第54回全国大会基調報告(確定版)

全国障害者問題研究会
第54回全国大会 基調報告   2020年8月9日

 常任全国委員会




<はじめに>

 人と人が語りあい、向かいあって暮らすというあたりまえの日常に制限を受けた数か月でした。この間、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の拡大という事態の中で私たちが経験した日常とは異なる生活は、子ども、大人の年齢を問わず、障害のある人びとと家族に、はかりしれない不安と困難をもたらしました。不安や困難の背景には、この感染症に対する処方箋がないということに加えて、すべての人の生きる権利を保障するはずの社会福祉・社会保障の制度の脆さが日に日に明らかになってきたということがあります。そうであるなら、どんな困難があったのか事実を出しあい、記録し、話し合うことは、予想される次の感染への対応にとどまらず、障害のある人びとのいのちとくらし、発達を保障する土台を改善する提起につながると考えます。

 ここで3月から、私たちの周りで起こったことをふり返ってみましょう。

 またたくまに世界中に広がった新型コロナウィルスによる感染症に対して、WHOは3月11日、世界的大流行(パンデミック)を宣言、各国政府はそれぞれに人びとの社会的活動や経済活動を制限する対策を実行しました。ウィルスについて科学的解明が続けられていますが、いまだ決定的な治療薬、ワクチンは開発されていまいせん。感染の広がりは世界的規模で格差を浮き彫りにしました。医療体制の不備のもと「経済優先」に舵をきる国も増え、6月末には、世界の感染者数は1000万人を、死亡者は50万人を超えています。

 日本では、2月27日の夕刻、安倍首相による突然の一斉休校要請に始まり、4月7日には、改正新型インフルエンザ等対策特別措置法によって「緊急事態宣言」が出され、以後、全国的には5月25日まで、生活全面にわたる規制が強いられました。

 この事態の中で、全障研は、まず3月2日に「緊急声明」を出し、障害のある子どもと家族のもつ特別の困難に照らして、一律の休校を求めることの問題点を指摘し、要請の撤回を求めました。そして障害のある子どもと家族の健康と生活を守る方途を、国民的な英知の結集と議論によって検討していくことをよびかけました。

 さらに「緊急事態宣言」から1ヵ月を経て、「補償なき自粛要請」への批判が高まるなか、5月9日には「声明=新型コロナウィルスをめぐる情勢の下で障害児者の権利を守るために」を発表しました。この声明では、社会福祉の仕組みの決定的な弱さが障害児者・家族に困難をもたらしていることを指摘し、乳幼児の施設や事業所、学校と放課後支援、児童および成人の施設などそれぞれにおいて、障害児者とその家族、障害児者に関わる人たちの「人間的な諸権利を守り、発達を保障することが必要だ」と訴えました。

 2つの「声明」に呼応して、全国からたくさんの報告が寄せられました。

 密になる集団生活をさけるために学校は休校とされる一方で、児童発達支援や放課後等デイサービスの事業所は開所を求められ、しかも感染防止のための方策はすべて事業所任せだったこと。卒業生を送り出し新入生を迎える大事な時期であったにもかかわらず、感染対策のみが優先され、子どもの気持ちに寄り添った活動を準備することすらままならなかったこと。在宅生活による生活リズムの乱れ、活動や集団が保障されないなかでの行動の不安定化などが家族から訴えられても、十分議論できない日々を送らざるを得なかったこと。いずれも、マスコミ報道には取り上げられることのない障害児・者と家族がかかえる困難から生じた問題ばかりでした。

 「緊急事態宣言」後の4月以降は、児童発達支援、放課後デイ、作業所などの障害福祉事業所は、利用控えが顕著になり、事業継続の危機に直面しました。厚生労働省から電話などでの支援も報酬の対象となるという事務連絡が出されましたが、これにたいする疑問を感じながら、障害のある人への支援とは何か、それを支える制度はどうあるべきかという課題にいっそう向き合い、多くの事業所が事業を継続してきました。こうしたなかで、支援の対価としての日額報酬制という制度への批判が高まっています。

