連載<もう一つの「発達のなかの煌(きら)めき」>第3回解説版

もう一つの「発達のなかの煌(きら)めき」第3回

  2022年6月

  白石 正久・白石 恵理子



第3回 乳児期後半の発達の階層‐段階

 「もう一つの『発達のなかの煌めき』」(以下では「もう一つ」)をお読みくださり、ありがとうございます。

 連載第2回(5月号)を読んでくださったベテラン保育士さんから、「重症児を担当することになった同僚の若い先生にさっそくすすめました」と伺いました。ゆっくりゆっくり時間をかけて発達していく子どもたちに接していると、ときに自分の仕事の意味を見出せなくなる焦りを感じてしまうことがありますが、「人がかかわることの値打ちが、こんなふうにあるんだよ」ということを伝えたいと思ったとのことです。連載が、人と人をつなぐきっかけになっているのかなと、とても嬉しくお聞きしました。

 さて、連載第3回(6月号)の「子育てを応援する地域づくり―『新しい発達の力』が親、地域、社会を変える」では、横軸に乳幼児健診や子育て支援、縦軸に乳児期後半期の発達をとりあげました。

 まずは、乳児期後半の発達についてみていきましょう。


乳児期後半の発達の階層
 第1回の「もう一つ」で解説したように、乳児期前半すなわち「回転可逆操作の階層」につづく乳児期後半の「連結可逆操作の階層」は、6、7か月ころから1歳前半までの大きな発達段階(大きな発達段階を階層とよびます)であり、そのなかに「示性数1可逆操作期」(7か月ころ)、「示性数2可逆操作期」(9か月ころ)、「示性数3可逆操作期」(11か月ころ)という3つの段階が含まれています。『新版・教育と保育のための発達診断・下巻』(以下では『下巻』)の6ページの図2「発達段階の説明図」を参照してください。

 乳児期後半になると、子どもたちは外界の人やモノに積極的に働きかけながら世界を拡げていきます。乳児期前半では、基本的な姿勢は臥位(あおむけやうつぶせなどの寝ている姿勢)であり、まだ移動の自由を獲得していません。しかし、乳児期後半になると、寝返りでゴロゴロ動いたり、這い始めたりしながら、行きたいところに行く自由を獲得していきます。また、モノをつかんだり放したり振ったりつまんだり…と、手の自由も拡がっていきます。つまり、乳児期後半とは、外界との交流が格段に広がる時期なのです。「連結可逆操作」とは、その際の外界との結び目(結節点)とおさえておきましょう。その結び目(結節点)が順に増えていくのです。

 個人的には、外界との結び目(結節点)を連結可逆操作とよぶのはわかるし、「連結可逆操作の階層」という呼び方はすんなり理解できるのですが、そのなかの各発達段階の名称はどうして「示性数」になるんだろう???と悩みました。きっと多くの方がそうだろうとお察しします。一瞬、「連結1可逆操作期」「連結2可逆操作期」「連結3可逆操作期」としてくれた方がまだとっつきやすいのに…と思ったのですが、ただこれだと、電車の車両がたてにつながっていくイメージになってしまいますね。田中昌人さんも、それではまずいと思って、別の用語を探したんじゃないかと想像します。ちなみに、「示性数」とは、位相幾何学(位相数学)の用語らしいです。

 でも、こうした用語が並ぶと、やっぱり心が引いてしまいます。前回も書いたように、それぞれの発達段階のことを理解していくうえで、ヒントになることがその名前には隠れているらしい(・・・)というくらいでいいと思います。具体的な子どもの姿から考えていきましょう。

 ということで、前回の乳児期前半の階層から、今回の乳児期後半の階層にどう飛躍的移行をなしとげるのかについて、まずは考えます。
 

乳児期後半への飛躍的移行
 5月号「あなたといっしょに、もっと生きたい」のハルちゃんの記述を振り返ってみましょう。

  ハルちゃんは、たんに先生のはたらきかけが心地よいからではなく、それぞれの先生たちのことを知り分け、その人をその人としてわかって微笑むようになったのでしょう。そして、その人がいるから、『もう一つ』の『心の窓』をも開いていきます。この対の『心の窓』こそ、いろいろな事物や人間関係を取り込んでいくための外界との結節点になります。それはまさに、乳児期後半の発達の階層への飛躍のための『生後第1の新しい発達の力』が誕生した姿です。

