■平和・人権・発達保障の歴史をつくる主人公に!
■記念講演(8.1 滋賀県立体育館)
■文化行事 8.1 「映像と語りでつづる滋賀の発達保障の歴史と現在」は深い共感と感動を呼びました ■入門講座 (会場 立命館大学びわこくさつキャンパス) 1)発達保障とはなにか/講師・荒川 智(茨城大学教育学部教授、全障研副委員長) 8月2日午前 2)介護する人の健康問題/講師・峠田和史(滋賀医科大学助教授) 8月2日午後 3)施設でのゆたかなくらし/講師・石原繁野(入所更正施設・あざみ寮元施設長) 8月2日午後 4)発達の扉をひらく/講師・白石正久(大阪電気通信大学教授、全障研副委員長) 8月3日午前 ■分科会・特別分科会 ■特別企画、閉会全体会など 特別企画は、「サングループ事件」の被害者を支える会代表の高谷清さん(フリーライター・第一びわこ学園前園長)が「障害者の人権を考える」のテーマで、障害者の「人格権の侵害」を明らかにし、県と国に対して「不作為の違法」を断じた「サングループ事件裁判」判決をもとに、裁判の意義を明らかにしました。 最終日の閉会全体会では、障害者運動で活躍し自身知的障害児の父であり、スモン病被害者の妻を持つ中西正弘さんが「滋賀の地で学んだことを、逆流を押しとどめる力に」の1時間の特別報告を行い、大きな感動をよびました。 また、障害児の放課後ケアの運動でも大きな動きが生まれています。大会中日の夜には、関東の3つの放課後グループの呼びかけで、全国的な連絡組織の準備会発足に関する話し合いの場が持たれました。 |
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■準備事務局のようす(直前) 東海道(現在の国道1号)は鈴鹿峠を越えて甲賀の里を抜け、草津宿から大津宿、そして逢坂山をこえて京に至る。中山道(県内では国道8号線)は関ヶ原方面から彦根へ抜け、草津宿は終わりであり始まりである。準備事務所はこの草津宿、旧東海道(いまは狭い一方通行の道)のそばにあります。 大会直前、準備スタッフは最後の「実務要項」づくり作成と並行して、足りないセクションのボランティア確保と、必要なセクションへの配置連絡に必死の形相。夕方からは仕事を終えたメンバーもどんどんやってくる。2DKのマンションの事務所にピーク時は20名をこえました。外は涼しい夏だけれど、部屋の中は熱気、熱気。携帯電話の着メロは一人として同じものがないから、いろんなメロディがやんややんや。 しかし、この準備メンバーにはいろいろな方がいらっしゃいます。その筆頭は準備委員長の渡邊武さん。福祉施設の理事長さんで滋賀の障全協会長だったり、平和委員会などなども。聴覚障害児、病弱児の教員生活後の第二ラウンドも熱い思いで老いも若きもリードしてます。「写真で見る全障研20年のあゆみ」のなかで、結成大会の基調報告提案者が30歳代の渡邊さんです。37年後の今、今度は会場確保やさまざまな折衝、事務所の「電話番」などなどマルチパワー全開です(^_^) 記念講演の田中昌人さんの「特別資料」ということで、滋賀入り前に、映画「夜明け前の子どもたち」の「完成台本」を印刷所に渡してきました。大会当日、お目見えします(^_-)。けっこう価値ある資料になったかなあと自画自賛してますが、映画でみるのとはまた違って、「シナリオで読む」というのも新しい発見があり、「夜明け前の子どもたち」はまさに「古典」だなあとしみじみ感じました。以下、そのチラシに引用させてもらった糸賀一雄さん(近江学園園長)の言葉です。 「児童の世紀」といわれた20世紀が3分の2をおえたところで、わたくしたちはあえてこの映画に「夜明け前の子どもたち」という題名をつけました。国連が人権宣言をして20年目のことし1968年は「国際人権年」です。しかし障害をうけている人たちの基本的人権は、十分守られているとはいえません。昨年の8月には半月間で4人の重症心身障害児が、親の手で生命をたたれました。施設への入所は50倍以上の競争率なのです。しかもその施設の整備や入手は不十分です。現場はその打開にむけ立ち上がりはじめました。この子どもたちの基本的人権を守る取り組みが、療育の場ではどのように追求されていこうとしているのかを知っていただき、こんごの方向を多くの方々に考えていただきたいという願いで、この映画を制作しました」 いま、あらためて、一人一人の人権を守ると言うことの意味を考えています。(S)
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