 以上のように、まさに「コロナ禍」によって、国民生活を守る制度の脆さから矛盾が噴出したなかにあっても、政府は社会保障全般にわたる公費抑制をもくろみ、自助・互助・共助を基本とする「全世代型社会保障改革」にもとづいて、年金法、社会福祉法などの「改正」を強行してきました。
 3月、津久井やまゆり園事件の裁判が終結しました。裁判では、「障害者は生きる価値がない」という被告の主張を正面から問うことがありませんでした。しかし、いま未解明の感染症とそこから生じた不安の拡大という状況のもとで、「すべての命は平等」であるという価値はますます重要になっていると思います。このことを基盤にした社会をめざす運動をすすめていかなければなりません。
 私たちは、どんな情勢の下でも、人間のいのちと尊厳を軽んじる考え方や社会のしくみを断固として否定します。憲法と障害者権利条約の理念を地域のすみずみに広げながら、だれもが安心して生きられる平和でインクルーシブな社会の実現にむけて、みんなのねがいと力を重ね合わせて、発達保障をめざすとりくみをさらに進めていきましょう。


Ⅰ.乳幼児期の情勢と課題

(1)登園できなくてもつながる療育
 感染が拡大するにつれて、保育園や幼稚園、児童発達支援の施設に通い、楽しい時間を過ごすという子どもたちの日常が消えていきました。3月、学校と同様に休園になる幼稚園がめだち、4月の「緊急事態宣言」以降は、保育園にも登園自粛の要請があり、子どもにとっての日中の生活と集団の基盤が揺らいでいきました。児童発達支援の施設(センターや事業所)は感染予防に努力しつつ可能な限り開所することが求められましたが、保護者の判断で登園を自粛する、事業所として登園制限や臨時休所を選択するという場合もありました。

 友だちと遊ぶのが苦手、好きな遊びが見つけられないといった課題があるから、保育園や療育の場に通っていた子どもたちです。登園できなくなったとき、子どもに対してどんな支援ができるのか、各地で模索がつづきました。一方では、コロナ禍をも好機にしようと、オンラインの個別支援と称して動画や教材を有償で家庭に提供する事業者もあらわれました。

 コロナ禍のもとにあっても重ねてきた実践の中には、今後の感染対策に引き継ぐべきことだけでなく、保護者・家庭への支援の基本として大事にしたいことがたくさん含まれています。少しでも楽しく過ごせるよう、子どもの心身の状態を把握し、工夫を凝らして試みた在宅生活における子どもへの支援について、経験を交流していくことも必要だと思われます。

(2)保護者への支援
 父親が在宅勤務になった家庭では、家族一緒の時間が格段に増えました。しかし、障害のある子どもたちにとって、ふだんと異なる日課や家庭での暮らしはストレスとなる場合もあります。保護者からは、つい強くしかってしまう、適切でない対応になる可能性もあるという切実な声が聞かれました。在宅支援は、保護者にたいしても大切な支援であり、実践的な検討をしていかなければない課題です。

 一方、厚労省や自治体が出す事務連絡では、保護者や子どもがコロナウィルスに感染することは、ほとんど想定されていませんでした。感染への不安は、障害の重い子どもや医療的ケアを必要とする子どもがいる家庭ではさらに深刻です。子どもを対象にしたショートステイの場の整備などが緊急に求められています。

 障害のある子どもを育てる保護者の就労困難は以前から大きな問題ですが、今回のコロナ問題は家計にも大きな影響を与えました。

(3)事業所を守る
 育ちを守り育てる療育の場では、まさに療育者と子どもが身体と心を通わせ働きかける場であり、「3密」状態を避けることは不可能といっても過言ではありません。療育の場が安心安全とはいえない状況が生まれました。

 感染に配慮しつつ開所し続けても通園児が5割を切った、とうとう1名になったといった事業所もあります。楽しい集団療育ができないだけでなく、通所する子どもの人数の減少は、事業所の減収に直結するので園の運営そのものが不安定さの度合いを高めました。子どもが通園した日にしか公費が支払われないこの制度は職員の雇用をも不安定にしています。

 厚生労働省の事務連絡にもとづいて電話などで支援をする場合には、支援計画等の書類を作成し、事前に1割の費用負担があることを保護者に了解してもらうことを徹底するよう求められ、自治体によっては、支援の内容や書類に細かい指示もありました。支援をしたら報酬を出す、利用料は応益負担という障害福祉制度ゆえの問題に、多くの事業所が戸惑いを感じたのが現実でした。