 前回の「もう一つ」にも書いたように、「新しい発達の力」は、各階層の第2段階から第3段階への移行期において誕生する力で、「生後第1の新しい発達の力」は通常4か月ころに誕生します。この力は、次の大きな発達の階層への飛躍的移行を準備するものです。

 ハルちゃんは、障害によって姿勢保持にも追視にも困難を抱えていたのですが、日々かかわってくれる先生たちの声を聞き分け、さらに聞き分けるのみならず、「大好きな先生だ」「いつもの先生だ」と知り分けていったのでしょう。その先生への「心の窓」は、今度は、先生がさしだすものや用意してくれる世界に気持ちを向ける対の「心の窓」を開くことにもつながっていきます。

 発達検査の課題としては、追視やリーチング(モノに手をのばす行為)をみる時期ですが、それは決して、目の前のガラガラや積木といった刺激への反応をみるだけではありません。4か月ころになると、ガラガラや積木を追視するだけではなく、検査者の顔もよく見るようになります。「あなたは、このおもちゃで遊ぼうとしているのね」と問いかけてくれているようです。そのまなざしに「そうよ。これで遊ぼうね。面白いよ」などと対話をするつもりで、おもちゃをさしだすのと、唐突に子どもの眼前におもちゃをつきだすのでは意味が異なるし、実際、子どもがみせる姿も違うように思います。

 さて、通常、4か月での対追視は、あるときは右方の積木を目で追って、でも次の試行では左の積木を目で追って…というものですが、これが徐々に、右を見て、左を見て、また右を見返って…というような可逆対追視になっていきます。4か月ではまだ、「反対側にもいいことがありそうだ」というようなものですが、そこから2か月くらいかけて、自分で両方を確かめる力に変えていくのです。また、積木を見て、相手を見て、積木を見て…を繰り返したあとに積木に手を伸ばすというのも、可逆対追視のあらわれかたと言えます。こうして、確かめたり比べたり選んだりという主体性をより発揮して外の世界に向きあっていきます。その営みをくぐることによって、モノにつられて手を伸ばそうとするのではなく、「これをつかむんだ」という、より自分の意志をともなったリーチングに質を変えていくのです。こうしたリーチングが明確になると、モノを見比べる可逆対追視は表面的にはみられなくなります。

 また「見る」だけではなく、右にゴロンと寝返って元に戻り、今度は左に寝返って元に戻るといった寝返り運動を繰り返す姿、右手にもったものを左手に持ち替えて、また右手に持ち替えて…を繰り返す姿にもつながっていきます。寝返りの次はハイハイ、片手に持ったら今度は両手に持てるようになって…と、おとなはともすると先へ先へと急ぎがちで、こうした繰り返しの姿はもどかしくも思えるのですが、子どもたちは、たくさんの対を自分で生産しながら、世界を自分の力で確かめているのです。新しい発達の階層へ移行するという大事業を、時間をかけて行っている姿として、ゆっくりと見守ってあげたいものです。


「連結可逆操作の階層ー段階」の特徴
 次に、連結可逆操作の階層-段階の特徴を、もう少しみていきましょう。

 生後7か月ころの「示性数1可逆操作期」では、上述したように、モノに対し片手を寄せて取り込み、それを右から左、左から右に持ち替えて遊ぶ姿が多くみられます。もったモノを口に持っていって確かめる
ことも多い時期です。しかし、二つ目のモノに対しては、まだあまり関心を示さなかったり、あるいは二つ目に手を伸ばそうとして、最初のモノを落としてしまったりします。すなわち、外界との結び目が基本的に「一つ」なのです。

 9か月ころの「示性数2可逆操作期」になると、両手にそれぞれモノを持って遊ぶことが増えます。スリッパなどを両手に持って、パンパンとたたくのも大好きな遊びです。外界との結び目が「二つ」になった姿です。目の前にたくさんの積木などがあると、片手に積木を持ったまま、もう一方の手の積木を放して、別の積木を取るように次々と持ち替えて遊ぶようなこともします。

 11か月ころの「示性数3可逆操作期」になると、両手にそれぞれ持ったうえで、目の前の相手に差し出したり、見せたり、あるいは器のなかに入れたりと、外界との結び目が「三つ」になります。

