情報バリアフリーの最前線
パソコンボランティア

写真
PSVC2000で長谷川さんと再会した


「水戸にいたころは、まわりにパソコン・オタクの専門家や学生がいましたので、わからないことはすぐに聞いたり、頼んだりできたのですが、
いまは独りであれこれ悩んだり、迷ったりしています。
そんなところに、いざとなれば、応援に駆け付けてくれるとのメッセージをいただき、本当に力強い援軍を得た思いで、感謝・感激です。」

K先生の練馬区にあるお宅を訪ねたのが、わたしの「パソコンボランティア」(パソコンに関する障害者へのサポート活動)のはじまりです。
先生の机の上にはパソコンと音声合成装置。
後の本棚には、「日本盲人社会史研究」などの著書や音読テープ、ビデオがびっしりと並んでいました。

わたしがしたことといえば、パソコンのメモリーの設定程度のお手伝いでしたが、
パソコンをいじったことがある人ならなんでもない些細なことでも、見えないということでの困難さを感じました。
プリンターへの紙の設定、プリンターが正しく印字しているかどうかの確認など、
日常なにげなくしていることが、見えないことでは大きな壁になるのです。

「ありがとう。たすかりました」の言葉に、
とても気持ちがよかった思い出が、奥様が出してくれた冷えたスイカの感触とともにあります。


福井の長谷川清冶さんからはじめて電話をいただいたとき、内容は聞き取れませんでした。
脳性マヒのため言葉が不自由な長谷川さん。5回ほど聞き返してもわかりません。
そのうち、受話器を握る手が汗ばみ、なんだか申し訳ないような気持ちになり、長谷川さんはさらにつらい気持ちだったでしょう。
直接会ってしまえば、身振りや顔の表情で理解できることも、電話ではもどかしさばかりがつのります。

そんな長谷川さんが、ワープロに通信モデムをつけて、ある日、電子メールを送ってきました。
「こんにちは まだアクセスの仕方がわからないのでこまっています」。
パソコンやネットワークが「距離」や「時間」、そして「障害」までもこえる可能性をもっていることをあらためて感じさせられました。

でも、近くにいれば操作など直接サポートできるのに、遠く離れているのはつらいものです。
ネットワークのなかまたちと連絡をとりあいましたが、だれもサポートできるものは近くにいません。

結局、「人が行くのでなくて物に来てもらおう」と機械ごと宅配便で東京に送ってもらい、ある企業のエンジニアが対応してくれました。
そのボランティアの伝言を持って、5月の連休、はじめて長谷川さんを訪ねたのです。
新しい友情が生まれました。


それぞれの地域でのBBSやインターネットでもこうした必要に応じたサポート活動がされています。
そこでは、人と人とが素敵に出会えて、人と人とのつながりがよりあたたかく、強まっているのです。

ところが、それぞれの地域やグループだけのとりくみだけでは、支援活動の空白地域がどうしてもうまれてしまいます。
でも、電子ネットワークで、より多くのパソコンの力持ちたちとつながっていれば、
「わたし一人ではサポートできないことも、だれかがやってくれる」
「だれかができないことでも、ひよっとするとわたしはできるかもしれない」。
そんな小さな力がネットワークされることで、新しい大きな力をつくりだしていってくれるのです。

わたしたちは、そうしたパソコンボランティア活動の情報(サポート希望の障害者からの要望の内容やサポーターの派遣情報などなど)
をインターネットのメーリングリストでむすぶことによって緩やかな連帯による障害者への支援活動を大きく広めたいと考え、
こうしたとりくみを、「パソボラ(パソコンボランティア)」とよんで、とりくみをすすめてきました。

メーリングリストの登録メンバーは約1000名、それぞれが可能なところで力を出し合い、楽しく交流しあっています。


 JDネットワークプロジェクトへ

イメージもどる