(4)乳幼児期の総合的な発達保障を
 今年2020年は、2021~2023年度を期間とする第2期障害児福祉計画にむけた施策の見直し期にあたります。厚生労働省は、2020年度までに「重層的な地域支援体制の構築」を目指し、児童発達支援センターを市町村に少なくとも1カ所以上設置するという目標を掲げていますが、実現に向けた特別な方針がないまま市町村にまかされています。子どもと保護者のねがいを障害児福祉計画に反映させるよう地域の自立支援協議会児童部会などで議論し、計画策定に参加していくことも重要です。

 乳幼児期の支援は、母子保健施策である乳幼児健診と結んだ総合的なシステムが求められますが、ゆとりのない職員体制のもとで保健センターにおける障害の発見から対応、療育への橋渡しの機能低下が危惧されています。全障研大会では、すべての子どもの健康と発達を保障するという視点から子育て支援の枠組みを発展させ、早期療育へつなぎ、親子を支える仕組みを充実させている自治体の取り組みが毎年報告されています。そうした実践に学びあうことを大切にしたいと思います。


Ⅱ.学齢期の情勢と課題

(1)突然の休校要請の下での子どもたちの暮らし
 2月27日の夕刻、全国の学校の職員室では大きな不安と動揺、混乱がもたらされました。首相による全国一斉休校要請の突然の発表、そこからの数日間、学校は対応に追われました。卒業や進級という一つの大きな節目を控え、次のステージに向けて期待や意欲を高めていこうとする子どもたちの気持ち、その学年、学級、学校生活の残りの日々で、子どもたちに何を手渡していくのかという教職員の思いは、まったく突然に、そして一瞬にしてやり場を失うことになりました。首相とその周辺による強行的な決定は、多くの自治体や学校から、教育的な判断を主体的に行う機会を奪い、子どもたちはその間、教育を受ける権利を保障されなくなったのです。

 3月に入ると、休業補償等の手立てに関する十分な検討もないまま強行された休校によって、多くの障害のある子どもたちとその家庭は、日中をどうやって過ごすのかという問題に直面します。休校要請に際して、厚生労働省は放課後等デイサービスに対し、「可能な限り時間を延長して子どもたちを受け入れること」という事務連絡を出しました。感染拡大予防という一斉休校要請の趣旨と大きく矛盾する課題を、福祉の現場に丸投げしたのです。放課後等デイサービスの事業所では、午前中からの体制づくりに突然直面させられ、職員の不足や職員家族の負担、マスクや消毒液の不足、公共施設が使えないなどの多くの困難と向き合いながらも、子どもと家庭の困難さに応えようと、必死の努力を続けました。4月の「緊急事態宣言」以降も、公的責任に基づく根本的な手立ては示されることなく、各地域や現場レベルでの工夫を強いられている状況が続きました。

 「緊急事態宣言」解除後にいくつかの自治体等で取り組まれた調査などでは、子どもたちの家庭での生活の困難の実態や、放課後等デイサービス事業所が直面した困難の実態とともに、学校と家庭、また学校と障害児支援事業所との矛盾が、「学校に見捨てられたような気がした」「学校は何もしてくれなかった」など、悲鳴のような表現で指摘されています。5月に公表した全障研の声明は、この間の施策が、「教育と福祉の関係性に大きな歪みをもたらした」と指摘しました。この歪み正し、障害のある子どもと家族、関係者の人間的な諸権利を守り、発達を保障するための具体的なとりくみが緊急に求められています。

(2)学校に「行く」ことの意味を問い返す
 昨年、障害を理由に、長きに渡って教育を受ける権利を奪われてきた人たちの、「学校に行きたい」「学びたい」というねがいを結実させた養護学校義務制実施から40年を迎えました。全障研しんぶんでは「義務制実施40年を考える」と題し、2019年6月から7回にわたって、義務制実施までの道のり、そして義務制実施以降のさらなる教育権保障の道のりを辿りました。すべての障害のある人たちの義務教育実現を大きな基盤としながら、さらに障害の重い人たちの教育内容の深化、後期中等教育の保障、卒業後の進路保障と作業所づくり、さらなる学校設置運動の広がりなど、教育の豊さの広がりはもとより、障害のある人たちのライフステージ全般にわたる豊かさを求め、実践と運動を地道に積み上げてきた歴史に学ぶことができました。