 姿勢・運動面ではどうでしょうか。

 生後7か月ころの「示性数1可逆操作期」では、うつぶせになり、おなかをつけて、時計の針のように右や左に旋回する姿がみられます。これも、外界との結び目が「一つ」と言えるでしょう。9か月ころの「示性数2可逆操作期」になると、よつばいのように、右側と左側を交互に前に進めていくような、結び目「二つ」の姿になります。さらに、11か月ころの「示性数3可逆操作期」になると、伝い歩きなど、平面の世界から立ち上がって「高さ」という軸をもつようになります。これは、結び目「三つ」の姿と言えないでしょうか。

 つまり「連結可逆操作の階層」では、子どもが外界に向かってはたらきかけていくときの「結び目」(結節点)が一つずつ増えていく、3つの発達段階が取り出されます(この乳児期後半の3つの発達段階は『下巻』の53~60ページで解説されています)。


発達段階から発達段階への移行
 次に、発達段階から発達段階への移行の時期についてみていきます。前回の「もう一つ」でも触れたように、発達段階から次の発達段階への質的変化にはエネルギーや人間的な支えを必要としており、それは「発達の障害」がはっきりとしてくるときでもあります(詳しくは『下巻』192~217ページ「Ⅲ 『発達の障害』と発達診断」)。

 それでは、移行のときである「示性数2形成期」と「示性数3形成期」について解説します。

・第1段階から第2段階への移行(示性数2形成期)と「人をもとめてやまない心」
 「示性数1可逆操作期」から「示性数2可逆操作期」へ向かう「示性数2形成期」(8か月ころ)では、二つ目の結び目を志向するようになります。一つのおもちゃだけではなく、もう一つのおもちゃも気になって、手を伸ばそうとします。しかし、実際には二つの結び目をつくるには至りません。また、目の前にあるおもちゃだけではなく、少し離れたところにあるおもちゃも気になります。そこに向けて移動しようとしても、坐位から伏位へと上手に姿勢を変えられなかったり、何とか伏位になって前に進もうとしても身体は逆に後ろにさがってしまったりと、ますます目標から遠ざかってしまうことも起きてきます。こうした矛盾の高まりは、子どもの心を波立たせ、泣くことが増えたり、夜泣きにつながったりすることもあります。

 二つ目を志向するのに実際には手に入れられない矛盾だけではなく、この「2」の形成期は、感受性や情動などにも変化があらわれる時期です(乳児期前半では「快-不快」でしたね)。おもちゃに手をのばしかけて、「あれ、何だろう」と、いつものおもちゃと違うことに気づいて手をひっこめたり、これまで以上によく見比べてから「こっちがいいわ」とばかりに選択的に手をのばしたりと、外界の変化やちがいにより敏感になる時期です。認知的には、ちょっと先の未来を予期できるようになり、また、目に見えない裏側の世界にも気づきはじめます。このような、違いに敏感になる感受性の高まりや予期の力は、「不安な心」をももたらすようになるのです。

 しかし、6月号でも述べたように、くすぐり遊びでは、最後の「コチョコチョ」の前に大笑いをするようになったり、イナイイナイバア遊びでは、ハンカチの向こうに大好きなおとうさんがいるとワクワクして「バア」と出てきた時に、「やっぱりいたあ」と嬉しくなったりしながら、遊びを通して、不安を期待につくりかえていきます。そうして期待につくりかえてくれるおとなのことが、ますます好きになっていくのです。「もっとして」とばかりに、相手を期待のまなざしでみることも増えるでしょう。

 もちろん、大好きな人になるからこそ、愛着も強まり、その人がいないと不安で仕方なくなるように、「期待」と「不安」はつながった関係であることもおさえておきましょう。

 自閉スペクトラム症の子どもたちの場合、変化への感受性がより強いことも多く、それが「不安」の高さとしてあらわれることも多いようです。「不安」の高さゆえに、外界の変化を受け入れにくく不機嫌さが続いたり、逆に、外の世界をシャットアウトするかのように自分の世界に閉じこもっているように見えることがあります。運動発達に遅れがみられる肢体不自由の子どもたちでも同じです。ずりばいをしかけていても、まるで、目に見えないバリアがあるかのように、そのバリアの外には絶対に出ようとしなかったり、特定のおもちゃにしか手を伸ばさなかったりします。でも本当は、人や周りの世界が気になっているのでしょう。急がずゆっくりと、子どもの「不安」を受けとめつつ、期待の心がつくられるような遊びを積み重ねていきましょう。
 

