 職員はPT(理学療法士)が一人、OT(作業療法士)が4人(一人はリーダーで子ども担当、残りは3地区に分けて対応)さらに修理技術者が一人、痴呆性老人の新築されたグループホームの隣の地下にある。杖や車いす、ベッド用品などは豊富だ。ちゃっかり歩行杖をプレゼントしてもらったメンバーもいた(^_^) でも、IT関連の機器は見あたらない。質問すると 「視聴覚関連のものはアムツ(県)のセンターが対応し、ITは、国のいくつかのセンターで対応している」とのことだった。 * 町の中心に近いアパートに住むミケルセンさんのお宅を訪ねる。アパートの入口には真っ赤なワゴン車が駐車してあった。 ミケルセンは筋ジストロフィー症の患者だ。15歳の時、「18歳までは生きられない」と医者に言われたそうだ。18歳になると「25歳までは生きられない」と言われた。最近は医者も「何歳までは生きられない」などと言うのはやめたようだ。 彼は気管切開して、人口呼吸器を常時つけている。わずかに動かせる指一つで、コントローラーを巧みに操り、巨大な車いすで移動したり、様々なスイッチを操作し、パソコンも使っている。 この電動車いすを作ったときは、地域の補助 器具センターと会社と県のセンターからも職員がやってきて特別製のものをつくったという。 かたわらに控える好青年は、ヘルパーだという。ヘルパーは、24時間体制でミケルセンを支援する。この青年の場合は週に5日間勤務で、給料は市が青年に支払う。大学で6年、福祉以外を学んでいたが、青年の弟がミケルセンの世話をしたことがあるとのことで、それがきっかけで現在彼のヘルパーをしているとのことだ。集中して仕事をし、集中して休めるという勤務パターンが気に入って、この仕事をしているという。 「ITには詳しいの?」と聞くと、横からミケルセンが、笑いながら「そのことは採用の条件ではないよ」と言ってきた。 「じゃあ、ITでこまったときにはだれに聞くの?」 「コムーン(市)の補助器具センターさ」 隣の部屋に移動すると富士通製のパソコンがあり、車いすのジョイスティクが机の下のセンサーと交信して、ジョイスティックひとつでパソコンを操作する。 しかし、細かな操作などなかなかたいへんなところはヘルパーを使って操作する。そのため、ジョイスティックと同様の機能のコントローラーが車いすの後ろにもあり、ヘルパーが使えるようになっていた。 左からミケルセン、わたし、ヘルパーの青年 前日訪問した小中学校の特別クラス(障害児学級)では、全生徒にあるパソコンから、わたしの個人ホームページにアクセスしてもらい、小学生の娘と妻の写真が好評だったので、ここでも国際友好のためと、アクセス(^_^)すると、あっというまに日本語表記で私の個人ホームページが画像に出来てたときには(たいていは日本語は表示されず文字化け状態なのだ)「おおお!」と感動してしまい、ミケルセンもおおいに喜んだものだ。 後日、ミケルセンを担当していた市の元福祉課長から聞いた話をメモすると。 ・18歳までは両親と住む。その家は車いす用に住宅改造していた。 ・19歳で一人暮らしをはじめアパートに引っ越す。 ・アパートは市営でなく住宅公団のもの。そのため、車いす利用ができるように、市が責任を負うので改造して欲しいと要請。 ・現在ヘルパー(パーソナルアシスタント)を自分で雇っていて、もちろんやめさせることもできる。 ・ヘルパーの雇用を決めるのはミケルセン。ヘルパーに給料を支払 うのは市。 ・一人暮らしへの支援は、施設入所より高いコストがかかる。 ・施設暮らしなら1年で約40万〜50万クローネ(約800万円) かかる。 ・一人暮らしの支援には年間120万クローネ(約1920万円)かかる。 ・しかし、ミケルセンは、ハンディはあるが生きることの希望がある。障害のために、一生苦しめられて生きることはない。その障 害を補うために、自治体は支援する。 「できるだけ障害のために苦しまないように、ささえる。その逆であってはならない」 その夜。空を見上げると、北斗七星の「柄杓」の「柄」の一番はじの星が、地平線のすぐそばにあるのが見えた。 |