 どの子も学校に行けるようになってから40年を経た今年、日本の多くの地域で、子どもたちは3ヶ月もの長きにわたって、学校に「行く」ことを奪われました。そうした事態の中でも、全国の少なくない教師たちは、子どもと家庭の状況をつかみ、子どもたちが少しでも笑顔で過ごせるようにしよう、わずかながらでも発達を保障しようと、家庭訪問や電話、手紙などを用いて連絡をとり、学校生活の中で、子どもたちが好きになった歌のCDを届けたり、絵本の読み書かせや身体を楽しく動かすための動画データを配信するなど、さまざまな努力を続けました。

 障害のある子どもたちにとって、学校は「学ぶこと」をただ受け取るだけの場所ではありません。子どもたちは、「学校」という場所に毎日通うことで自ら生活リズムを作り、自分に合った環境で心身をリラックスさせ、適切な運動の機会をつくり、友だちや先生との人間的なかかわりをつくっていくのです。そうした毎日の生活の中で、子どもたちは学校でしか学べないものに出会い、自分自身がよりよくなりたいという「ねがい」を育みます。学校でしかできないこととは何か、子どもたちにとって、学校の価値はどこにあるのかということを改めて問い返しながら、再開後の学校と、そこで営まれる子どもたちと毎日の生活の質を吟味する必要があります。

(3)「再開」後の学校の「学び」をめぐる問題と教育政策
 しかし、登校が再開されつつある今、学校は、子どもたちの「ねがい」に応えうる場所になっているでしょうか。学校行事の中止や縮減の一方で、7時間授業や土曜登校、夏休み登校など、授業時数の確保や「遅れを取り戻す」ことばかりが一面的に強調されてはいないでしょうか。
 安倍政権が推し進めてきた教育改革、さらには今年から小学校、特別支援学校小学部で本格実施となる学習指導要領では、「何ができるようになったか」「学んだことをどう使えるようになったのか」という視点ばかりが重視されます。そこでは子どもや親、そして教師の「ねがい」から実践を構想するのではなく、短期での目標達成や行動の変容のみをターゲットにした実践を助長させるような「評価」と、一面的な社会からの要請の影響を色濃くうけた「教育目標」が教育現場に押しつけられ、そのことに教育実践が縛られようとしています。

 2019年度から開始された文部科学省「新しい時代の特別支援教育の在り方に関する有識者会議」は、6月末に「これまでの議論の整理(案)」を示しました。この文書には、障害のある子どもの保護者や教職員が長年要求してきた特別支援学校設置基準の策定に初めて言及するなど、ゆたかな権利保障をめざす声の高まりを反映したと見られる箇所もありますが、特別支援学級と通常学級の「交流及び共同学習の拡充」と称して、「ホームルーム等の学級活動や給食等については原則共に行う」等の一面的な方向性を示したり、「自校通級を進める」との名目の下に「ICTを活用した遠隔による専門的指導」を例示するなど、子どもたちのゆたかな学びと生活へのねがい、子どもと寄り添い、子どもの事実から実践を構想しようとする教師のねがいに背く危険性もはらんでいるとみられます。特別支援教育をめぐる今後の政策動向に直結する動きとして十分な注意を払う必要があります。

(4)自ら考え、行動できる教職員集団づくりを
 長期にわたる休校とその後の学校再開の動きの中、学校と福祉がこれまで以上に連携を深めながら、子どもたちの生活を少しでもよくしよう、家庭やそれぞれの現場の負担を軽減しあおうという動きも見られます。子どもの家庭や生活の状況をつかもうと、従来以上に密に連絡を取り合うようになった学校や福祉事業所の事例もあります。休校期間中、体制の不足する福祉事業所に応援に入った学校や、学校施設を家庭や福祉事業所に開放した自治体、学校もありました。こうしたとりくみは、行政上の障壁や教職員集団の合意形成の困難などに制約されて、いまだ多数とはなっていませんが、困難な状況の中でこそ、障害のある子どもたちの権利を守るために何ができるか、現場レベルで話し合い、考え合うことの重要性と、そうした努力を重ねることで、少しずつでも困難を切り拓いて前に進めることを私たちに教えています。

