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 そこに困っている障害者がいる。
 自分一人では役に立てるか不安だけど、
 ネットには、あったかな力持ちたちがいてくれる。
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 パソコンボランティアって知ってますか
 パソボラのあゆみ
 関連書籍、論文
 衆議院参考人意見陳述
 パソコンボランティア・カンファレンス 1997年〜 
 障害者に関するIT(情報技術)施策への緊急提言
 ITと障害者問題資料
 「ITと障害者」「みんなのねがい」誌連載
 出会いの嬉しさ できる喜び(『パソコンボランティア』1997)

■魂をつなぐパソボラ・カンファレンス

 最新の岩波書店のハードカバーに、こんな下りがある。「オンラインだけでなく、実際にその人のそばにいって状況を見てくれる、学生や社会人、主婦の輪が必要だということが見えてきた。この活動は「パソコンボランティア」と名づけられた」「この動きは「パソコンボランティアネットワーク」として多くの地域活動をインターネットでつないで発展していく。熱心な関係者によってその記録が出版されたり、毎年、カンファレンスが主催されたりしている」(関根千佳『「誰でも社会」へ』)。関根さんは、情報のユニバーサルデザイン研究所(ユーディット)社長。日本初の障害者支援技術の展示・相談センターである日本IBM・スペシャルニーズセンターの熱血課長だった。いまでも「パソボラ」の主要メンバーの一人である。

 まさに名もないとりくみだった「パソコンボランティア」は、いまでは一般名詞として普及している。草の根のとりくみの造語が行政用語になるのも珍しいのではないだろうか。ITは障害者の可能性を広げる。でも使うのは困難。「助けて!」に応えることがどうしたらできるだろうか。そんな一人一人の思いや願いがインターネットを介してつながっているのである。

 1993年。JD理事会は、調一興代表(ゼンコロ会長)の決断で、「情報通信ネットワークプロジェクト」を発足させた。先駆的ではあるが小さな実験プロジェクトは、数年後「パソボラ・カンファレンス」としてパラリンピックの文化イベントに発展する。尻をたたいたのは当時の総務委員長・田中徹二(日本点字図書館理事長)さんだ。2000年秋の「IT基本法」、「IT戦略本部」の動きには、重度の脳性まひ者で俳人の花田春兆副代表の電動車いすを先頭に内閣府や総務省、厚生労働省などに出かけた。「ものだけではなく人的支援体制の制度化を」の提案は、今も訴えつづけている。花田さんとともに内閣府参与を務める清原慶子さん(前東京工科大学メディア学部長)も、初期からの頼もしいアドバイザーである。

 障害者の一人一人の願いを真ん中にして、さまざまな人たちの連帯の輪が強く太くなっている。そんな人たちが一堂に会する場、パソコンボランティアカンファレンス2003は、2月、埼玉で開催される。新しい出会いが楽しみだ。   (JDジャーナル2003年1月号 巻頭言)


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