・第2段階から第3段階への移行(示性数3形成期)と「生後第2の新しい発達の力」の誕生
 「示性数2可逆操作期」から「示性数3可逆操作期」に向かう「示性数3形成期」(10か月ころ)になると、次の幼児期、すなわち直立二足歩行への準備をするかのように、立位という高さのある世界への志向性が高まります。高いところにあるモノに手を伸ばそうとし、階段などの段差も大好きになっていきます。まだ上手にハイハイできない子も、10か月ころになると、何も置いていない平面よりも、高さや段差がある方が意欲的に動こうとします。高さという抵抗を「発達的抵抗」にする力が芽生えるのです。ただ、こうした要求は、事故にもつながりやすくなるため、浴槽や、テーブルクロスなどには十分な注意が必要です。

 また、「示性数3形成期」になると、三つ目の結び目を志向するようになります。両手に積木をもってカチカチと打ち合わせるだけでなく、両手に持ったまま、机上にある3つ目の積木にも手を近づけていきます。器があれば、手に持ったものを器に近づけていきます。

 同時に、「三つ目の結び目」は相手との間でもつくられていきます。遊びはじめる前に相手をじっとみつめたり、両手を使って遊びながら、視線も相手によく向けてきたりします。それまでは、ほめられると嬉しくて、その遊びをさらに繰り返していたのが、ほめてもらうことを期待して、相手に自分の遊びを見せようとしているかのようです。また、誘いかけられてもすぐには手を出さずに、じっと相手をみつめ続けるまなざしには、相手が自分に何 を求めているのかを探っているのだと感じます。4か月児が、あやされてもすぐに笑わなくなり、相手がわかってから微笑みかけるように、10か月児もまた、相手の意図を探り、その意図がわかってから遊び始めるのでしょう。この探りを入れているときに、おとな側のペースでコトを進めようすると、うまくいきません。「やらされる」と感じて、とたんに逃げ出したくなる気持ちは、私たちと同じですよね。

 また、8か月ころに培った「人をもとめてやまない心」は、この10か月ころの、相手の意図と対等にむきあっていくところで大きな支えとなります。「ボール、ポンしてね」「ここ、ナイナイしようか」「先生にちょうだい」等と言われ、その求められていることが何となくわかっても、それに応じるためには、かなりの勇気が必要です。発達検査の場面では、相手の意図を感じるからこそ、後ろにいるおかあさんを何度も何度も見返ります。大好きなおとなとの間で育んできた安心感が、新しい世界への挑戦につながっていくのでしょう。


 この「生後第2の新しい発達の力」が誕生する時期には、戸外に出ること、おとなの生活に一緒に入っていくこと、おとなだけではない子ども同士の関係があることなどが、より重要になってきます。外に出れば自分から見つけていける世界が拡がります。おとなの生活にはワクワクする魅力がいっぱいです。子ども用に買ったおもちゃでは遊ばないのに、台所のおなべやしゃもじには生き生きと目を輝かすことがありますよね。また、おとなと子どもの違いはよくわかっています。きょうだいや友だちなどの存在もまた、「新しい発達の力」を芽ばえさせた子どもたちが、発達の主体になるうえで不可欠なのだと考えます。

 この10か月ころの発達と発達診断については『下巻』の61~70ページをご参照ください。


子育てを「自己責任」にしないで
 6月号でふれたように、1970年代前半に、全国に先駆けて乳幼児健診のシステムや早期対応のシステムをつくりあげた滋賀県大津市では、試行錯誤の末、乳児健診の時期を4か月、10か月に設定しました。なぜ、4か月、10か月だったかは、これまでの連載や「もう一つ」からおわかりいただけたかと思います。次の階層への飛躍的移行のための「新しい発達の力」の誕生に焦点をあてることで、障害の早期発見と同時に、先を見通した育児への応援をしようと考えられたのだと思います。

 4か月児健診の場では、おかあさんから「最近、以前のように声が出ないのですが大丈夫でしょうか?」という主訴が出されることがありました。以前できていたことができなくなるというのは、保護者にとって不安なことですよね。そうした主訴に対し、「大丈夫ですよ。これから赤ちゃんの後半にむかっていくための準備がはじまったんですね」とお答えしていました。つまり、それまで何気なく見ていた相手や外界に対し、よりしっかりと主体的に見つめるようになったために、一時的に声が潜(ひそ)むのだと思います。実際に、「声が潜む」時期を過ぎると、今度は自分から相手に呼びかけるような、自ら人間関係をつくりだしていく声に変わっていきます。