 教職員集団が「集まる」ことが強く制約された経験を経て、「集まる」「語り合う」ことの価値を、再発見している人たちは少なくありません。今年度の『みんなのねがい』の連載「出会いはタカラモノ 子どもから教えられたことばかり」の冒頭で、著者の佐藤比呂二さんは「私の教師人生は、子どもから学んだことの積み重ね」だと記しています。子どもたちの教えてくれるタカラモノを一つ一つ大事に掬い取ることができるように、そしてその「価値」を決して手放すことのないように、みんなで語り合いながら、子どもの「ねがい」に応える授業づくり、教育課程づくりを進めましょう。「働き方改革」と「コロナ対応」などの名の下、再編される行事や教育活動についても、「子どもにとっての値打ち」をしっかりと語り、現下の状況に即して創造できる教職員集団づくりを進めましょう。


Ⅲ.成人期の情勢と課題

(1)「全世代型社会保障」の動向
 成人期の障害者の権利保障を考えるうえでは、社会保障全体の動向に目を向けておく必要があります。

 政府が2019年9月に設置した全世代型社会保障検討会議は、12月に中間報告をまとめ、「年金」「労働」「医療」「予防・介護」の各分野について、改革の方向性を示しました。その内容は、第201回国会において一部具体化され、70歳までの雇用継続と結んだ年金支給年齢の引き上げなど、関係法の「改正」がなされました。さらに、2020年6月には、第2次中間報告がまとめられ、「フリーランス」の拡大のための労働関係法の改正などが準備されています。

 こうした動向の基調になっているのは、経済成長を最優先する姿勢です。昨年12月の中間報告は、「障害や難病のある方々」にも言及していますが、それは「一億総活躍社会」を語る文脈においてです。政府がめざしているのは、「強い経済の実現」なのです。日本に住む人の権利保障の観点から社会保障改革が考えられているわけではありません。

 そのため、全世代型社会保障改革は、「制度の持続可能性」の名のもとに、社会保障の抑制を図るものになっています。医療についても、窓口費用負担割合の引き上げなどが提案されています。
 そして、重視されているのは、高齢期に至るまでの就労です。人間らしく働く権利の保障は重要ですが、経済成長や社会保障抑制のために就労を強いられることは問題です。

私たちは、権利保障の観点から、あるべき社会保障を考えていかなければなりません。

(2)報酬改定をめぐる動向
 障害のある人の生活と権利に直結することとしては、「障害福祉サービス等報酬改定」の問題があります。3年ごとの報酬改定が、2021年度に予定されており、感染対策で中断していた検討チームの会合が再開されました。

 2018年度の報酬改定の際には、国が食事提供体制加算を撤廃しようとしましたが、障害者団体等の運動によってそれを阻止しました。昼食・食事は、障害者の労働や生活を支える大切なものです。次回の報酬改定で食事提供体制加算を廃止することは許されません。

 また、事業所による送迎支援も重要なものであり、送迎加算は廃止されるべきものではありません。それにも関わらず、厚生労働省のもとで送迎に関する実態調査が行われるなど、送迎加算の見直しが進められてきています。

 現実には、公費支出の水準が低い現状のもと、事業所の運営は困難を抱え、職員の働く環境も厳しいものになっています。また、2018年度の報酬改定においては、就労継続支援事業B型の報酬単価を平均工賃と連動させるという成果主義的な方式が導入され、そのなかで多くの事業所が減収に追い込まれました。報酬改定は、これらの問題を解決する方向でなされるべきものです。
 新型コロナウィルス感染症に関係して、障害者や家族、事業所が抱える困難が増しているなか、報酬改定がさらなる打撃をもたらすようなことがあってはなりません。

(3)安心できる生活の保障
 必要なのは、社会保障の拡充であり、障害者が安心して暮らせる社会の構築です。

 今年度の『みんなのねがい』の連載「高齢期を迎えた障害者と家族―老いる権利の確立をめざして」(田中智子)でも述べられているように、障害者のケアの責任は、費用面も含めて、親・家族に押しつけられています。障害者の生活を支える社会資源の整備も、家族によるケアを前提としている面があります。障害者および家族の権利保障にとっては、家族依存を当然のこととするような現状からの脱却が重要です。

 そのためには、障害者の暮らしの場の充実が欠かせません。障害者権利条約の第19条は、「障害者が、他の者との平等を基礎として、居住地を選択し、及びどこで誰と生活するかを選択する機会を有すること並びに特定の生活施設で生活する義務を負わないこと」を確保するように締約国に求めています。障害者が意に反して「特定の生活施設」で暮らさなければならないことが問題であるのと同時に、障害者が親・家族との生活を強いられることも問題です。

 遠くないうちに、国連・障害者権利委員会から、日本への勧告(総括所見)が出されることになります。その内容を吟味したうえで活用しながら、障害者の暮らしの場の保障を進めていくことが、今後の課題になります。

(4)文化的な生活の創造
 障害者の労働や生活の場を豊かなものにすることと合わせて、障害者の文化的活動が十分に保障されるようにすることが重要です。

 東京オリンピック・パラリンピックの開催が2020年に予定されていたなかで、障害者のスポーツに対する社会的関心はいくらか高まったのかもしれません。しかし、幅広い障害者がスポーツを楽しめる環境が整備されてきたとは言えません。家族による援助に依存するような状況は、スポーツについてもみられます。

 文部科学省のもとでは、「障害者の生涯学習の推進」が言われ、「文化芸術活動」や「スポーツ活動」を支援するとした「障害者活躍推進プラン」が2019年に発表されています。その背景には、生涯学習等に対する障害者の要求や、その要求に応えてきた諸実践もあるでしょう。養護学校義務制の実施や養護学校高等部の拡充などに結びついてきた、これまでの教育権保障の取り組みが、「生涯学習」を政策的課題に押し上げてきたとも言えます。しかし、高い能力をもって「活躍」することばかりに価値を置く発想がないか、特別な才能のある障害者を政策的に利用するようなことにつながらないか、といったことには注意が必要です。

 障害者権利条約の第30条では、「文化的な生活、レクリエーション、余暇及びスポーツへの参加」についての権利が明記されています。すべての障害者がこの権利を享受できるようにしなければなりません。

 そのためには、障害者の余暇活動のための制度の構築も求められます。学校に通う子どもについては、2012年に放課後等デイサービスの制度が創設されました。類似の仕組みを必要とする人は、成人期にある障害者のなかにも少なくありません。

 障害児者の生活のありようを構成する不可欠の要素の一つにセクシュアリティをめぐる問題があります。すべてのライフステージに関わる大切な課題ですが、この領域における権利侵害の実態や権利保障・発達保障の課題は、これまで必ずしも十分に論議されてきたわけではありません。全障研出版部の新刊『ゼロから学ぶ障害のある子ども・若者のセクシュアリティ』(伊藤修毅著)なども用いて、セクシュアリティをめぐる権利保障の課題についても議論と実践を深めましょう。

(5)権利保障の道を描くこと
 現状に甘んじることなく、障害者の権利保障のために必要なことを考え、取り組んでいきましょう。

 新型コロナウィルス感染症をめぐる事態は、さまざまな分野で従来の仕組みの歪みを浮かび上がらせました。保健所が統廃合によって減らされてきたことも、その一つです。余裕のない医療体制では危機的状況に対応できないことも明白になりました。障害者支援の領域においては、「日割計算」の弊害が改めて顕在化したといえるでしょう。ゆとりのある安定的な職員体制の大切さも再確認されることになりました。また、行政の責任・役割が小さなものになっていることの問題性も顕著に表れました。

 障害者自立支援法の成立から約15年が経過し、社会福祉基礎構造改革の流れのなかでつくられてきた仕組みが当然のもののようにみなされる傾向があるかもしれません。しかし、私たちは、現在の仕組みを固定的なものとして考えることはできません。障害者自立支援法違憲訴訟の基本合意(2010年)や障がい者制度改革推進会議総合福祉部会の骨格提言(2011年)などをふまえ、障害者と関係者の実態や要求を立脚点にして、あるべき権利保障の道を描いていきましょう。


Ⅳ.研究運動の課題

(1)平和的生存権を基盤に、三つの系でねがいを束ねる
 新型コロナウィルスを契機として引き起こされた情勢は、社会にもともと存在していた矛盾や格差、差別と偏見を浮かび上がらせました。近い将来人類の存続さえ脅かすような気候変動・気候危機も急速に進行しています。ウィルスがもたらす危機だけに目を奪われることなく、発達保障・権利保障の課題を正面からとらえる必要があります。

 新型コロナウィルスの世界的な感染爆発により、無数の人びとの生活が破壊され、いのちが奪われていくなか、アメリカ合衆国では、重度の知的障害、脳性まひ等のある人への治療を抑制したり、人工呼吸器を装着させないという選択肢を含んだガイドラインを作成した州もあります。障害を理由とするいのちの選別は、障害のある人びとのいのちを脅かし、いのちの切り捨てをさらに進めることにもつながりかねず、いかなる場合にも断じて容認できません。