 また、10か月児健診では、離乳食を食べなくなるという主訴が増えることを6月号に書きました。これも、次の幼児期にむかう変化の兆しなのです。こうした、一見、マイナスに見える変化は、子どもたちがまさに発達の主体として自分をつくりかえようとしているからこそなのでしょう。そうした変化をおかあさん、おとうさんと一緒に共有し、子どものもっている発達の力を愛(いつく)しむきっかけになってほしいと切に願います。

 もちろん、障害や虐待の発見も健診の重要な役割です。医療機関等ですでに障害や疾患が診断されている場合には、そのことをふまえた育児の相談や、療育、福祉等について伝えていく責任が行政にはあります。

 しかしながら、こうした健診を民間委託しようとする動きが強まっています。健診の民間委託は、行政の公的責任を後退させ、育児や障害を「自助」「自己責任」の対象にするものです。もちろん、保護者のなかには、自分で調べ、情報を得て、様々な機関をコーディネートして使おうとする方もいらっしゃいます。しかし、多くの保護者はそうではありません。日々起きる子どもの変化に、とまどい、たじろぎながら、子育てをしているのです。一人ひとりの子どもは親の一部ではなく、一人の人格をもった存在なのですから当然のことです。そうしたとまどいやたじろぎに共感し、親が親になっていく道すじを応援するのは行政と社会の役割です。

 かつて一緒に仕事をしていた保健師さんが、家庭を訪問するときは、できるだけ電車やバスを使うと話されていました。電車やバスのなかで聞こえてくる会話から、その地域に住む人たちの健康や子育てに関する不安やねがいを知ることができるから、という理由でした。もちろん、時代も変わって、今はSNS等が主役になっているのかもしれません。しかし、この保健師さんの姿勢は、住民からの訴えを待ってそれに応えるだけでは、本当に住民一人ひとりが暮らしやすく子育てしやすい地域づくりにはならない、自分から地域に分け入り、声にならない声を拾いながら仕事や施策に結びつけていくのだということなのだと思います。そうした努力の積み重ねでつくられてきた自治体の仕事を、安易に民間に委託するということがあってはならないと考えます。

子どもの発達の権利を守る国に
 折しも、「こども家庭庁」設置、「こども基本法」制定が国会で審議されています。子どもの権利を守り育てることは、国のありかたとして当然のことであり、先進国中で最下層というあまりにも不十分なこれまでの施策と予算を、一気に塗り替えるだけの方針転換が必要です。

 しかし私たちは、その法案を読んでかえって大きな心配をもちました。子ども施策が、虐待や少年犯罪などの事象への対策に偏重し、根本の問題でもある子ども施策の貧困を改めようとする姿勢がありません。そして、将来の労働力の確保のために、子どもの「自立」を図ろうとする意図が透けて見えてしまいます。社会防衛、社会効用のために子ども施策を考えないでほしいと率直に願います。

 また、「こども基本法」案には多くの賛意も寄せられていますが、国連・子どもの権利条約第6条の定める子どもの基本的権利、「生命」「生存」「発達」を明記せず、「発達」は「成長」にすり替えられようとしています。全障研は、「発達の権利を保障する」ことを目的とする研究運動の団体ですが、その立場から出された声明には、力強い願いが表明されています。学び、子どもの未来のためにみんなで力をあわせていきたいと思います。

声明「日本国憲法と子どもの権利条約を遵守し、子どもの発達の権利を真に保障する基本法を」(2022年5月26日) 

 また、「こども家庭庁」の設置にともなう児童福祉法の改定法案のなかで、児童発達支援センターの「福祉型」と「医療型」の一本化などが提案されています。これは、現在の児童発達支援センターのありかたに大きな変更を迫るものであり、内容を検討して意見表明が必要だと思います。全障研「みんなのねがいWEB」のなかのリンク「子どもの支援」をクリックしていただくと、「障害乳幼児の療育に応益負担を持ち込ませない会」のサイトに到達できます。それらを学びつつ、私たちの願いを形あるものにしていきましょう。

今回の学習参考文献
・白石正久・白石恵理子編(2020)『新版・教育と保育のための発達診断・下巻』全障研出版部
・稲沢潤子(1981)『涙より美しいもの―大津方式にみる障害児の発達』大月書店(本書は古書サイトからの入手になります)


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2022年06月01日