 2020年3月31日、津久井やまゆり園事件をめぐる裁判で死刑判決が出され、その後この判決は確定しました。しかし、「障害者は不幸をつくり出すことしかできない」、「生きるに値しないいのちがある」という被告の価値観がこれ以上追及されず、事件の本質も解明されないまま、事件に終止符が打たれることがあってはなりません。今回の事件を忘れることなく、人間のいのちに軽重をつける価値観に抗い、いのちの選別をおし進めようとする動きに向き合い続けなければなりません。

 新型コロナウィルス対策をめぐり、異論を唱えることを許さない空気が社会に蔓延し、「自粛」要請による生活の統制が一気に進みました。3月半ばから4月の初めにかけて、新型インフルエンザ特別措置法改正から「緊急事態宣言」発令へと事態はきわめて急速に進行しましたが、自民党は今回の緊急事態宣言に便乗して憲法を改正し、「緊急事態条項」を創設する意向を示したことに注意が必要です。政府の判断で検察幹部の定年延長を可能にする検察庁法改正案も、国民の声に押されて頓挫したとは言え、民主主義の根幹に関わる三権分立を脅かそうとするものでした。未知の感染症の蔓延という危機に乗じて、私たちの自由を奪い、政府の意に沿わない声を封じ込め、平時には実現しにくい政策をなし崩しに強行しようとする動きが顕著であったことは決して見過ごしてはなりません。

 私たちは、障害者のいのちと権利を守り、すべての人の発達保障を実現するために、日本国憲法が定める平和的生存権を拠りどころとして、「個人-集団-社会」という発達の三つの系を統一し、民主的に発展させることをめざしてきました。「コロナ禍」の下で顕在化し、あるいは新たに引き起こされた情勢は、集団の系の展開を強く制約するとともに、社会制度の系において人類が築いてきた進歩に対しても大きな反動を招きかねないものであり、そうした情勢の下で個人の豊かな生存と発達の権利が脅かされるという構造を持っているものと見られます。発達の三つの系を断ち切らせず、それぞれの系において一人ひとりのねがいを持ちより、みんなのねがいとして分かち合うとりくみを大切にしていきましょう。

(2)本人や家族のねがいや不安を聴きとり、権利侵害の事実をつかむ
 この間、「自粛」要請による生活や行動の制限にくわえて、新自由主義改革によって弱体化させられてきた社会保障制度の矛盾が、障害のある人や家族を追い詰めています。そうしたなかで、本人や家族が困っていることや不安に思っていることを十分に聴きとり、受けとめることができないまま、不自由な生活を強いてしまっている現実があります。

 私たちの研究運動に求められるのは、そうした障害のある人びとや家族の抱える不安と、その背後にある人間的な生活と発達へのねがいをていねいに聴きとること、そのことを通して、障害のある人びとに対する権利侵害の事実を具体的につかむことです。コロナ情勢下での障害のある人や家族の実態をしっかりと記録しながら、多様かつ複合的に立ち現れている権利侵害の事実を総体として明らかにすることで、動かしがたくみえる現実に立ち向かう実践と研究の課題が明らかになります。

 いっぽう、困難な状況をていねいにつかみ、本人の要求をじっくりと探るとりくみが、関係者や関係機関を結びつけ、新たなつながりのもとで、それぞれのライフステージで安心できる生活を保障しようとするとりくみも生まれています。困難な状況下で生まれつつある新たなつながりや実践の芽をつかみ、そうした実践のなかで生み出された事実を共有することが、権利保障の道すじを見出すことにつながります。


(3)実践者のそだちと発達保障労働の専門性
 福祉や教育の現場では、感染の危険性を抱えながら困難な状況にねばり強く立ち向かい、障害のある人や家族の抱える不安に心を寄せて、一人ひとりのねがいに応えようと奮闘する実践者がたくさんいます。本人の不安を少しでも取り除き、ことばと心を通わせあうことで、障害のある人たちと家族のねがいをつかみ、それに応えようとする人たちが、お互いのの不安や悩みを聴き合うこと、障害のある子どもや仲間が示すわずかな変化のうちに実践の展望を見出そうとする努力を励まし合うことが大切です。

 いま、障害のある人びとの発達や幸福の実現に寄与する実践に力を尽くしたいとねがって現場で働く人たちが、これまでの歴史のなかで深められてきた発達保障の思想をわがものとしながら、主体的な実践者として育ち合う道すじはどこに見出されるでしょうか。実践がうまく立ち行かない原因を、自分や同僚など、個人の力量の不足に求める自己責任の発想は、実践と、それを制約する制度などに対する疑問や悩みを抑え込ませる方向に作用します。こうした考え方が幅をきかせる現場では、実践者は自らの実践に手応えを感じにくく、展望を見出しづらくなります。障害のある人びとが困難や葛藤を抱えながらも人間らしく生きようとする姿のなかに、本人たちのねがい、そして自分自身のねがいの実現を阻んでいる社会や政治の矛盾を読みとり、そうした困難や矛盾の根源に共同して立ち向かう力こそ、発達保障労働に求められる専門性であるといえます。

 とはいえ、個人の疑問や悩みを自覚することが、ただちに社会や政治への視野を開くわけではありません。身近なところから、小さな悩みや疑問、自分が実践を通して出会ったささやかな事実を安心して語り合い、聴き合い、みんなで共有し合うなかで、「個人-集団-社会」という発達の三つの系のつながりに気づき、自分や仲間の悩みやねがいと、社会や政治とのつながりへの視野が少しずつ開かれていくのではないでしょうか。

(4)障害者権利条約の水準にふさわしい制度改革を実現する
 日本国憲法にもとづき、すべての人の権利を保障することなしには、障害のある人びとの発達保障を実現するとりくみの前進はありえません。この間、2018年の生活保護基準引き下げが違憲であるとして取り組まれてきた「いのちのとりで裁判」の名古屋地裁判決が6月25日に、また強制不妊手術による人権侵害を訴えた優生保護法違憲訴訟の東京地裁判決が6月30日に出されましたが、2つの判決とも、司法が人権救済の最後の砦としても役割を果たしえない現状にあると言わざるをえない内容でした。国内の人権保障の基盤を強固にしていくことがたいへん重要です。

 そうした国内の人権保障へのとりくみと結びつき、障害のある人びとのねがい、生活や発達の事実と結びついてこそ、障害者権利条約は、「他の者との平等」を実現させる大きな力を発揮します。国連の障害者権利委員会による政府報告書の審査日程も流動的ですが、今後示される国連の総括所見などを最大限に活かしながら、国内の障害者団体が叡智を結集して完成させたパラレルレポートが示した障害者制度改革の諸課題を、権利条約にふさわしい水準で実現させていくとりくみが大切になります。

(5)仲間をつなぎ、ねがいをつなぐ
 私たちの研究運動は、「ひとりぼっちをつくらない」ことを大切にしてきました。対面で言葉を交わすことができない状況に直面する中でも、SNSやインターネット等を活用して、職場の実態や各地の情報を交流する動きが生まれました。支部やサークルでは「語りたい」「学びたい」というねがいをていねいに受けとめながら、ねがいや悩みを分かち合う仲間を求めている人と出会い、仲間とつながり合う方法を模索しましょう。

 私たちは、今年9月に予定されていた北海道・旭川での全国大会を中止するという苦渋の決断をしました。いまは、それぞれの職場や地域のとりくみを持ちより、全国の仲間と直接交流し、深め合うことは叶いません。しかし、私たちには全国の課題と地域での研究運動をつなぐための素材がたくさんあります。月刊誌『みんなのねがい』は、毎月各地の実践や運動、研究の成果などを届けることで職場や地域の課題を掘りおこし、自分たちの実践の意義や課題を語り合う場をつくってきました。発達保障の研究運動の成果を科学的に整理し、実践と理論を往還させる道すじを明らかにするための理論誌が『障害者問題研究』です。「発達を学びたい」「実践を吟味したい」という要求に応えて、学習の導き手となるような出版物もたくさんあります。それぞれの地域や職場で、これらの素材を積極的に活用して、新たに出会う人たちのねがいや悩みを分かち合い、発達保障の魅力に触れてもらいながら、研究運動をともに担う仲間になってもらえるよう働きかけていきましょう。

(2020年11月23日 最終版を常任全国委員会は確定しました)

 

2020年12月14日